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2012年8月27日 (月)

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
子供の純粋な感性は素晴らしく、大人になって知恵を身に付ける毎にその感性は鈍ってゆく。
だから余計な知恵を身に付けないよう努力し、無知無能を守り通せば、純粋な感性が発揮され人気者のアーティストになれる。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
知識によらず自らの感性で考える人は、物事の本質をよく捉える。
難解な本をたくさん読んだ頭でっかちの人は、ただ遠回りをした挙句に道に迷っているに過ぎない。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
難解な書物をたくさん読み難しい言葉で語る人は、そうでもしなければ何も考えられない愚か者に過ぎない。
優れた人は知識によらず、自分の持って生まれた感性だけで、的確に物事を考え判断できる。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
難解な概念を難解な言葉で語る人々は、専門的な自己満足に浸っているに過ぎない。
真に頭の良い人は、難解な概念を平易な言葉に置き換え、より多くの人々に向けてそれについて語ることができる。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
余計な知識を得るほど遠回りになり、無知が一番の近道になる。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
偉そうなものには価値が無く、等身大の感覚にこそ真実がある。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
プロの仕事は高度だが退屈で、素人の稚拙な表現の中に自由と真実が宿る。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
知識は人を縛り付け、知識の無い人は自由人。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。
自分は自分の好きなものが好きで、自分にとって価値のあるものに価値があり、自分が正しいと思うことこそが正しい。

無知無能こそが全知全能である、という信仰が存在する。自分以外全員バカ。

多くの日本人の例に洩れず、ぼく自身も「無知無能こそが全知全能である」の信仰者だったのだが、それを「非人称芸術」というかたちで極限まで突き詰めたら、ヤリ過ぎで誰にも相手にされず、だから最近になって転向した、という経緯があるわけです。

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コメント

このページにはいくらかの真実と、それらを包み隠してしまう無意味な信仰の両方が例として挙げられている。

投稿: | 2015年11月 6日 (金) 03時53分

せっかくコメントいただいたのに、お返事遅れてすみません。
ちょっと前の記事ですが、我ながらなかなか良いことが書いてあると思います(笑)
たまには自分の書いたものを読み返さないといけないですね。

投稿: 糸崎公朗 | 2016年2月19日 (金) 09時17分

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