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2012年3月

2012年3月28日 (水)

法華経の譬え話

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岩波文庫『法華経』(上)(中)(下)3冊読み終えたが、同じ岩波文庫の初期仏典『ブッダの言葉』とはだいぶテイストが違って驚いてしまう。
とりあえず法華経は「譬え話」が巧みで面白く、その一部を要約してみる。

■法華経の譬え話:その1

大きな屋敷が火事になり、中で子供達が遊んでる。
親は一緒に逃げたいが、子供達は火事に気付かず、火事の恐ろしさも知らず、言っても聞く耳を持たない。
そこで親は「オモチャをあげるから外へおいで」と子供達を誘い出す。

*つまり現実認識できない大衆は、巧みに誘導しないと動かない。

■法華経の譬え話:その2

ある男が家出して貧乏しながら各地を放浪した。
父は息子の帰りを待ちながら財産を増やし、50年後には立派な屋敷に住むようになった。
その頃息子は知らずに父の屋敷に近づいた。
父は息子に気付き声をかけたが、息子は父の立派な身なりに父とは気付かず、恐れをなし貧民窟へと逃げた。

父は貧民窟へ使いを出し、息子に父の屋敷で働くよう勧める。
父は息子が怖がらないよう、父であることを隠し息子を使用人として雇う。
そして20年後、それまで真面目に労働した息子に、父は父であることを告げ、息子に全財産を譲ると宣言する。

*つまり無知な大衆は、自分に資格があっても莫大な遺産を受け取ることを恐れて拒否してしまう。
そして、その間違った認識をあらため自信を持ってもらうには、真実を隠した巧妙な手段によって、長い年月をかけて段階的に導く必要がある。
あるいは自分自身を「無知な大衆」と自覚するならば、自分は「良いもの」に接すると、無意識に恐れをなしてそれを避けしまっているのだ。
だから巧妙な手段で自分を騙し、徐々に近付きながら「良いもの」に対し感覚を慣らしてゆく必要がある。
それが分からないと折角の「良いもの」から臆病に逃げ回り、損をすることになる。

■法華経の譬え話:その3

ある優秀な案内人が商隊を率い街を目指し深い森を行く。
だが隊員たちは途中で不安になり引き返そうとする。
そこで案内人は神通力で「幻の街」を作り、目的地に着いたと思わせる。
隊員たちが安心して疲れを癒したところで、案内人は街が幻であることを打ち明け「本当の目的地までもう少しですよ」と励ます。

*この譬え話はいろんな解釈が可能だろうが、まずは「人々を正しく導くためには、嘘をついても構わない」という教えだと言える。
そしてその形骸化が、放射能問題に対し様々な嘘をついてきた政府や東電の態度にも現れている。
現代日本の大衆社会には、思った以上に『法華経』の影響が強く残っているのだ。
あるいは、大地震と大津波に見舞われ、原発事故により放射能に汚染され、さらなる地震の発生に怯える現代日本社会自体が、「幻の街」なのかもしれない。
我々が「安心して暮らせる街」と思っていたのは幻で、実際は深い森を彷徨い「本当の目的地」への途上にあるのだ。

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「大きな船」と「小さな船」

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本当のことを隠され黙っていられると、ぼくとしては「馬鹿にされている」と怒りがこみ上げてくる。
だが大乗仏教の経典『法華経 』では、「馬鹿に本当の事を伝えても理解せず、かえって混乱するだけだから、何も言わないのが親切だ」と説いている。
それは考えてみればその通りで、だからぼくが「人を馬鹿にするな!」と真実を暴き公表すると、かえってみんなに恨まれるハメになる。

本当の事を伝える誠実さは、場合によっては相手に不利益をもたらす。
そう考えると、かなり気が楽になる。
本当の事を隠すのは、人を馬鹿にした態度ではあるが、実際には多くの人が「馬鹿にされること」を自ら望んでいる。
なぜなら「利口だ」と認めらた人にはそれ相応の「責任」が生じ、多くの人はそんな「責任」を負いたくないのだ。

事実を知ると、自分が知った「事実」に対しての「責任」が生じる。
しかし多くの人は、そのような「責任」を負う事に耐えきれず、だから「事実」から目を背けるよう努力する。
そのような人に対し「事実」を伝えようとする事は、誠実だか迷惑であり、愚かな行為であると『法華経』は説いている。

例えば、自分の住む地域が放射能汚染された「事実」を知れば、家族を連れて避難する「責任」が生じる。
その責任を負うのが面倒で、事実から目を背けようとしてる人に対し、親切のつもりで事実を知らせると、かえって迷惑になる。
という『法華経』の観点から、原発事故後の日本政府の対応は適切だと言えるのだ。

