認識と苦悩
他人に流され認識を怠ると津波に流される。
人間の視界は過去は見えても未来が見えない。人は目の前に広がる深い霧に、過去の幻影を映しながら歩んでいる。
深い認識は深い苦悩として現れるのであり、苦悩が無いのは認識を欠いている証拠だと自覚しなければならない。
あらゆる苦悩は、より深いレベルでの苦悩に移行することでしか解消され得ない。故に多くの人が苦悩の解消を拒み、現在のレベルの苦悩にこだわり続ける道を選択する。
あらゆる悩みはより深い悩みに移行することでしか解決し得ない。そのようにして、いよいよ自殺するしか無いところに追い込まれる地点から、初期仏典で解かれるところの解脱が可能となる。
語りえぬものについては、沈黙して調べなければならない。
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