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2013年1月10日 (木)

宇宙の全てとアヒルの神様

会田誠展の感想というか、これを観て自己反省する続き。

会田さんの作品は、芸大時代の神秘体験が根拠になっていることを改めて知ったのだが、これもずいぶん大きな収穫だった。
それは『河口湖曼荼羅』という作品に描かれているが、本人の解説によると、本来は描くことも言葉にすることもできない体験だそうで、ともかく突然として「宇宙のすべてが分かってしまった」なのだそうだ。

会田さんは美大時代、友人の車に同乗して河口湖畔の山道を登ってたところ、突然「宇宙のすべて」が分かってしまうという、それ以上言葉にできないような神秘体験をし、それ以来、芸術作品と哲学的思考を結びつけるようなことはしない、と決めたそうだ。

つまり会田誠作品は、彼独特の宗教観に基づく宗教美術という側面を持つ。
そして何を隠そうぼく自身も、実は会田さんと似た神秘体験があったのだ。

ぼくの神秘体験は美大卒業後しばらくしてからだが、埼玉県志木市の住宅地を歩いていたら、玄関先でアヒルを飼っている家があったのだった。
そしてその数ヶ月後だったか、バイトで派遣された板橋区の何処かの街で、またしても庭先でアヒルを飼っている家があったのだ。

そして、そのように別々の場所で飼われた二羽のアヒルを見て、ぼくは突然「神は存在する!」という事が分かってしまったのだった。
いや別にアヒルが神だったわけではないのだが、ともかくアヒルを通して「神」の存在をありありと感じたのだった。

と書くと、自分でもアホらしく思えてしまうが、それがどういうことなのかそれ以上の言葉ではなかなか説明できず、この点で会田誠さんの神秘体験と似ている。
もちろんぼくの体験と、会田さんの「宇宙のすべてが分かってしまった」体験とはニュアンスが異なる。

ぼくが体験した「神は存在する!」という感覚は、つまりは「認識の外部が存在する」という明確な実感でもあった。
人間は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、の五感で「世界」を認識するが、逆に言えば五感で捉えられない「認識の外部」も存在する。
これが抽象的な理屈としてではなく、ありありとした「実感」として体験できたのだった。

そして五感でキャッチ出来ない「認識の外部」がつまりは「神」なのだと、その時はそう思ったのだった。
「認識の外部」は文字通り人間には認識し得ないが、しかし認識世界には時として「認識の境界面」が立ち現れ、それが「神」として認識される。
だから「神」は遍在し、一つであり同時に多数なのだと考えた。

ぼくは当時、これを説明するために、円筒形を二次元平面に投影するモデルを考えてみた。
まず平らな紙の上に、茶筒のような円筒の物体をかざし、上からライトで照らす。

すると紙の上に円筒の影が投影されるが、その影は円筒の角度によって四角形、円、楕円、などの形に変化する。
つまり、三次元空間では「一つのもの」である円筒は、二次元平面では四角形、円、楕円、などの「異なるもの」として立ち現れる。

以上のモデルの二次元平面は「認識世界」、三次元空間は「認識の外部」に相当する。
円筒形の物体は「神」であり、投影される影が「異なる姿で立ち現れる神」であり、「遍在する神」である。

例え「神」が「一つの神」であっても、人間の認識世界には必然的に「神々」として立ち現れる。
そして「神」は教会などの中に存在せず、アニミズム的にどこにでも存在しうるのだ。

そして当時のぼくは、「芸術」というものも実は「神」と同じく、「認識の外部」の存在であると考え、それを「芸術そのもの」と仮に名付けたのだった。

人間の認識世界に立ち現れる個々の芸術作品は、認識の外部の存在である「芸術そのもの」影に過ぎない。
いや、影というより「認識世界」と「芸術そのもの」とが接触した「境界面」が、すなわち人間が認識する「芸術」なのだと、当時は考えたのだった。

認識世界における「芸術」が、認識の外部である「芸術そのもの」の影であり境界面だとすれば、「芸術」はいわゆる芸術作品としてだけではなく、様々な形で、様々な場所において立ち現れる可能性がある。
そしてそれが、芸術作品の外部である路上に芸術を求める「非人称芸術」の根拠になっているのだった。

当時のぼくは、橋爪大三郎『はじめての構造主義』などの影響も受けていたのだが、構造主義によると認識とは言葉であり、人間は様々な事物を言葉で言い当てながら、自らの認識世界を構築する。
逆に言えば、人間はただ言葉によってのみ、何もないところから存在を生み出す事ができる。

例えば目の前のアヒルに「これは神である」という言葉を投げかけると、それはアヒルを超えた「神」として立ち現れる。
「鰯の頭も信心から」とはまさにこのことで、当時のぼくが考える「神」とはそのように偏在し、言葉によっていかような姿にも立ち現れる「神」であった。

そして同じように、路上の一角に「これは芸術である」という言葉を投げかけると、目の前の対象物が何であれ、それを超えて「非人称芸術」が存在として立ち現れるのだった。
そのような感覚で、ぼくはひたすら路上を歩き回っていたのだ。

と、以上のように、自分の宗教観とそれに基づく芸術観をあらためて書いてみたのだが、今のぼくからはどうにも根拠が薄弱な、子供じみた理論に思えてしまう。
「神」とか「芸術」とか「構造主義」についてよく知りもしないのに直感だけで理論を組み立てると、このような結果になるのも当たり前だと言える。

しかし、当時のぼくにとって自分の得た直感はなかなか強烈なもので、だからついそれを絶対視してしまったのだ。
だが会田誠さんの神秘体験も、ぼく自身の神秘体験も、それ自体は無価値ではないとしても、それを根拠に芸術観や世界観を構築する事には無理がある。

会田誠さんについて言えば、彼は「宇宙のすべてがわかった」と言いながら、結局は難解な哲学が分からず「哲学が分からない」こと自体をテーマにした作品を制作している。
哲学に限らず、会田さんは何をテーマにしてもイデオロギー的で、それは具体的に何も知らないことの現れだと、前回の記事に書いた。

そして会田誠さんと同じように、ぼくの提唱する「非人称芸術」も、非常にイデオロギー的で具体性に欠ける側面があったのだ。
結局のところ、直感を軸に理論を構築しようとすると、知らないことはイデオロギーで補うことになり、全体としてイデオロギー的にならざるを得ない。

他人を見れば分かるのだが、イデオロギー的な人ほど自分はイデオロギーとは無縁だと思っている。
もちろん他ならぬ自分自身が、多分にイデオロギー的なのである。

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