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2012年10月 8日 (月)

承認とストレス

他者の承認を得られない事がストレスになる。

自分はなぜ他者に承認を求めなければならないのか?目の前の他者は、自分の承認を得るに足る人物なのか?目の前の他者は自分の承認の基準となりうるのか?自分の承認は自分自身でしなければならないのか?なぜ自分の承認より、相手の承認を信頼するのか?

他者の承認を得られない事がストレスになる人は、自分で自分を承認することができず、だから他者に承認を求めるようになる。
自分で自分が信頼できず、自分よりも他者を信頼し、その他者に自分が信頼に足る人間であることを、認めさせようとしているのである。

願望は認識を曇らせる。
だから他者の認識を得ようとするのは間違いで、誰が自分の承認を拒否するのかを認識し、観察する必要がある。
誰が自分を軽んじ、蔑み、嫌悪し、差別し、誤解し、成果を認めず愚者と決めつけているのか、その事実を事実のまま発見し、観察する必要がある。

最も重要なことは、自分を軽んずる他者を観察するとともに、他者を軽んずる自分を発見し、これを観察することである。

我慢して他者の言いなりになり、ストレスを溜めても意味はない。
我慢するのは自分の「思い」に囚われているからで、その思いとは「思いの原因となる他者」の言いなり状態に他ならない。
この状態を観て、究極のリラックスによって全てを「他者の言いなり」に任せることで、あらゆるストレスは消え去る。

「他者の言いなり」に行動すると、その結果どのように失敗しようとも、自分で責任を負う必要がなくなり、ずいぶんと気が楽になり、どんどん行動できるようになる。
自分の思いのままに他人を動かすと、他人の行動の責任まで自分が負うことになり、そのプレッシャーがストレスとなり行動も萎縮する。

「他者の言いなり」に行動すると、その結果どんな失敗がもたらされようと、自分は一切責任を追う必要がない。
一方、命令を下した他者は、自分の犯した失敗に慌てふためきストレスを溜める。

他者に軽んぜられたり、誤解されたり、才能や成果が認められなかったり、無視されたり、そのように承認されないことが、ストレスの要因となる。
しかし「他者の承認を求める」という欲求は、多くの場合自覚されずに抑圧され、知らぬ間にストレスを溜め込むことになる。
だから「自分は今、他者の承認を求めている、他者の承認を求めている、他者の承認を求めている…」と呪文のように唱えると、他者の承認を求める気持ちが消え、ストレスも消え去る。

「他者の承認を求める」という欲求は、自覚しないからこそストレスとなる。
「他者の承認を求める」という自分の欲求を自覚し対象化すれば、「こんな相手に承認を求めても仕方が無い」あるいは「こんな事で誰かに承認されても仕方が無い」ことが理解でき、ストレスを溜めることもなくなる。

自分自身の「他者の承認を求める」欲求は、相手の「他者の承認を求める」欲求と対になっている。
つまり、自分が相手に承認して欲しいのと同様、相手も自分に承認を求めている。
そして時として、「相手の承認を拒否する」ことと、「相手に自分を承認してもらう」こととが結びついている場合がある。

相手がダメな人間であるからこそ、自分が優れた人間であると自覚できる場合がある。
その思いが高じると、自の優秀さを自覚したいがために、相手にダメ人間であって欲しいと望むようになる。
そのような人は、つまりは相手にダメ人間であって欲しいという「言いなり」を求めている。

自分の事を軽んじたり、誤解したり、無視したり、そのような相手は自分に「言いなり」を求めているのであって、だからいくら弁解し誤解を解く努力をしても意味がなく、余計ストレスを溜め込むことになる。

自分の事をダメな人間だと軽んじている相手は、そう思いたい事情があるからそうしているのであって、そんな相手は自分の承認を得てもらうだけの価値のない人間で、だから余計な弁解などせず、相手の言いなりになって、そう思わせておけばいいだけの話である。

ストレスの原因は、自分自身の無自覚な「力み」にある。
この「力み」の存在をよく観察し、その根源を見抜くことができれば、究極のリラックスによりあらゆるストレスに対抗する消力(シャオリー)を体得することができる。

自分より優れた(と思える)相手に自分の自由を預け「言いなり」になることは、確かに楽だしストレスもない。
対して自分より愚か(と思える)人間の言いなりになることが、ストレスになる。
それを反転し、積極的に愚か者に自由を預け、言いなりになるという技が必要となる。

優れた人間の言いなりになるファシズムへの心酔も、愚者の言いなりになるストレスの発生も、ある種の盲目性から生じる。
だから自分の愚かさを見据え、他者の愚かさを見据え「愚者の言いなり」という人工的な技の開発に至る。

ストレスは心と体に来るのであり、両方の対応策は必要である。
とりあえず他者の言いなりに体を動かせば、心身共にスッキリする。

他者の言いなりになることは、他者をコントロールする技でもある。
ストレスで他者に振り回されるのは、コントロール以前の問題である。

自分を軽んずる相手に腹を立てる人は、実は相手に同調し、自分自身で自分を軽んじている。

自分を軽んずる他者に腹を立てる人は、実は他ならぬ自分自身で自分を軽んじているのであり、それをごまかすために日頃からに別の他者を軽んじており、それを見抜かれ指摘されたことに腹を立てている。

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