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2012年12月27日 (木)

河原乞食とインサイダー

何かを分かろうとする態度は間違っているのであって、そこには「何事かが分かり得る」という前提があり、それが間違っているのである。
例えば書店や図書館に行けば膨大な本が置いてあり、一生かかってもそのすべてを読むことはできない。

まして古今東西の書物の量は途方も無く、自分がいくら本を読んだところで、知ることができるのは常に何事かの氷山の一角に過ぎず、これを持って何事かを分かったつもりになることは到底できない。

だからと言って何も知る必要など無い、と言う事でもないが、いや、知れば知ったで何事かが前進するのであるが、その歩みはナメクジの様にのた〜っと遅過ぎで、地べたをのたくるだけであり、これが果たして前進と言えるのかどうかは不明なのだが、いやこれは世間の人を指してるのではなく、自分のことを言っているのである。

自分は世間の落ちこぼれだという前提があって、だから世間の人々は皆優秀で、自分だけが劣っているのであり、そこにぼく自身の芸術の根拠がある。
芸術家にもいろいろなタイプがあるだろうが、ぼく自身は典型的な河原乞食タイプで、世間に対するアウトサイダーなのである。

友人のアーティスト達からは「糸崎さんは無駄な事で悩んでる」と思われてる様だか、インサイダーな立場からは確かにそう見えるのかも知れない。
ともかくもナメクジの様に這って、行けるところまで行って、そこで死ぬしか無いのである。
スタートが遅れ、歩みも遅く、世間に反して余計なところを迂回して、絶望の中で歩み続ける他は無い。

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