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2012年7月 7日 (土)

客観と主観

人間にとって、目の前の他人はそのすべてを知り尽くすことはできす、半分は自分の想像や思い込みで補完した、自分の創造物だと言える。
同じように目の前の「世界」も、純粋な客観として存在するのではなく、半分は自分の思い込みや想像によって創られている。

その意味で、人間は「世界」の創造主であり、人間の数だけ異なる「世界」が存在する。
だが、人それぞれの「世界」は全く異なるのではなく、ある程度共通項があり、それが「客観」と言われている。
しかし客観は常に限定的で、絶対の客観は存在しない。

例えば、三人の見解の一致から三人分の客観が生じ、三百人の見解の一致から三百人分の客観が生じ、三億人の見解の一致から三億人分の客観が生じる。
しかしどれだけ多くの人の見解が一致しようとも、客観は常に限定的であり絶対ではない。

つまりどれだけ多くの人々の見解が一致しようとも、人間の不完全な認識を想像や思い込みで補完している点において、個人的見解と違いはない。
見解の一致とは、想像や思い込みの一致でしかなく、客観的世界もまた人間の創造物なのである。

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思想・哲学・宗教」カテゴリの記事

コメント

主観と客観という言葉はもともとはSubjectiveとObjectiveの訳語なのだろうと思います、訳語の作者はたぶん西周でしょうね。
この場合、Objectiveは「神の視点(ロゴス的認識)に沿ったものの見方」ということだろうと思うので、現代の日本人の多くが「社会的に共有された他者の視点でものごとを見ること」と解釈しているように見えるのとは明らかに違うと思います。

ロゴス的認識は繰り返し再現する事象の予測には有効ですが、多元的な要素の小さな変動で大きく変動してしまう現象の予測にはあまり向いていません、理由は簡単で、それは多元的なロゴス(論理)を展開する能力がない人間の脳ミソ側の問題であって、おそらく現象側の問題ではありません。

このことを考えると、ユダヤ教が到達した「人間ごときに神の考えが理解できるわけがない」という謙虚なのか開き直っているのかよく分からない視点は自由度が高いなと思うわけで、ユダヤ系の優れた科学者が多いのは偶然ではないのかもしれないと思ったりします。


投稿: 遊星人 | 2012年7月13日 (金) 19時20分

コメント有難うございます。
実はこの記事ですが、一神教の神について書こうとして、途切れてしまっのでしたw
というわけで続きはそのうち書くつもりです。

投稿: 糸崎公朗 | 2012年7月13日 (金) 20時55分

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