「事実」を隠さず伝えるのは誠実な態度だが、そのような「誠実さ」を嫌がる人に、誠実の押し売りをするのは誠実だとは言えない。
どんな場合も誠実に振舞う事は、必ずしも誠実とは言えず、誠実の使い分けをする事が真の誠実さなのである。

つまり「事実を伝える誠実さ」と「平気で嘘をつく誠実さと」二つの異なる「誠実さ」の使い分けが必要なのである。
なぜなら人間には、「事実を知る覚悟のある者」と「事実を知る責任から逃れたい者」の、二つの異なる人種が存在するからである。

大乗仏教の「大乗」とは「みんなが助かるための大きな船」の意味である。
対して小乗仏教の「小乗」とは「自分が助かるために自作した船」の意味である。
順番的にはまず船を自作して助かった一部の人が、その後に大きな船を造って、みんなを助けようとする。
「大乗」は「小乗」を批判するが、「小乗」無くして「大乗」はあり得ないのである。

例えば、大勢の人が海で溺れて苦しんでるとしよう。
その人々の中で、何とか助かろうと思って「自分のための船」を造り、岸を目指そうとするのが「小乗仏教」である。
そうして岸に上がって助かった人が、海で溺れているみんなのことを思い出し、「大きな船」を造り再び海に出て、みんなを救い出そうとするのが「大乗仏教」である。

ところが「大きな船」に乗って助かったみんなは、その事だけに満足し、決して岸を目指ざそうとしない。
なぜなら「大きな船」はみんなが造ったものではなく、だから自分たちが置かれた状況を理解できないのだ。
「大きな船」に乗るみんなは、その船を誰が造ったかを考えることもせず、自分たちの置かれた状況に満足し切っている。

みんなを乗せた「大きな船」は何年も、何十年も、何百年も、何千年も大海原を漂い続ける。
やがて、その中の一人が「船はいつか転覆の危険があるから、安全な陸を目指そう」と提案する。
だが他のみんなは「この船が転覆するなんて、そんな事があるもんか」と相手にしない。
それでもなお食い下がって訴え続けると、「そんなに心配なら、一人で小舟を造って逃げればいい」と揶揄して笑う。
そこで陸を目指そうと提案した人はあきらめ、みんなと一緒になって笑って、ここに「大乗仏教」の智慧が完成する。

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2012年3月26日 (月)

「反−反写真」と「写真とは何か?とは何か?」

4月3日(火)から15日(日)まで、TAP Galleryにてモノクロ写真による個展『反ー反写真』がいよいよ開催されます。
その期間中の4月6日(土)18時30分から、ギャラリートーク『写真とは何か?とは何か』も開催するのですが、対談相手の山方伸さんに送った依頼のメールを、以下に転載します。
山方伸さんはぼくと同じく「コニカミノルタ フォト・プレミオ」の受賞でデビューした写真家で、その縁で繋がる友人の一人でもあります。

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    そもそもの、ぼくの「反ー反写真」シリーズを撮り始めたきっかけは、山方さんとの関係にあります。

    ぼくがフォトモやツギラマなど、特殊な写真技法を使って表現することの理由のひとつに、モノクロスナップなどのいわゆる「写真」の良さが自分には分からない、と言うことがありました。

    「分からない」というのは「嫌い」ということなのですが(笑)、しかしある時ふと、自分の嫌いなものを好きになろう、写真の良さを理解してみよう、という気になったのです。
    きっかけのひとつが、アップフィールド・ギャラリーで展示されてた山方さんのモノクロ写真で、ぼくが「こういう写真の良さを理解したいし、自分でも撮ってみたい」と山方さんに言ったら「糸崎さんには絶対無理!」と言われ、かえってやる気が出て「こうなったら山方さんの真似を徹底的にやろう」と始めて現在に至るのです(笑)

    ぼくの「反ー反写真」は、写真に対しいわば素直ではない反抗的な態度でもあって、山方さんをはじめ写真関係の方々の反応も複雑のようです。
    「反ー反写真」とは、糸崎公朗という「まっとうな写真家ではないアーティスト」による、意図的に迎合した「ニセモノ写真」であって、そんなものを見せられてもたいていの写真家は困るわけです。

    しかし「ニセモノ」というのは認識の基本でして、人間は自分の姿を鏡に映った「ニセモノの像」によって認識します。また「自分は何者か?」と言う問いかけも自分一人では埒が明かず、他人のリアクションを鏡の反射のように捉え、自己認識するのが人間です。
    人間の大きな特徴のひとつは、「自分の姿は自分には見えない」ことです。
    ですから自分を認識するには、鏡像や他人のリアクションなどの「反射」を捉える必要があるのです。

