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2012年11月

2012年11月22日 (木)

永遠の生命と詐欺師

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フロイト的に言えば、人は言葉ではなく態度によってメッセージを伝える。
例えば「あんたは詐欺師だ」と他人に言われた人は、自分にそのつもりはなくとも、態度によって「私は詐欺師なのです」と先に宣言していたのである。

詐欺師は他人よりもまず自分自身を巧妙に騙す。
自分で自分を騙し、嘘の自分を信じ込まなければ、他人を騙し詐欺を働くことはできない。

詐欺師の嘘は「永遠の生命」に通ずる。
詐欺師は、人間には永遠の生命があるかのように自分自身を騙し、そして他人に対し同様の詐欺を働く。

詐欺師には善悪の区別がなく、また後先考えずに詐欺を働く。
詐欺師が信ずる「永遠の命」には生と死の区別がなく、従って善悪の区別もなく、後先の区別もない。
そのように詐欺師は、自分に騙されながら破滅へと導かれる。
フロイト的に言えば、人は誰でもオレをオレが騙すオレオレ詐欺なのである。

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段取りと永遠の生命

他人のアドバイスは信用できない。
なぜなら人は、自分に出来ないことを他人にやらせようとしてアドバイスするからである。

他人の観念的なアドバイスに振り回されるほどバカバカしいことはない。
観念だったら何とでも言えるのであり、それには何の実効性もなく、従って無意味でしかないのだ。

自分の欠点は分かりにくいのに、他人の欠点はよく分かる。
と言うのは嘘であり、人は自分の欠点を、他人と言う鏡に映して見るのである。
つまり人は他人の欠点を見ることが出来ず、自分の欠点を知るのは自分のみなのである。

・・・などと思っていたら、またしても段取りを間違えてしまったのだが、すっかり自分に騙されてしまった。
このように、つねに自分は自分を騙し破滅に追い込もうとするのであり、よくよく気をつけなければならない。

自分は一切信用できず、信じられるのは「段取り」だけ。
自分は「永遠の生命」を夢見るが、段取りは自分の命に限りがあることへの自覚から生じる。

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反芸術と反父親

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最近、またいろいろ分かってしまったのだが、先日、個展開催中の大宮盆栽美術館に実家の母と、亡くなった父の友人の菊池さんがきてくれた。
それでぼくはこの二人に、亡くなった父について、改めていろいろと聞いてみたのだが、実のところぼくは自分の父親がどんな人だったのか、ほとんど知らずにいた。

もちろん父の仕事や人となりの概要くらいは知っていたが、逆にいえばそれ以上のことは何も知らずに済ませてきた。
と言うのもぼくは父親と折り合いが悪く、嫌悪と軽蔑と畏怖の対象であって、自分が大学時代に自殺したと知った時も、特になんの悲しみも生じず、むしろザマーミロ的な気持ちになっていた。

有り体に言えば、ぼくは父親を嫌って反抗し続けてきたのだが、ふと気が付くと、実が父親がどんな人で何をしてきた人なのかほとんど知らないまま、嫌悪し反抗していたのだった。
これは実のところ、ぼくの「芸術」や「写真」に対する態度と全く同じなのであった。

ぼくが提唱する「非人称芸術」は、いわゆる人称芸術を全面否定した「反芸術」の思想なのだが、しかし実のところぼく自身「芸術」についてよく知らないままそれを嫌悪し否定していたに過ぎなかった。

「フォトモ」や「ツギラマ」など独自の「反写真」的表現も同じで、実のところ「写真」とは何かをろくに知らないまま嫌悪し、否定していたに過ぎなかった。
自分の父親を嫌うことは、どの家庭でも有りがちだろうし、自分が嫌いな父親について何も知りたくない気持も自然なものと言えるだろう。

しかし、そのような父親に対する態度は自分の中でパターン化し、世界に対する様々なものの見方、接し方に深く影響を与える。
そう考えると、ぼくの「非人称芸術」も実は「父親への反抗心」の変奏曲に過ぎなかったのだ。

いや、自分の父親に反抗する事も、既成の芸術を否定する事も、一概に悪い事だとは言えず、むしろ芸術家にとっては必要な資質だと言えるだろう。
父親に従順なだけの子供は父親を越えられないし、既成の芸術に従順な作家は既成の芸術を超えて大成する事が出来ない。

だが父親が何者であるかを知らず、芸術が何物であるかを知らずして、闇雲に反抗してもそれらを超える事は叶わない。
そして、子供の行く手に父親が立ちはだかるように、芸術家の行く手には芸術が立ちはだかる。
芸術とは「偉大なる象徴的な父」であり、よく認識してそれを乗り越えなければならないのだ。

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2012年11月21日 (水)

「正しい人」と「罪人」

世の中には「正しい人」と「罪人」との二種類がいる。
正しい人は正しいと自覚するが故に学習せず、反省せず、悔い改めず、自らの正しさを主張して譲らない。

正しい人は正しさの基準を自分に求め目の前の他者を裁く。
罪人は正しさの基準を大文字の他者に求め大文字の他者によって裁かれる。

正しい人は罪人を憎み、罪人は正しい人を愛する。
正しい人は犬猫を哀れむことなくこれを愛し、罪人は正しい人を哀れむことなくこれを愛す。

敵を知れば敵に勝つことができるし、敵を愛することもできる。
なぜなら未知の敵は恐怖と憎悪の対象だか、よく知る敵は自分の思うがままの存在となるからである。

敵を知れば敵に勝てると『孫子』には書いてあるが、さらに敵を知り敵を愛せばその人は最強になれる。

ビジネスにおいては、敵をうち滅ぼせば共倒れ、敵を愛せば共存共栄できる。
あなたの敵を愛しなさい!

嫌いな人を排除するのではなく、嫌いな人を取り込み、パートナーとすることでビジネスは成功へと向かう。
なぜならビジネスの基本は相手をよく知ることにあり、しかし人は嫌いな相手の事は知りたいとは思わず、だからこそ嫌いな相手を良く知ってビジネスに取り込む事が有効なのである。

あなたの敵を愛せば、あなたは敵に勝利できる。
愛することが勝利に結びつくのではなく、愛することがすなわち勝利なのである。
相手に嫌われながら一方的に愛する者は一方的に勝利し、相手を嫌いながら一方的に愛される者は一方的に敗北する。

すべてを愛する人はビジネスにおいて無敵の勝利を得る事ができる。

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