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2012年5月 3日 (木)

想像界と大霊界

《象徴界》の精神とは、良識、正義、道理、道徳、などに従う「正気」の精神だが、ふと油断すると《想像界》の精神に引き込まれることがある。
つまり《想像界》とは「引き込まれる場」なのであり、それは霊界や魑魅魍魎の世界が《想像界》の産物であることと符合する。
というよりも、《想像界》とは単に霊界や魑魅魍魎の世界だった、と言えるかも知れない。
つまり《象徴界》を欠いた、《想像界》の精神だけに生きる人は、生きながらにして霊界や魑魅魍魎の世界に取り込まれているのだ。

《象徴界》を欠いた、《想像界》の精神だけの人々にとって、この世は霊界と地続として捉えられる。
だから例えば「原発」という魑魅魍魎が火を噴き瘴気をばらまいたとしても、彼らは驚いたり恐れたりせず「糸崎さんは心配しすぎですよ」などと楽天的なのだ。
結局のところ、霊界も、魑魅魍魎も、地獄も、極楽も、全ては《想像界》の産物であり、その意味で全てはこの世に「実在」する。
全ての「この世ならざるもの」は、《想像界》の精神によって「この世」に投影された「実在物」なのである。

言い方をかえると、「想像の産物」は実在物ではないが、「《想像界》の産物」は実在物である。
なぜなら、日常的な意味での「現実」の全ては《想像界》の産物だからである。
つまり「現実」が実在するのと同じレベルで、「霊界」や「妖怪」や「悪霊」や「呪い」は実在する。
この話は《想像界》のみの精神の人には理解できない。

「妖怪」も「幽霊」も「悪霊」も「魑魅魍魎」も《想像界》の産物であり、だから「実在」する。
このような物の怪は外見上は人間と変わらず、遺伝子も人間と100%同じで、人間に混じって人間と同様の生活を送る。
しかしその精神は人間とは異なり《象徴界》を欠き《想像界》の世界にのみ生きている。

つまり「日本国」はSF小説『家畜人ヤプー』で蔑まされた「邪蛮国」そのものであり、《象徴界》を持つ人間によってではなく、《想像界》の精神に生きる「妖怪」や「幽霊」によって支配された、非文明的な三等国家に過ぎない。
そしてこれは、《象徴界》の精神にとっては、何ら悲観すべきことではなく、実に素晴らしいことなのである。
なぜならば、自分が初期仏典『ブッダのことば』で学んだことによると、《象徴界》の精神は、何事に対しても恨んだり憎んだりすることがなく、全てが慈しみの対象となる。
だから日本国の(広い意味での)支配者である、《想像界》の精神のみに生きる妖怪や幽霊どもも、愛情や慈しみや感謝の対象になるのだ。

そして、妖怪や幽霊や悪魔が《想像界》の精神の産物なのだとすれば、それは同じく《想像界》の精神の産物である「神々」に容易に転ずることができる。
つまり、《象徴界》の精神を欠き《想像界》の精神だけに生きる妖怪どもは、これすなわち「神々」なのであり、感謝と崇拝の対象となるのである。
世間にあふれる「平気でうそをつく人々」は、《象徴界》を欠いた《想像界》の精神のみの持ち主であり、だから他人の足を引っ張る「妖怪」であると同時に、《象徴界》の精神の成長を助けてくれる「神々」でもある。
この場合の「神々」とは「呪術の神様」であり、《想像界》の精神の産物である。

『ブッダの言葉』を読むと、「神々」や「夜叉」が登場し、人間と同様にブッダに対し教えを乞うている。
この話を「喩え」と捉えるならば、「神々」や「夜叉」は《想像界》の産物であり、そしてブッダ(が説く法=ダルマ)とは、《象徴界》の精神そのものなのである。
そして、ユダヤ、キリスト、イスラム教に共通の「唯一神」や、儒教の説く「天」も、同様に《象徴界》の精神の反映なのである。

《象徴界》の精神の持ち主は、《想像界》の産物である「呪術の神々」も、《象徴界》の産物である「唯一神」も、どちらも対象化し尊重する。
しかし《想像界》だけの精神の持ち主は、自分自身が「神々」なのであり、だから「私は宗教を信じない」と主張する。
人間は「神々」を対象化するが、「神々」それ自身は「神々」を対象化せず「私は宗教はインチキだ」と信じ込む。
そして少なくとも現代日本は、そのような「神々」であふれ、「神々」による「神々」の支配がなされている。

あらためて考えると、永井豪『デビルマン』で描かれる「デーモン」は《想像界》の精神をあらわし、だからデーモンは哺乳類、爬虫類、昆虫、植物など異質なものが合体している。
漫画『デビルマン』のクライマックスで、デーモンたちは人間たちに次々に合体する「攻撃」を行う。
その結果、各国の首脳が全てデーモンに成り代わってしまい、核ミサイルのスイッチが押されてしまう。
しかし、現実の日本では、首脳がとっくに「デーモン」になり代わっており、《想像界》だけの精神によって国内に原発を多数建造し、《想像界》だけの精神によって絶対安全だと信じ込み、《想像界》だけの運営管理によって事故を起こしてしまう・・・という漫画のようなことが起きているのだ。

3.11の原発事故は《象徴界》に対する裏切り行為だ、と言うこともできる。
「原発は絶対に事故を起こさない」と言い、「管理運営は徹底してます」と言い、それらの言葉=《象徴界》を、《想像界》だけの精神の持ち主はことごとく裏切ったのである。
《象徴界》に対する裏切りのうち、法に触れるものを「犯罪」と呼ぶが、《想像界》だけの精神の持ち主は、犯罪以外の《象徴界》に対する裏切りを、平然とやってのける。
《想像界》だけの精神の持ち主は、《象徴界》の精神を持つものにとっては、信じられないことを平然とやってのける。
これはひとえに、両者の「認識の違い」によるものである。

漫画『デビルマン』の主人公、不動明は、デーモンと戦うため自らデーモンと合体して「デビルマン」となる。
同じように《象徴界》の精神を持つ人間も、デーモンと合体した「デビルマン」となる必要があるのかも知れない。
そしてそれが、「大乗仏教」の智慧なのかも知れない。
つまり「大衆」から逃がれようとして、大衆を排除することはかえって逆効果で、むしろ自分自身が大衆と一体化し、大衆を救うことが有効なのである。

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コメント

すごくおもしろくよめました。デビルマンを読んでみたくなりました

投稿: 坂出太郎 | 2012年5月 6日 (日) 00時47分

ありがとうございます。
今出てる文庫版のデビルマンは、後年に描かれた余計なエピソード(タイムスリップもの)が挿入されてるので、それを飛ばして読むと良いですよ。

投稿: 糸崎 | 2012年5月 6日 (日) 05時31分

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