    そしてぼくの「反ー反写真」が「ニセモノ写真」だとすれば、それは写真家のみなさんにとっての「鏡像」としてありうるのではないかと思うのです。
    ぼくの方としても「写真とは何か?」を知るために、写真家のみなさんのリアクションを得る必要があるわけで、そのために「鏡像としての反ー反写真」を制作した、と言うことができます。

    しかしそもそも、鏡像は1回の反射で左右逆像ですが、写真はそれをもう1回反射させ正像に戻します。
    それはネガとポジの関係も同じで、1回の反射で得られたネガは写真とは認識されませんから、もう1回反射させポジに戻すわけです。つまりそう考えると、全ての写真は実は2回反射させた「反ー反写真」であるのです(笑)

    写真とは、鏡に鏡を反射させた二重像であり、そのようにして「自分」や「世界」を認識するためのツールでもあります。
    人は自分を直接認識できず、鏡に自分を反射させて認識しますが、さらにもう一回反射させた「写真」の方が、より良く認識できることもあるのです。
    それは「世界」に対しても同じで、自分で直接見るよりも「写真」を通した方がより良く認識できることがあるのです。

    一般的に、認識対象からある程度距離を置いた方が、より良く認識できると言われてます。
    認識対象にあまりに接近してると、思い入れが強すぎたりして、客観的な認識が出来ません。
    ですから、対象物の間に鏡や写真などを挟んで、間接的に物事を認識することは実に大切なのです。
    それは「自分で判断する前に、他人に相談する」と言うことも同じであって、「他人の意見」を挟んで物事を間接的に判断しようとする態度なのです。

    しかしぼくの見たところでは、どうも写真家の方々の多くは、「写真」という対象に接近しすぎているように思えてしまうのです。
    それはぼくの方も同じであって、「フォトモ」や「ツギラマ」など自分独自の表現に接近しすぎて、それを客観的に捉えることが出来ない状態に、あるように思います。
    ですからまぁ、そういう感じで意見交換会をやってみたいと思った次第です。

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2012年3月22日 (木)

《象徴界》は「喩え」なのか?

ある飲み会で、美術評論家の重鎮に「象徴界って何?」と訊かれ、自分なりに頑張っていろいろと説明を試みた。
しかし東大出身者で、ぼくよりはるかに長い人生を送られた方が「象徴界が分からない」とおっしゃるのだから、ぼくごときが何を説明しても分かるはずもない。
もちろんラカンが提唱した《象徴界》は難しい概念なので、ぼくもちゃんと理解できてるとは言えないが、しかし知能が高ければ理解できるのかと言えば、そんな問題では無さそうだ。

ぼくが最近理解したところによれば、《象徴界》が理解できない人は「喩え」が理解できない人だと言えるかも知れない。
つまり、ラカンの言う《象徴界》とは一種の「喩え」であり、だからそれを「実態」だと思ってしまう人は、《象徴界》が理解できないのである。
しかし「《象徴界》とは喩えだ」ということは、その説明も「喩え」なのである。
だから「《象徴界》は単なる喩えだから、実体が無いんだ」と単純に理解してしまうような人も、「喩え」が理解できないのだ。

《象徴界》が「喩え」だとすれば、ラカンが説いた「シニフィアン連鎖」や、ソシュールが説いた「連合」は、共に「喩えの連鎖」だと言えるかも知れない。

認識の全ては「喩え」であり、「喩えの連鎖」で世界が構成されると悟れば、現象から距離を置き、現象に惑わされることが無くなる。
しかし「喩え」を理解せず真に受ける人は、あらゆる現象を実体とみなしてそれに振り回される。

「喩え」を理解する知性は、実のところ世間的な物差しで測ることは出来ない。
なぜなら「喩えを理解できな人」は、学校の勉強を真に受けて受験戦争に勝ち、社会に出てからも同じ感覚で出世競争に勝ち続けるからである。
学校の勉強も、学校での成績も、社会的な地位や名誉もお金も、そんなのは全て「喩え」に過ぎないのに、「喩え」が理解できない素直すぎる人は、全てを真に受けそれだけに向かって邁進するのである。

しかし実のところ、認識の全ては「喩え」であり、世界は「喩えの連鎖」で構成されている。
そして、そのような認識それ自体が「喩え」であり真に受けてはならなず・・・という「喩えの無限後退」によって連鎖しているのが「世界」なのである。

そもそも《象徴界》という言葉が文字通り「喩え」を示している。
だから「ハトは平和の象徴」と言っても実際のハトの習性には「平和」とはほど遠い凶暴性があり「だからそんなことは無意味なんだ」と主張する人は「喩え」が理解できていない。
そのような人は《象徴界》も理解できないから、象徴的な決まり事や、象徴的な挨拶や、象徴的な謝罪や、象徴的な儀式など、その「実質的な意味」を真面目に考えた挙げ句「そんなものは意味がない」として、軽んじるのである。

