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2012年3月28日 (水)

法華経の譬え話

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岩波文庫『法華経』(上)(中)(下)3冊読み終えたが、同じ岩波文庫の初期仏典『ブッダの言葉』とはだいぶテイストが違って驚いてしまう。
とりあえず法華経は「譬え話」が巧みで面白く、その一部を要約してみる。

■法華経の譬え話:その1

大きな屋敷が火事になり、中で子供達が遊んでる。
親は一緒に逃げたいが、子供達は火事に気付かず、火事の恐ろしさも知らず、言っても聞く耳を持たない。
そこで親は「オモチャをあげるから外へおいで」と子供達を誘い出す。

*つまり現実認識できない大衆は、巧みに誘導しないと動かない。

■法華経の譬え話:その2

ある男が家出して貧乏しながら各地を放浪した。
父は息子の帰りを待ちながら財産を増やし、50年後には立派な屋敷に住むようになった。
その頃息子は知らずに父の屋敷に近づいた。
父は息子に気付き声をかけたが、息子は父の立派な身なりに父とは気付かず、恐れをなし貧民窟へと逃げた。

父は貧民窟へ使いを出し、息子に父の屋敷で働くよう勧める。
父は息子が怖がらないよう、父であることを隠し息子を使用人として雇う。
そして20年後、それまで真面目に労働した息子に、父は父であることを告げ、息子に全財産を譲ると宣言する。

*つまり無知な大衆は、自分に資格があっても莫大な遺産を受け取ることを恐れて拒否してしまう。
そして、その間違った認識をあらため自信を持ってもらうには、真実を隠した巧妙な手段によって、長い年月をかけて段階的に導く必要がある。
あるいは自分自身を「無知な大衆」と自覚するならば、自分は「良いもの」に接すると、無意識に恐れをなしてそれを避けしまっているのだ。
だから巧妙な手段で自分を騙し、徐々に近付きながら「良いもの」に対し感覚を慣らしてゆく必要がある。
それが分からないと折角の「良いもの」から臆病に逃げ回り、損をすることになる。

■法華経の譬え話:その3

ある優秀な案内人が商隊を率い街を目指し深い森を行く。
だが隊員たちは途中で不安になり引き返そうとする。
そこで案内人は神通力で「幻の街」を作り、目的地に着いたと思わせる。
隊員たちが安心して疲れを癒したところで、案内人は街が幻であることを打ち明け「本当の目的地までもう少しですよ」と励ます。

*この譬え話はいろんな解釈が可能だろうが、まずは「人々を正しく導くためには、嘘をついても構わない」という教えだと言える。
そしてその形骸化が、放射能問題に対し様々な嘘をついてきた政府や東電の態度にも現れている。
現代日本の大衆社会には、思った以上に『法華経』の影響が強く残っているのだ。
あるいは、大地震と大津波に見舞われ、原発事故により放射能に汚染され、さらなる地震の発生に怯える現代日本社会自体が、「幻の街」なのかもしれない。
我々が「安心して暮らせる街」と思っていたのは幻で、実際は深い森を彷徨い「本当の目的地」への途上にあるのだ。

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