責任と理屈
思い起こせば、以前の自分は人間がどこまで愚かなのかを知らず、想定外に愚かな他人を目の前にし狼狽していたが、つまりそれは自分自身の愚かさを知っていなかった、と言うことなのであった。目の前の他人の愚かさは、自分自身の愚かさの反映でしかないのだ。
失敗の原因を、他人のせいにできるのなら、他人のせいにしてしまった方が良い。そして他人に預けていた責任を、自分が引き受ければ、万事は上手く行きはじめる。
仕事上、相手のおかしなペースに振り回されていると感じる時、責任を負うつもりの無い人に、責任を預けている場合がある。こんな時、相手から責任を奪い返せば仕事は上手く行き、相手からも感謝される。
物事が上手く行かない時、責任を誰かに預けていて、その誰かが責任を果たしていない場合がある。そんな時は責任を取り戻し、自分が責任もリスクも負うことにすれば、気が楽になるし万事か上手く作動しはじめる。
犬に吠えられて、これに対し本気で吠え返す人は人間では無い。そして犬のように吠える人と、これに対し本気で吠え返す人とが存在するのである。
犬に理屈で諭して芸をさせようとする人は愚か者である。理屈が通じない相手に、理屈で諭して頼み事をする人も愚か者である。
理屈の通じない相手に理屈で諭すのは、自己満足の独り相撲でしかない。
理屈に囚われている人に理屈は通じない。理屈に囚われない人だけが、相手の理屈を受け入れる能力を有している。
理屈に囚われてる人は自分の理屈に囚われているだけであり、そしてあらゆる物事を見落とす。自分の理屈に囚われない人だけが、相手の理屈を理解できる。
自分を殺すことと、自分を押し殺すことは違う。自分を押し殺して我慢しても、後で怒りが湧いてくる。しかし自分を殺して新たな自分に生まれ変われば、無駄な怒りも消滅し、穏やかな気持ちで物事に対処できるようになる。
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コメント
短編小説を読んでいるようで楽しいです。
遠近法がよくわからなかったので、建物の絵はダメだなと、美術の時間に思ったものですが、難しい文章を読み解くのも苦手なのですが、糸崎先生のブログは、結構お気に入りだったりします。
私はまだネットマナー的なものだったり、ネット上の個性なりキャラクターなり、見せたい自分を継続させる方法がよく分からないのですが、いつも更新を楽しみにしています。
投稿: 感想 〜(・∀・) | 2012年8月11日 (土) 20時25分