そしてそのように「喩え」や《象徴界》を理解できない人は、一般的には知能が劣っているわけではなく、むしろ高学歴で社会的地位が高くない人も、少なくないのである。

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2012年3月21日 (水)

メガデスで認識の実験

ロックが分からない、と言うかただウルサイだけでキライだったのだが、実験的にここ一月くらいずっと「メガデス」ばかり聴いてたら、だんだん好きになってきた。
はじめは単なる雑音にしか聞こえず、どの曲も同じに思えて区別が付かなかったのに、徐々に音が分離し始め音楽だと認識できるようになった。

キライだった「メガデス」を聞き続ける実験をして分かったのは、認識とは「分離」であり、要素が分離して認識されることで「空間」が認識される、ということ。
ぼくにとってメガデスは、はじめはベチャッとした平面でしかなかったが、我慢して繰り返し聞いてると、徐々に要素が分離し始め「空間」が立ち上がってきた。

と言うわけで、メガデスに続いて今はスレイヤーを繰り返し聞いてるが、慣れると大好きになってしまうので現金なものだ。
そもそもみんなが美味しいと言って食べてるものを、自分だけが嫌いなのは「食わず嫌い」による先入観でしかない。
先入観は「自分本来の感覚」ではなく、感覚とは本来開拓すべきものだと言える。

ところで、先日のアートスタディーズで「絵画にとっても建築にとっても“空間とは何か?”を語り出すと話が難しくなるので鬼門だ」などと話してる人がいた。
だが、そもそも認識とは「空間認識」なのであり、音楽はもちろん、優れた料理も食べると口腔内に「豊かな空間」が広がる。

認識とは「空間の認識」なのだが、そもそも絵画や建築は空間の表現なので「そこに空間が表現されてるのか?」と問うのはおかしな事だ。
だが音楽や料理に「空間」が感じられるのは、その場合の空間とは「比喩」なのである。
だから絵画や建築も「比喩としての空間が表現されているか?」が問題になるのだ。
と考えると、「絵画にとっても建築にとっても“空間とは何か?”を語り出すと話が難しくなるので鬼門だ」などと言う人達は(たとえ専門家であっても)そもそも「比喩」というものを理解しているかが疑わしいのである。

と言うわけで、メガデスってホントに良いですねw

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2012年3月13日 (火)

斉藤義重・作品画像

 

わが師、斎藤義重は2001年6月13日未明に永眠されました。まさに「現代美術の巨星墜つ」です。変遷を重ねた20世紀美術を真摯に受けとめ、その流れ を自らの作品の内に体現した作家は他に見当たりません。まさに20世紀という時代が醸し出した作家でした。


 斎藤は、中学時代よりセザンヌやゴッホらの作品に親しみ、油彩で風景画や人物画を描きました。しかし、1920年(大正9)に東京で開催されたロシア未 来派の亡命作家たちの展覧会場で、彼らが作品に加筆する姿を目撃し、あたかも「文章を書くような」描き方に強い衝撃を受けます。印象派的な傾向の強い当時 の美術団体にはなじめず、絵画表現の限界を感じて、文筆活動に傾斜する時期もありました。やがてロシア構成主義やドイツのダダイズムの作品を知り、既成概 念に捉われずに様々な素材を用いて制作するようになります。それは、《トロウッド》や《カラカラ》のような半立体的な作品へとつながっていきました。 1938年(昭和13)、二科会で前衛的な作品を発表していた作家たちとともに「二科九室会」の結成に参加。翌年には福沢一郎[ふくざわ・いちろう]が主 唱する前衛美術団体「美術文化協会」に加わりますが、斎藤はそこでの主流であったシュルレアリスムに傾倒することなく、黒の合板を重ねたレリーフ《ゼロイ スト》のような抽象作品を制作しました。

 


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2012年3月 5日 (月)

松澤 宥の「オブジェを消せ」

ウィキペディアより

松澤 宥(まつざわ ゆたか、1922年2月2日 - 2006年10月15日)は、日本のコンセプチュアル・アーティスト(概念芸術家)。長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。

長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。1946年、早稲田大学理工学部建築科卒業。

1964年6月1日深夜、「オブジェを消せ」という啓示を受け、概念芸術家としての活動を始める。コンセプチュアル・アートの先駆者の一人として、欧米にもその名を知られる。2006年10月15日、郷里の長野県下諏訪で84歳の生涯を閉じる。 塩尻在住時代の草間彌生が頻繁に訪ね、師と仰いでいる現代美術家でもある。

