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2012年7月 7日 (土)

言語と圧縮

例えば「水」と言う言葉には、飲み水、恵みの雨、海や川、鬱陶しい湿気、など様々に異なる意味が圧縮されている。
人類が水についての様々な経験を重ねるうち、それが「水」と言う言語に圧縮される。
だから「水」と言う言葉は様々な事物に適用可能で、だから「言葉が通じる」。

例えば「この水は冷たくて美味い」と言う場合、「水」と言う言葉に含まれてるはずの「津波の恐怖」などの意味は、圧縮され表面的には忘れ去られている。
でも津波を目の当たりにすると、その恐怖としての意味が展開し「飲み水」としての意味は圧縮される。
また、「水」という一文字と「水とはH2Oである」という説明では、前者の方が多義的で圧縮率が高い。
一般に「老子」などの古典は圧縮率が高く、古典を分かりやすく説明した入門書は圧縮率が低い。

言語の圧縮機能と、パソコンデータの圧縮技術は同じではない。
でも大容量ファイルが圧縮され、再び元データに展開できる技術は、言語の圧縮機能を思い起こさせる。
これを逆に考えると、言語の持つ圧縮機能がデータ圧縮技術を生み出した、と推測することも可能になる。

あるいは文章を校正する場合、重複した語句を統合整理したり、言い回しを工夫することで、文意を変えずに文字量を減らすことができ、この技術は画像圧縮技術に近い。
しかし例えば「老子」の冒頭「道の道とす可きは常の道に非ず」は、非常に多義的で奥深く圧縮率のレベルが違う。
言語にはそのような機能が備わっている。

データの圧縮は元データに展開できるのみだが、例えば「聖書」の圧縮された言葉は実にさまざまな意味に展開可能で、だから解釈の違いで争いになったりもする。
つまり言語の圧縮率、多義性の無理解があらゆる争いの元になる。
そのことは「聖書」にも示されてるはずなのだが、何故か虐殺が起きたり、進化論を教科書から削除したり、そのような「無理解」が生じる。
いずれにしろ重要なのは、言語の圧縮機能を認識することで、そうでないと言葉の表面に惑わされる。

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コメント

Twitterでも流しましたが、H2OでGoogle画像検索するとお姉さんの写真がいっぱい出て来てビビりますw Google的には予測と違った狭い意味に解釈されてるようですw

投稿: schlegel | 2012年7月 8日 (日) 11時46分

ホントだ、思った以上の状態で、ビックリしますw

投稿: 糸崎公朗 | 2012年7月 8日 (日) 12時07分

小難しい内容だと漠然としか分からないはずが、むずかしい内容でも分かった気分になる。

…これはすごい。

セロから輪ゴムマジックを習った子供の様な気分になる。

言葉や単語の中に意味を圧縮しながら生きるのが大人なんだなとは思うけれど、意味を込めていなくとも、誤解を受けることはあるので、どう交流をとるとよいのか、次第に分からなくなってしまうことがありました。

キリスト教では「イエスの生き方や教えを見習って、キリスト者として生きることを目指すこと」が大事なのだと解釈しているので、キリスト教に入信するのはむずかしいな、と自分なりに思ったりしています。

神父さまや牧師さん、シスター的な役割を目指して実践することではなく、多分、1人1人の意識の問題だから、宗教は段取り化させるべきではないのかも…と思ってみたり。

形ばかりにこだわりを持つ様々な宗教に同じことが言えるのかも。?
神への冒涜のつもりはなくとも…。

※長々と展開してしまってすみません……。

色々と考えさせてくれる、人生の圧縮ブログは、すごいと思います。

投稿: 閃いたこと(感想。) | 2012年7月21日 (土) 06時01分

コメントありがとうございます。

>キリスト教では「イエスの生き方や教えを見習って、キリスト者として生きることを目指すこと」が大事なのだと解釈しているので、キリスト教に入信するのはむずかしいな、と自分なりに思ったりしています。

ぼくはクリスチャンではないですが、実際に聖書を読むと、さまざまな「喩え話」が書かれており、喩え話だからこそ、今の世の中や自分に当てはめて、いろいろと考えることが出来るのです。
聖書だけでなく、古代中国の諸子百家や、古代インドの初期仏典も、さまざまな「喩え話」がされていて、ぼくの最近のブログもその影響を受けています。
聖書をはじめとする古典は思った以上に読みやすく、いろいろ読んで比較することをオススメします。

投稿: 糸崎公朗 | 2012年7月21日 (土) 09時50分

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