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2012年9月30日 (日)

言葉の裏と言葉の意志

例えば、他人への悪口や褒め言葉は、実はいつでも自分に向けられている。
人は自分の欠点や自惚れの気持を折り返し、他人に向けて語る。
このように、言葉には表の意味と裏の意味とがある。

人は言葉を使っているようで、その実言葉に使われている。
人は意識の上で本当の自分の気持を知らず、自分が何者かも知らず、言葉の意味も知らずに言葉を使っている。
言葉を使う人の表面的な意志の向こう側に、言葉そのものの自律した意志を読むことができ、それが言葉の裏の意味となる。

だから他人と会話する時は、その人と会話しているのではなく、その人の向こう側の言葉の自立した意思そのものと会話するつもりで臨まなければ、多くの意味を読み落としてしまう。
俗に言う勘の鋭い人とは、個人を超えた言葉そのものの意志を感知する能力に長けている。

多くの人は、表面的には常に何らかのウソをついている。
このウソをつく主体であるところの言葉の自律性と会話しなければ、真のコミュニケーションは成立しない。

人間は常にウソをついているが、自分ではウソをついている自覚は全くなく、自律した言葉の意思のみがそれを知っている。

例えば、多くの人が抱く嫉妬心は、これがくだらない感情であることは、理性的な人間であれば誰もが心得ている。
だがそう思いながらも、自分の理性に反して嫉妬の感情が沸き起こるのは、それが言葉の意志なのである。
言葉はそれ自体が自律した意志を持ち、人の理性を侵食し感情を支配する。

人間は、自律した言葉というシステムの端末にすぎない。
端末と本体とを取り違えることは滑稽でしかない。
人は、そのようなミスを恒常的に犯すよう、言葉のシステムによって仕向けられている。

人間の言葉の根幹にあるのは「態度」であり、言葉は態度のバリエーションとして人の口から発せられる。
だから相手が自分に向けたメッセージが何であるかを知るには、言葉だけではなく、言葉を含めた態度全体で判断する必要がある。

「自分」というものは複数の他者に分裂している。
例えば言葉を発する自分と、態度で示す自分とが、別人であることがしばしばある。
他人の場合も同じであり、一人の人間は複数の他者の束として捉え、言葉を含めた総合的な行動としてそのメッセージを判断する必要がある。

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コメント

うーん。
難しくて、よく分からないのです。

自分の中の同じ部分が他人の中にある訳じゃなくて、
他人の中を感覚を把握できるけれど、自分の中からは、普段排除している場合とか・・・・
近づく事や知る事で、伝染するとか・・・・

モヤモヤしてる人の気持ちを説明すると、モヤモヤしてる人は楽になるけれど、
説明した側は大抵が変な人扱いを受けて、損をするんだなー・・とか、
感覚では分かるけれど、難しいのです。

本音とタテマエで、タテマエや、自分を装う嘘を多用している人とかは、
「バレていない」と思っているのだか、どう付き合っていったら良いのかが
分かりにくいなーと、常々思います。

知らないフリをしてあげる人が大人かどうかといえば、違うような気がするし、世の中は謎でいっぱいに思います。

投稿: (・∀・) | 2012年10月19日 (金) 13時41分

あと、
古い時代の自分のご先祖様方の束とかではなく、
「最近死んだ知らない老人や遊び足りない老人やワガママな老人や利己的な老人の束」にくるめられたりでもしたら…
それは何かイヤだなぁ…←とか、何となーく思いました。

投稿: (・∀・;) | 2012年10月19日 (金) 13時56分

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