1922年2月2日 に生まれたことから2という数字にこだわり、東京国立近代美術館でのパフォーマンス2月22日に行っている。

美術評論家千葉成夫は著書「日本現代美術逸脱史」の中で松澤宥を「日本概念派」の重要人物の一人としている。


豊田市美術館の池に浮かぶ松澤宥の作品「白鳥の歌」

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松沢宥は下諏訪の人、観念美術の創始者の一人として世界に名を知られたアーティストですが、美術作品の制作に絵の具などの物質を使用しない点にユニークさがあるということで、私などには難しそうでよくわかりません。その作品の一つを紹介すると、10cm四方の和紙が1枚あって、「この一枚の白き和紙の中に白き円を観じそをあわれ死に臨める白鳥としてここに白鳥の歌を聞けよ」

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松沢宥 「宥密法」展 2003 photo Masahiro Aoki

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松澤宥 タイムリミット

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新婦の祖父、コンセプチュアル・アーティスト 松澤宥さんの作品。

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私がイラストレーターから美術家に転身し た最初の個展に、下記文言を賜りました(ウンモ星の言語で記述)。 また、昨年の特許の個展にも、下記文字を賜りました(ビットマッ プとベクターが逆ですが)。

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松沢さん宅の「ψの部屋」を見て二階から下りようとした時に、右側の障子戸の部屋から光が発せられるように感じ、入口を空けて中を見させていただいた。寝室のようでした。左側の壁(北方向)に作品が輝いていました。作品がふさわしい場所にあり、松沢さんが今も部屋に居られるようでした。

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追悼 松澤 宥
2006年12月1日(金)~2007年2月25日(日)
カスヤの森現代美術館

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松澤宥作品&松澤宥キュレーション作品展   消滅と未来と 松澤宥と九つの柱

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高松次郎の『影』

高松次郎

高松次郎たかまつ じろう昭和11年(1936年2月20日 - 平成10年(1998年6月25日 )は、前衛美術現代美術家。本名は新八郎

経歴

東京都に生まれ、1954年東京藝術大学絵画科(油画専攻)に入学。在学中は小磯良平に師事した。卒業後の1958年より第10回読売アンデパンダン展へ作品の出品を開始し、以後59、61、62、63年に出品している。はじめ前衛芸術に傾倒し、中西夏之川仁宏らと共に、有名な「山手線事件」というハプニングを行った。また中西、赤瀬川原平らと芸術集団ハイレッド・センターを結成し、数多くのパフォーマンスを実践した。

作品はインスタレーションから絵画彫刻壁画写真映画にまで様々なスタイルに至り、多くの作品が抽象的かつ、反芸術的な色合いが濃いもので、実体の無い影のみを描いた作品「影」シリーズが脚光を浴び、石や木などの自然物に僅かに手を加えただけの作品、遠近法を完全に逆にした作品など、あえて「思考させる」「思考する」ことにより、作品と世界との間に新しい関係を作りだすことに成功し、1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた。

しかし80年代に登場する「形」シリーズからは作品に飛躍的な展開が見られ、平面空間に線、面、色彩が溢れるようになる。高松は62歳で亡くなるまで20年間以上三鷹にアトリエを構え、病に倒れた後も亡くなる直前まで、このシリーズを追求し続けた。

1968年より多摩美術大学専任講師を務め、1972年から1974年まで東京藝術大学にて美術学部油画科非常勤講師を務めた。

主な作品

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高松次郎《赤ん坊の影 No.122》182.0×227.0cm,ラッカー・キャンバス,1965,豊田市美術館蔵

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高松次郎 『No.273(影)』 昭和44年作 東京国立近代美術館所蔵

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高松次郎《影》1977年 国立国際美術館

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ちなみにこのトップページに載せている作品の影、 誰の影だか分かりますか?

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そんな高松さんの影のシリーズが名古屋にある、ということで探してきました。 タイトルに名古屋駅とあるのですが、 JRではなくて地下鉄桜通線名古屋駅にて発見しました。 なんと全長約60mの大作!

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高松次郎《影(母子)》1964年 滋賀県立近代美術館 114.0×92cm

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影 1978年 アクリル・画布 97.0×130.0

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高松次郎 -<影>の絵画とドローイング-
■会期 1999/10/21(木)~ 1999/12/05(月)(40日間)
■主催 国立国際美術館

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「ゼロ次元」とは

今日は18:00からLIXIL GINZAで「第21回アートスタディーズ」があるのですが、その前に予習です。

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ゼロ次元

ゼロ次元(ゼロじげん)とは、1960年代から1970年代初頭にかけて活動していた前衛パフォーマンスアート集団。「人間の行為をゼロに導く」をコンセプトに過激な全裸パフォーマンスを繰り返したことから、ネオダダ九州派時間派といった当時の反芸術運動の中でも最左派に位置づけられる。「儀式集団・ゼロ次元」(ぎしきしゅうだん・ゼロじげん)とも。

