才能も無ければ美術家でも無かった
6月13日の『勉強と才能』という記事で、「才能が無いという欠落感のお陰でアーティストになれた」と言うように書いたが、ふと寝しなにとんでもないことに気付いてしまった。
ぼくは自分のことをアーティスト=美術家だと思っていたのだが、あらためて考えるとそれは勘違いの思い込みに過ぎなかった!
ぼくは「写真家・美術家」の肩書きを名乗っているが、それは自分自身が美術家ではないことを、無自覚的に認めていることの証拠なのだった。
それは写真家も同じであって、実のところぼくは写真家でも美術家でもない「何でもない人」に過ぎず、ただそのようなフリをしていたに過ぎなかったのだ。
いや、世間的に見ればぼくは「写真家・美術家」であり、その肩書きに相応しい活動をしていると思えるのかも知れない。
しかしそれは周りにそう思われて、自分もそう信じていただけのことで、実のところその「本質」を欠いていた。
と言うことを今更ながらに気付いたのだった。
美術家としての本質を欠きながら、どうしてこれまでアートコンペで賞を貰ったり、美術館で個展やグループ展が出来たり、作品集が出版できたのか?
と言えば、これがまさに「アートバブル」なのである。
いやぼくは金銭的にあまり儲けておらず、このバブルは「本質のバブル」と言えるものだ。
ぼくがこれまで「美術家」として評価され、それなりの活動の場を与えられてきたのは、実のところ「たまたま運が良かった」だけに過ぎないのだった。
「才能が無い」と失意のそこにあった自分が「超芸術トマソン」に出会いそれに夢中になれたのも、たまたま運が良かっただけに過ぎない。
超芸術トマソンの記録写真が、デビット・ホックニー影響を受けて「ツギラマ」になり、ツギラマがさらに立体に発展して「フォトモ」になり、それが世間で受けるようになったのも、たまたま運が良かっただけに過ぎない。
超芸術トマソンに始まる路上観察的な視点が、子供のころ熱中した昆虫観察の視点と融合して、そこからまた自分独自の写真表現が生じたのも、たまたま運が良かっただけに過ぎない。
つまりぼくは先日「自分には才能が無いと思っていたが、逆説的に才能はあった」というように書いたが、よく考えると、その才能が良い方向に働いたことも含め、全ては「たまたま運が良かっただけ」に過ぎず、美術家としての本質を欠いた「アートバブル」に過ぎなかった。
ぼくのように「美術家としての本質」を欠いた人間が、たまたま運が良かっただけで「美術家」になれてしまう現象が、ここで言う「アートバブル」だ。
若者ならではの勢いと直感が運気と結びつき、才能と実力が泡のように膨張する。
しかしそれはまさにバブルでしかなく、経済と同じくやがて破綻を迎える。
ぼくがふと気付いたのは「美術家は美術作品というモノを作る人のはずが、ぼくはモノとしての美術作品に、あまりに執着がなさ過ぎる」と言うことだ。
実のところぼくのフォトモ作品は紙製であり、しかも基本的には手のひらサイズの小品で、モノでありながらモノとしての存在を最小限に留めている。
もちろん、モノとしての美術作品は大きくて重ければ良いわけではないが、紙製のフォトモは経年変化に耐えられない。
それは後の時代の評価が得られないことを意味し、美術作品としては重大な欠点である。
だからフォトモは作品売買の対象にはならず、専ら「イベントとしての美術展」の出し物に使われたのだった。
いや、ぼく自身もフォトモが紙製であることの欠点を意識していた。
だからぼくはフォトモに永続性を持たせるため、フォトモを「本」として出版したのだ。
フォトモのパーツをバラバラにレイアウトしたペーパークラフトの本を出版すれば、「本の形式」において永続性を持たせることは出来るだろう。
ぼくが「非人称芸術」のコンセプトを打ち出しこれに固執したのも、紙製のフォトモ作品に永続性が無いことを、意識してのことだった。
赤瀬川原平の「超芸術トマソン」も、マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」も、作品無くしてコンセプトだけが語り継がれ、「非人称芸術」もそのつもりだったのだ。
しかし、あらためてデュシャン関連の本をあれこれ読んでみると、デュシャンはレディ・メイドだけの人ではなく、一方では「モノとしての作品」に非常にこだわる人でもあったのだ。
