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2012年3月22日 (木)

《象徴界》は「喩え」なのか?

ある飲み会で、美術評論家の重鎮に「象徴界って何?」と訊かれ、自分なりに頑張っていろいろと説明を試みた。
しかし東大出身者で、ぼくよりはるかに長い人生を送られた方が「象徴界が分からない」とおっしゃるのだから、ぼくごときが何を説明しても分かるはずもない。
もちろんラカンが提唱した《象徴界》は難しい概念なので、ぼくもちゃんと理解できてるとは言えないが、しかし知能が高ければ理解できるのかと言えば、そんな問題では無さそうだ。

ぼくが最近理解したところによれば、《象徴界》が理解できない人は「喩え」が理解できない人だと言えるかも知れない。
つまり、ラカンの言う《象徴界》とは一種の「喩え」であり、だからそれを「実態」だと思ってしまう人は、《象徴界》が理解できないのである。
しかし「《象徴界》とは喩えだ」ということは、その説明も「喩え」なのである。
だから「《象徴界》は単なる喩えだから、実体が無いんだ」と単純に理解してしまうような人も、「喩え」が理解できないのだ。

《象徴界》が「喩え」だとすれば、ラカンが説いた「シニフィアン連鎖」や、ソシュールが説いた「連合」は、共に「喩えの連鎖」だと言えるかも知れない。

認識の全ては「喩え」であり、「喩えの連鎖」で世界が構成されると悟れば、現象から距離を置き、現象に惑わされることが無くなる。
しかし「喩え」を理解せず真に受ける人は、あらゆる現象を実体とみなしてそれに振り回される。

「喩え」を理解する知性は、実のところ世間的な物差しで測ることは出来ない。
なぜなら「喩えを理解できな人」は、学校の勉強を真に受けて受験戦争に勝ち、社会に出てからも同じ感覚で出世競争に勝ち続けるからである。
学校の勉強も、学校での成績も、社会的な地位や名誉もお金も、そんなのは全て「喩え」に過ぎないのに、「喩え」が理解できない素直すぎる人は、全てを真に受けそれだけに向かって邁進するのである。

しかし実のところ、認識の全ては「喩え」であり、世界は「喩えの連鎖」で構成されている。
そして、そのような認識それ自体が「喩え」であり真に受けてはならなず・・・という「喩えの無限後退」によって連鎖しているのが「世界」なのである。

そもそも《象徴界》という言葉が文字通り「喩え」を示している。
だから「ハトは平和の象徴」と言っても実際のハトの習性には「平和」とはほど遠い凶暴性があり「だからそんなことは無意味なんだ」と主張する人は「喩え」が理解できていない。
そのような人は《象徴界》も理解できないから、象徴的な決まり事や、象徴的な挨拶や、象徴的な謝罪や、象徴的な儀式など、その「実質的な意味」を真面目に考えた挙げ句「そんなものは意味がない」として、軽んじるのである。

そしてそのように「喩え」や《象徴界》を理解できない人は、一般的には知能が劣っているわけではなく、むしろ高学歴で社会的地位が高くない人も、少なくないのである。

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思想・哲学・宗教」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、鹿児島に住んでいます。
BS-TBSの再放送で、糸崎さんの鹿児島市路面電車の旅 を見ました。
とても、良い印象を持ちました。
糸崎の人柄が伝わってきたような気がしました。
ITが発達してはいますが、TV放送の有効性も確認しました。
ブログも見識が高く、アート論など興味を持ちました。
これからも、拝見させていただきます。

投稿: カヤッカー 翔 | 2012年3月24日 (土) 09時23分

ありがとうございます。
BSの再放送は、実家の母から電話で教えられましたw
スタッフが優秀で良い番組だったので、再放送していただけるのはありがたいです。
ぼくのウチはもう何年も前からテレビが無いのですが、テレビに出ると(滅多にないですが)、周囲でも「見た」と言ってくれる人が多いのも確かです。
鹿児島は薩摩揚げが非常に美味しかったのが印象的です。
それと観覧車にも乗ったのですが、それは残念ながらカットされてしまいました。

投稿: 糸崎 | 2012年3月24日 (土) 12時14分

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