概要 

多摩美術大学油絵科卒業後、公立中学校で美術教師をしていた加藤好弘1936年 - )や岩田信市を中心として、1960年(1958年との説もある)に愛知県名古屋市で結成。

1963年元旦に同市中区名古屋国際ホテル前にて、全員が道路に腹這いとなって行進するなどのパフォーマンスを行い、地元では一目置かれる存在となる。翌年には「なにを出しても、なにをしても可」をスローガンに、愛知県美術館で企画展「日本超芸術見本市」を実施する。

その後、加藤が活動の幅を広げるべく東京都内に電気会社「ゼロ次元商会」(社員全員が「ゼロ次元」のメンバー)を設立し、連日のように仕事の後、「儀式」を行うようになる。特に、防毒マスクを着用し全裸のまま行進する「全裸防毒面歩行儀式」(新宿紀伊國屋書店前にて)、都電を貸し切り、車内で紐で縛った全裸の男女を乗せたまま走らせる「電車内寝体儀式」をはじめ、反社会的行為は週刊誌などにも大々的に取り上げられ、アート・テロリストとして世情を賑わせていた。

日本万国博覧会(大阪万博)が行われる前年の1969年初めには、秋山祐徳太子告陰ビタミン・アートクロハタなど他の前衛芸術集団らが参加し、反万博団体「万博破壊共闘派」を立ち上げる。当時学園紛争で騒乱の最中にあった、京都大学講堂屋上にて全裸のパフォーマンスを展開するが、これがマスメディアに報道されると官憲の知るところとなり、加藤以下演者が軒並み逮捕される。なお、この「儀式」の後、万博会場に全裸で突撃する予定であった。

加藤らの逮捕後、全国で300人以上のメンバーを擁していた「ゼロ次元」も活動を終息せざるを得ず、1972年以降は休止状態となる。

時代状況から政治的側面が強調されるあまり、これまで現代芸術史(とりわけ前衛芸術において)ではほとんど「ゼロ次元」の活動が検証されることがなかったが、近年においては黒田雷児椹木野衣らによって再評価されつつある。

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ゼロ次元とは何かというと、60年代から70年代初頭にかけて集団で街頭に繰り出し、全裸でパフォーマンス(当時はハプニングと言った)を繰り広げた謎の組織で、「芸術」という言葉がなかったら、オウム真理教やスカラー波のパナウェーブ研究所なんかと区別がつかない狂った変態的な美しい行為をやっていた集団なのです。

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下の画像のようなゼロ次元は、わたしも、東京、神田にあった神話化された内科画廊で見て度肝を抜かれそうになったことがあった。

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「ゼロ次元」の一コマをご紹介します。収録された作品は、全てモノクロ写真。カラーの印刷物が溢れかえっているせいか、かえって新鮮さを感じました。
 

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2009/7/4(Sat)
Collaboration with ゼロ次元+石井満隆+小倉良博@Super Deluxe(西麻布) [ゼロ次元×石井満隆]

 

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●「芸術至上主義」の側面――ゼロ次元  
1936年生れの加藤好弘が率いるゼロ次元は、加藤の母校、多摩美術大学でシンポジウムと《儀式》を行なった。シンポジウムでは針生一郎が「日常的行為の中にこそ、芸術が隠されている」とゼロ次元を高く評価したことが印象的だった。《儀式》は多くの学生が参加し、特に「鰐鮫」=男性が増え、「兎」=女性が歩行する距離が長くなったことで迫力が生れた。テロリズムとはテロを「受けた」側からすれば突発的な事項であるが、「する」側は綿密な計画を要する。ゼロ次元が「テロ集団」であるとすれば、その計画性の緻密さを評価すべきであろう。決して「偶然」や「思いつき」ではないのだ。

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で、いよいよゼロ次元の登場です。 っていっても、コスプレ姿で乗り込んできたオネエチャン数人が下着姿になり、ガスマスクを着けて床をはいずりまわる。ボスの加藤好弘がなにかやるのかと思ったら、サーカスの団長みたいに「ハイっ、ゼロ次元でゴザイマス。”ジョタイ”には手を触れませんように」などと……。まるで「見せ物小屋」の現場。

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ゼロ次元 -加藤好弘と60年代: 平田 実: 本

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1958年頃より活動を開始した、日本のハプニング集団。主宰者は加藤好弘。 全国に300人以上のメンバーがいるとしたが、緊密に結束したグループではない。人間の行為をゼロ時間=無為へと導くと主張して活動した。62年の「集団混合図式――踊る男の0時間」や63年の「ナンセンス儀式」(街頭でメンバー20名が四つん這いになってのデモ行進)、「女体試食会」などもっぱら性的タブーに触れるようなアナーキーな月例「儀式」活動を、街頭で行なった。69年からは大阪万博粉砕を叫び、全国で学園闘争と連動しながら儀式としてデモ活動を行なった。しかし、70年に主宰者が「猥褻物公然陳列罪」で逮捕されると、その活動は急速に終結していった。ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズや九州派、時間派と並んで「反芸術」の旗手とされるが、実際、最も過激で「反逆的」あったのはこのゼロ次元であろう。