むしろレディ・メイドのコンセプトは、作品としてのモノにこだわる姿勢に、裏打ちされていると言えるかもしれない。
いやそもそも、デュシャンについて実作品を見ずに、図版を見て本を読んだ知識だけで語ろうとする態度が「美術家としての本質」を欠いている。
本当の美術家であれば、まず実作品を見なければ何を語っても無意味だと「直感」するはずで、それがないのは「モノとしての作品」を軽んじてる証拠である。
では、赤瀬川原平さんはどうかと言えば、「読売アンデパンダン展」などを経て「千円札裁判」までは確かに美術家だったが、その後小説家に転身し、「超芸術トマソン」は美術とサブカルとの中間であって、現在は完全にサブカルチャーの人になった感がある。
そのような転身が、赤瀬川さんの特質と言えるが、いかにユニークな経歴であろうとも、美術家として生を全うする人ではないのは確かだ。
だから、赤瀬川さんの提唱する「超芸術トマソン」を根拠に、新たな芸術の概念を構築することには無理がある。
それは芸術の「本質」を貫く道からは外れている、と言わざるを得ない。
そもそもぼく自身も、子供の頃から美術は好きだったけど、漫画やアニメや特撮などのサブカルも大好きだったのだ。
だからぼくは純粋に美術が好きだったのではなく、それどころか美術とサブカルとを混同して捉えてた。
世間でも、つげ義春の漫画『ねじ式』が芸術だと評価されたあたりから、芸術とサブカルが融合しはじめたと言えるかもしれない。
そして偉そうにしながら旧態依然とした芸術より、サブカル化した芸術は親しみやすく、新しく思えた。
その流れに「超芸術トマソン」もあったように思える。
つまりぼくが「超芸術トマソン」に惹かれ、それを発展させた「非人称芸術」を提唱したのは、偉そうにするだけで旧態依然とした芸術のあり方に対する反発であり、だからこそ「新しい」と思ったのだ。
しかし改めて考えると、この態度はちょっとおかしい。
「偉そうにしてる旧態依然の芸術」を否定し、「偉そうにしないサブカル化した芸術」こそが新しいとする態度は、結局のところ「偉そうにする」という相手の態度に惑わされているに過ぎない。
例えば、ぼくは自分の「才能の無さ」をカバーするためには、美術以外の分野である思想や哲学や宗教を学ぶことが必要であると、理解していた。
しかし実際ぼくが読んだのは「入門書」や「解説書」ばかりで、これらは偉そうでなく、分かりやすく書かれており「偉くない」自分にも理解できる。
しかしこの態度も、逆に言えば自分を「偉くない」と決めてかかっており、また「難しい原著や専門書は自分には読めない」と決めてかかっており、結局は学問の「偉そうにする」偽りの態度に惑わされているのだ。
しかし最近になって、プラトンの哲学書や、原始仏典や、論語や老子などを、原著(日本語訳)で読むようになり、それらは決して歯が立たないほど難解ではなく、しかも入門書や解説書とは全く異なる次元の「重み」や「圧縮」があり、現代人にとっても非常にためになる事が、理解できたのだった。
哲学や宗教の古典は、現代日本人が読んでも生きる上での重要な糧となる、その意味での普遍性が記されている。
これに対し、それらを平易な言葉に置き換えた入門書は、意味が限定的で薄っぺらで、原著の多義性や深みが抜けている。
原著が「ちゃんとした食事」なら、入門書はいわば「お菓子」に過ぎない。
時にはお菓子を食べることも必要だが、お菓子ばかり食べてると栄養が偏る。
しかしいわゆる「ちゃんとした食事」を「偉そうにしている」として非難し、人々から遠ざけているのが、思想や哲学など学問の世界だと言える。
そして同じことが芸術にも当てはまるのだ。
結局ぼくは、「偉そうにしない」思想や哲学の入門書を読んで、「偉そうにしない」からこそ新しい(と信じられる)サブカル化した芸術の最先端にいるつもりだったのだ。
しかし先の例に合わせて考えると、それは「ちゃんとした食事」を遠ざけ「お菓子」ばかり食べる態度であって「本質」から外れている。
サブカル化した芸術は自らを「偉くない」と規定し、結局のところ「腰が引けている」。
だから外見だけ取り繕ったつもりで良しとして、内実が空虚で、その意味でも「アートバブル」なのである。
