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2012年5月25日 (金)

デザインと問題解決

@Stakesh: デザインとアートの違いとは何か? http://t.co/ZjsIEvJJ デザインとは問題解決であり、アートとは自己表現である

これを「デザインとは問題解決であり、アートとは世界認識である」と言い換えると、さらに「自己表現とは世界認識である」と言い換えることができる。
「自己」とはとてもちっぽけなもので、だから「アートとは自己表現である」というようなちっぽけなものではない。
そうではなく、アートとは、自己がどのように世界という大きなものを認識したのか?その反映であり、表明なのである。

アートには、アーティストの世界認識そのものが現れている。
世界を深く捉えているアーティストの作品は深く、世界を浅く捉えているアーティストの作品は浅い。

「問題解決:世界認識」という対比は、デザインとアートだけではなく、現代思想と哲学の関係にも当てはまる。
高田明典さんによると、現代思想は現実の問題解決を目指し、形而上の思索に耽る哲学とは袂を別けた。
つまり現代思想はデザインなのである。

ぼくは高田明典さんの影響で、自分の思索を問題解決の方法として自覚していた。
しかし彦坂尚嘉さんには「糸崎さんは何でも自分のわかる言葉に置き換えてしまう」と非難された。
つまり、難解な概念や複雑な現実問題を「自分の分かる言葉」に置き換えると、それはデザイン化であり、だからこそ具体的な問題解決に結びつく。

結局のところ《現実界》を「身体」という別の言葉に置き換えたこと自体、彦坂尚嘉さんに非難されたのだが、しかしまず自分のやりたいようにやって失敗してみないと、理解できないこともある。
それだけ《現実界》という概念は、自分にとって現実離れして難しい。

《現実界》が「身体」の領域であれば、産業革命以後は「身体の拡張の時代」であり、だから《現実界》の台頭なのであり、《現実界》の精神だけの人間が現れてもおかしくない。
それは産業革命によってもたらされた「拡張された身体」に見合った精神のありかたと言えるかもしれない。

あらゆる生物は「種」に別れている。イヌなイヌであり、エンマコオロギはエンマコオロギであり、キンポウゲはキンポウゲであり、ヒトはヒトなのだ。
だからどれだけ自分が嫌いで問題があると思える他人でも、どれだけ凶悪な犯罪者でも、どれだけのキチガイでも、全部「自分自身」の問題でしかない。

…などといろいろ考えてみたのだが、ともかく、言葉とは光のようなものである。
光を当てると「そのもの」が何であるか認識できるが、同時にそれは「光の反射」に過ぎず、何ら実態を認識したことにはならない。
だからこそ、様々な角度から見て、様々な種類の光を当て「そのもの」を認識せざるを得ない。
言葉と「そのもの」の関係もまた同じ。

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