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 先日、ご紹介した「ゼロ次元」の中から、もう一コマ。かなり過激なパフォーマンス。逮捕者が出たとのことですが、仕方ないでしょうね~。60年代・・今と比べると元気があったかな、と思います。

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ゼロ次元 加藤好弘と六十年代
平田 実 著
定価2,520円(本体2,400円)

内容紹介
60年代後半から70年まで街に防毒マスクと全裸で登場するなど、世間のド肝を抜くパフォーマンスで伝説となった反・芸術集団ゼロ次元の軌跡を平田実の写真によって辿る記念碑的一冊。

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京都大学教養学部本館屋上での ゼロ次元のデモンストレーション(部分) 出典=『アサヒグラフ』1969年7月4日号 (朝日新聞社)

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2001/06/26 - 2001/07/14
加藤好弘「立体夢タントラ装置」(襖絵マンダラ)

今展に向けて加藤が作り出したのは、日本の和室のように襖絵に囲まれた部屋です。その襖絵には現代の東京の女性の官能的な夢物語が極めて直接的で強烈な描写で施されています。加藤は観客を取り囲むこの襖絵を立体版タントラ(マンダラ)と名付けました。そしてこの部屋の中に入った観客を、夢と現実の垣根が外れたあたかも「トリップして見えるような心的世界」に誘おうとしています。この襖絵の部屋は観客の身体がキャンバス面となるような体験をさせるシミュレーション装置となるのです。天性のアジテーター、加藤は衣食住と保身のみに生きている現代人に対してインドの教えにあるように「人間に生まれるのは三千年に一度」なんだからと警鐘を鳴らし続け、この飽食した社会に対し創造霊界の場所を設定したと言います。

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2012年3月 4日 (日)

文鮮明の顔

調子に乗ってたくさん貼りすぎましたがw文鮮明の「顔」です。
以下、ウィキペディアより

文 鮮明(ぶん せんめい /문선명、ムン・ソンミョン/ Sun-Myung Moon, 1920年1月6日(陰暦)- )は、韓国人の宗教家。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の創立者。

概略
統一教会では、聖書に預言された再臨のイエス・キリスト(メシア)とされ、全人類の父母の立場にあるということから、信徒は「お父様」等と呼ぶ。三人目の妻である韓鶴子(ハン・ハクジャ)も含めて言うときは「天地人真の父母様」だとされる。

思想の特徴
自らの家庭を「神の家庭」「真の家庭」『全人類の父母の家庭』とし、全人類が模範とすべき「モデル家庭」だとしている。

なぜ文鮮明を取り上げるのか?というと、ひとつの理由は、以前ぼくは道ばたでおばちゃんの二人連れから「ベストセラーなんでぜひ読んでください」と本を渡されたことがあるのですが、見ると文鮮明の自伝で、その表紙にこの写真が使われていたのです。

そのときのぼくの印象は「なんて悪人面なんだ」と言うものでしたが、もちろんそれは先入観に過ぎず、宗教団体の教祖として大勢の人々が尊敬してるわけですから、善人なんだと思いますw

しかし悪人が善人かはともかく、先入観なしに文鮮明の顔を見ると、少なくとも「再臨のイエス・キリスト」というような宗教家というよりも、やり手の実業家か政治家のように思えてしまいます。

もっとも、ぼく自身はこれまで実業家や政治家や宗教家の顔を、意識的にたくさん見て比較してきませんでしたから、そう言うデータが蓄積すればまた印象派変わるかも知れません。

しかし現時点での印象を言えば、文鮮明の目は「現世利益」を見ているように思え、現世を超えた宗教的な遠い視野を含んだ話をするような人には、どうも見えないのです。
実業家も政治家も「現世利益」を見る人ですから、文鮮明もそう言うカテゴリーの人のような、そう言う印象を持ってしまうのです。

あと、特に若いときの白黒写真の顔を見ると、どことなく意地悪な人のような印象を持ってしまいます。
なんというか、スカッとした前向きな人と言うより、どこか暗くひねたところのある印象があります。

以上はまったくのぼくの主観的な印象でしかないですが、ともかくそう言う印象で語る「実験」をこの記事でしてるわけです。

もっとも、この文鮮明の顔を見て「再臨のイエス・キリスト」だと言われ、「そんなはずはないだろう」という人は多いと思います。
イエス・キリストの肖像は、美術の歴史上多数描かれていましたが、こんな文鮮明みたいな顔は見たことありませんw
しかし、イエス・キリストの顔を見て絵を描いた人はいないわけですし、案外実際のイエス・キリストは、人種は違えど文鮮明みたいな顔だったのかも知れません。