そして運気に乗って勢い良く開花し、程無くして失速し、最後は泡と消えるのだ。
ぼくは自分が「美術家でなかった」事を発見し、落胆よりもむしろ喜んでいる。
それは老子が「器は空洞があってこそ用をなす」と説くように、自分に必要な「欠落感」なのであり、逆説的に美術家としての自分に必要なものだったのだ。
もし自分が「器を満たす」事を目指して芸術の探求をしていたなら、器が満たされた時点でその活動は終わってしまう。
サブカル化した芸術を「新しい芸術」と取り違え、その思いに満たされて終わるのだ。
しかしその「満たされた器」の内実が、実態の無い「アートバブル」であったと気付いた時、つまり自分がそもそも「美術家では無かった」と気付いた時、そこから初めて「芸術とは何か?」の探求を始める事ができる。
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コメント
無形文化財として扱われるような芸術を考えるとどうなのかと思います。
たとえば、世阿弥は「能」の基礎を作った人と言われていますが録画が残っているわけではありません、残っているのは伝承であってそれが世阿弥のオリジナルと同じなのか違うのか我々には判断不能です。
われわれに可能なのは残された著書「風姿花伝」などから優れた思想をもった演出家であったことを知ることだけです。
オリジナル作品が残って評価されることより技法や思想が評価されて受け継がれることの方が本質的なことだとぼくは思うのですがどうでしょうかね、世阿弥はそれまでの伝統を変えた人であって忠実な古典の継承者ではないわけです。
卓越した職人の恒久的な作品は魅力がありますが、生前には過大評価されていたけど後には見向きもされなくなった有名作家の恒久的なブロンズ作品などは撤去するにも困る世の中の迷惑以外の何ものでもないと感じます(名前は挙げませんがw)。
「芸術」や「美術」という言葉にはどちらも含まれるので分かりにくいのですが、ぼくはその後の人々の意識を変えるような作品であったかどうかで評価すべきだと思っているのですが、それを言い表す言葉を知りません。
投稿: 遊星人 | 2012年6月20日 (水) 19時51分
コメントありがとうございます。
>無形文化財として扱われるような芸術を考えるとどうなのかと思います。
「色即是空 空即是色」の教えによると、芸術の本質は「有形・無形」にあるのではない、と言えますね。
>オリジナル作品が残って評価されることより技法や思想が評価されて受け継がれることの方が本質的なことだとぼくは思うのですがどうでしょうかね、世阿弥はそれまでの伝統を変えた人であって忠実な古典の継承者ではないわけです。
イエス・キリストは、パリサイ人と呼ばれたユダヤ教徒を、「教義に忠実なようでいて、それを表面的に理解し、本質を欠いている」として批判しました。
そして、神の教えの本質を理解するなら、ユダヤの聖書に書かれた決まり事の一部を変える必要がある、と言うように説きました(今、聖書が手元になく、だいぶ意訳で申し訳ないですが)。
これは芸術にも当てはまるかと思いますが、伝統とは「生き物」であって、だから標本のように大事に閉まっておくだけでは、やがて死んでしまうわけです。
だから新たな生命を与えて「復活」させることが必要で、どの分野においても、そう言う歴史が繰り返されているのかも知れません。
>「芸術」や「美術」という言葉にはどちらも含まれるので分かりにくいのですが、ぼくはその後の人々の意識を変えるような作品であったかどうかで評価すべきだと思っているのですが、それを言い表す言葉を知りません。
人間の意識は「変えよう」という意志や決意がなければ、なかなか変わるものではありません。
ぼく自身が怠惰なので、なおさらそう感じるのかも知れませんが、人間はどれほど酷い目にあったとしても「喉元過ぎれば熱さを忘れる」性質があります。
ですから「意識を変えよう」という人間の意志に応えてくれる作品、と言うのは確かにあるだろうと思います。
逆に言えば、そのような意志のない人間にとって、優れた作品は見えないも同然であって、そこは自分も反省しなければなりません。
「風姿花伝」は未読なので、ぜひ読んでみたいです。
投稿: 糸崎公朗 | 2012年6月22日 (金) 13時55分