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2012年9月27日 (木)

多様性の時代

価値観の多様性を認めることは、自分は相手の価値観を認め、相手は自分の価値観を認めない、という不均衡を容認することに他ならない。
そのためには自分の無知無能をよく自覚し、空虚を拡大し、器を大きくしなければならない。

他人へのちょっとした気遣いが足を引っ張る。

価値観が多様な人間関係において、同調バイアスは足の引っ張り合いとして作用する。

価値観が多様化した時代は、各自の価値観が違っているのであり、つまり各自の気が違っているのであり、すなわち各自がそれぞれキチガイのキチガイだらけで全員が気が狂っている。
キチガイに腹を立てても仕方なく、優しく接するべきだし、自分がキチガイとして他人に迷惑かけないよう、優しく接するべき。

価値観が多様化した現代において、価値観の多様性を容認するキチガイと、価値観の多様性を容認しないキチガイの二者だけが存在し、自分は正常だと自覚する人は後者に含まれる。

「正常」がどこにも「ない」のであれば、優しくなるしかない。
優しい人は他人独自の「正常な時間」を尊重し、干渉することをしない。
自分こそが正常だと信ずる者は、ちょっとした気遣いにより大いに干渉し足を引っ張る。

他人の価値観を認めることの基本は相手を無視することで、若者の多くがこれを心得ているのであり、対応しきれない親世代が怒り叫びまくる。

相手固有の価値観を認めることとは、相手を無視することで、そこから様々な人間関係が生じる。
無視できない人は「あの人は間違っている」という思いに固執する。

自分が間違っているのではなく、相手が間違っているのではなく、価値観の多様性が存在するだけ。

価値観が多様化した時代に間違いは存在せず、常識の違いの身が存在する。

命令の実行にはバグが付きもので、バグを減らす努力と、バグに目くじらを立てる事とは違う。

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コメント

今、糸崎先生が、イイこと言った!\(・∀・)/

投稿: (・∀・) | 2012年10月19日 (金) 18時51分

返信遅れましたが、ありがとうございますw

投稿: 糸崎公朗 | 2012年10月26日 (金) 17時41分

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