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ジョン・ロックフェラーの顔(顔の実験について)

ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr、1839年7月8日 - 1937年5月23日)は、アメリカ合衆国の実業家。スタンダード・オイルを創設した。その無慈悲な営業戦術で、ロックフェラーは同社を世界最大の石油会社に育てて個人の資産を蓄積したため、石油王と呼ばれた。彼は、後にその巨額の資産を慈善事業に費やした。

ウィキペディアより

ブログで「顔」を取り上げるのは彦坂尚嘉さんの影響なのですが、例えば「石油王・ロックフェラー」の顔写真を並べて、それがどういう顔なのかをあれこれ考えると、いろいろ分かってくるかも知れない、という「実験」を自分でもやってみることにしたわけです。

こうして見ると、ジョン・ロックフェラーは独特の顔をしてて、自分の身近にはいないし、街中で見かけるようなタイプじゃありませんw

なんというか何を考えているのか分からず、ちょっと近寄りがたい感じがします。
また冷徹な印象の目をしていて、こちらが情に訴えたとしても、全く聞き入れてもらえなさそうな雰囲気がしますw

ぼくとしてはその特徴はどうも目にあるように思えるのですが、印象としてはつぶらで奥まっているというか、遠くを見ているようでその焦点はごく近くというか、自分の内部に合っているようにも思えます。

こんな人にじっと見つめられると、自分が見透かされると思うと同時に、自分のことは全然分かってもらえない、という絶望的な気分になりそうです。
いや、見透かされるのは自分の「都合」で、そんな「都合」は全く聞き入れられない、といった感じでしょうか。

以上、こんなものは勝手な先入観による個人的な印象でしかないのですが、しかし案外バカにならないと思うわけです。
なぜなら、人は日常的に「あの人はいい人そうだ」とか「信用できない雰囲気がする」とか、結局先入観や印象で判断してるのです。
そして他人の心が直接覗けない以上、どんなに腹を割った親しい間柄でも、その人の「本当の内面」は分からず、けっきょく外見からの類推で判断するしかありません。
そもそも人間は、自分の内面すらちゃんと認識することが出来ないわけです。

だったら、人を顔の印象で判断することをあらためて掘り下げ、無自覚な先入観を意図的にコントロールしようと試みることは、無駄ではないと思うわけです。

 

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オセロと原発

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オセロ中島が占い師に騙されてる話題が人気のようだが、世間のみなさんは自分も悪い占い師に騙されて、要りもしない原発をたくさん買わされた件について、どう思ってるんでしょうか?
いやぼくは、いちおう「世間のみなさん」の一員として、反省してるのですがw

世間のみなさんが「占い師に騙されたオセロ中島」の話題に夢中になるのは、「自分もオセロ中島と同じように占い師に騙され、危険なばかりで役立たずの原発をたくさん買わされた」という事実から、目を背けるためかも知れない。
ぼく自身も「世間のみなさん」の一員なんで、わかりますw

世間のみなさんは「オセロ中島は、なぜ占い師に騙されているのに気付かないんだろう?」と他人事のように考えることで、「自分自身が占い師に騙され、粗悪な欠陥品の発電機を大量購入させられた」という事実を認識しないように努力している。
ぼくも「世間のみなさん」の一員ですが、努力が足りないw

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認識と例え

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認識とは「違うものを分ける」よりむしろ「似たものを寄せ集める」ことだと言える。
全ての個物を「違うもの」と認識するなら、認識そのものが成り立たない。
まず「似たものを寄せ集める」行為があり、次に似たものの中から「違うものを分ける」行為があり、「認識」が成立する。

認識がまず「似たものを寄せ集める」行為だとすれば、認識とは本質的に「例え」だと言える。
例えば、人は「ミカン」をいうものを、「それは例えばリンゴやブドウやイチゴのようなもの」という具合に認識している。
あるいは同じミカンを「例えば河原の丸石や野球ボールのようなもの」と認識している。

「ミカン」はリンゴやイチゴなどに例えられる事によって「果物」と認識され、河原の石やボールに例えられることで「球体」と認識される。
このような「例え」の事例が多いほど、認識はより深まる。
認識のための「例え」をより多く知る人は「知識がある」とか「教養がある」などと言われる。

アートとは何か?を知るために、アートについての勉強するだけでは意味がない。認識とは他のものの「例え」でなされるのだから、アート以外の、アートの「例え」になる事例を、より広範な分野から収集しなければならない。例えば、生物進化を知ることで、アートを生物進化の例えで知ることができるのだ

以上、例えとは何か?を例えを使って説明したりとかw

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