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2013年3月

2013年3月30日 (土)

選択と失敗

●最良の選択にこだわり選択に時間をかけるとチャンスを失う。
そのような思考パターンに陥ってる人は「失敗を恐れない」という心構えでは足りず、むしろ積極的に失敗を選択することを心掛けるべき。

● 何をどう選択しても人はいずれ死ぬのであり、その意味でどのような選択をしてもそれは失敗に終わるだけであり、だから正しい選択をしようと迷うことは時間の無駄でしかなく、むしろ積極的に失敗を選択するよう心がけるべきなのである。

●あらゆる選択肢の内、失敗の可能性のあるものを積極的に選択すること。
時間短縮の極意はここにある。

●先人の失敗に学ぶこと。
偉大なる先人は、失敗を避けて成功を目指しているのではなく、失敗を内包しながら完成を目指すのであり、この点を見逃してはならない。

●失敗を恐れるあまり時間をかけすぎること自体が最大の失敗であり、そのような場合はわざと失敗に終わらせて早目に切り上げること。

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2013年3月29日 (金)

凡庸と希少

あらゆる凡庸と思えるものには固有の希少価値がある。
という考えは妥当なのか?と考えると、それは少なくとも「希少」という概念が転倒して使われているのであり、つまりあくまで「凡庸なものは希少価値がない」という考えを前提にしている。

「あらゆる凡庸なものには固有の希少価値がある」というイデオロギーは、「凡庸なものには価値がなく、希少なものに価値がある」という価値観を前提にしている。

凡庸なものに希少性がある、という価値観は、普遍ではなく主観に基づく価値観であり、つまり普遍と主観とは転倒の関係にある。
そもそも価値とは希少価値であり、醜いものより美しいものの方が、無秩序なものより秩序のあるものの方が、より凡庸でなく希少価値が高いはずである。

ところが客観的にいかに凡庸であっても、初めて目にするものは主観的には希少性があるように思えてしまう。
その逆に、一見凡庸なものの中から、真に希少性のあるものを見出すには、ある程度以上の経験を積み、相応の客観的視点を身につける必要がある。

つまり第一の原理は、「自分の感覚は当てにならない」と言うことなのだが、これを理解する事自体がなかなか難しいのだ。

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キャラの変え方

そろそろFacebook用のキャラを変えたいのだが、どうしていいのかよく分からない…問題は、アーティストとしてキャラが立っておらず、無個性で大人し過ぎ、ということなのだが、そもそもFacebookではそういうキャラを意図的に目指してたのだから仕方が無い。

Facebookと言うのは、ぼくが見たところでは世間体の場であって、だからそういうのが鬱陶しいと思う自分としては近づき難いものがあったのだが、しかし自分の作品『反ー反写真』と同じく、世間体に反発する自分を反転し、世間体的なキャラでFacebookに参加しようと思い立ったのだった。

世間体的なキャラで行こう!と一度決めるとこれが意外にも自分でできてしまうので面白いのだが、分かった事の一つは、世間体的に振る舞うとは、様々なカギをかける事なのだ。

そもそもぼくがFacebookに参加しようと思ったきっかけは、2011年5月だったか知人の写真家に「Twitterは放射能の話ばかりでウンザリで、その話題のないFacebookに避難している」と言われたことだった。
これを聞いてはじめは呆れたが、程なくこの考えに倣う事にしたのだ。

つまりFacebookに参加する際は放射能の話題には鍵をかける。
それ以外にも多くの人が嫌がる話題や、真面目な議論、本質的に突っ込んだ議論にも鍵をかける。
様々な事柄に鍵をかける事で世間体は成り立ち、それを自ら実践し体験するためにFacebookに参加することにしたのだった。

様々な事柄に鍵をかける世間体と言うものを体験するためにFacebookに参加してみたのだが、段々に慣れてそれが板に付いてくると、ミイラ取りがミイラになって、世間体から抜け出すことに対し鍵がかかってしまう。
あくまでFacebook上のキャラなのだが、その性格を変えるには抵抗がある。

まぁ、Facebookは人によってタイムラインの様相は違うし、少なくともぼくのタイムライン上でみる限り今や放射能の話題も解禁になっているようだが、ともかく世間体として振る舞う「実験」はもう納得したので終えても良いのだが、世間体に染まるとそこから抜けるのが怖くなるのだ(笑)

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2013年3月21日 (木)

以下、【彦坂尚嘉 Naoyoshi HIKOSAKAの《第163万8400次元》 e-learning ArtStudies】からの引用です。
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糸崎公朗個展
第138回気体分子ギャラリー『月水金オークション』


糸崎公朗というアーティストは、「フォトモ」や「ツギラマ」といった独自のネーミングによるフォト・コラージュの作品を展開してきています。

S-img102.jpg

「糸崎公朗」でgoogle検索すると、なんと22万件もヒットします。これは現代アーティストとしては、たいしたものです。糸崎公朗のフォトモの展示会場を見ると、観客がフォトモにひきつけられて、その吸引力は素晴らしいのです。作品の小ささが持つ《縮減効果》の力が凄いのです。

S-img101.jpg

糸崎公朗の作品には鑑賞構造があって、そして《原芸術》《芸術》性があって、評価できるものです。しかし紙工作物ですから、壊れやすく、強度がない。強度というのは、芸術を成立させる上で重要なのですよね。糸崎公朗の作品は強度に欠けている。ではどうするのか?

以下オークションに続きます。こちらをクリックしてください。

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2013年3月14日 (木)

麻薬と脳内麻薬

●どこで読んだのか忘れましたが、麻薬とはなんの理由もなく快楽だけが単独で得られる手段だと誰かが指摘してて、納得したことがあります。
そもそも人間は、苦しみしみに耐えたり、何事かを達成した時など、脳内麻薬が分泌され、それを外部から取り入れる手段がいわゆる麻薬なのですね。
だから麻薬で得られる快楽には理由がない。
一方でぼくは虫を見ては脳内麻薬が放出され、それをカメラで撮る時にも脳内麻薬が放出され、画像を「作品」に仕上げ発表する時にも脳内麻薬が放出される。
と考えると、ぼくは外部からの麻薬摂取の必要はないし、原因もなく結果だけもたらされても虚しいだけなのです。

もっとも、脳内麻薬が得られる「原因」に、果たしてどれほどの意味があるのかは不明で、どんな努力も突き詰めれば無意味で虚しいと言えてしまうのかもしれません。
しかし、原因と結果には、そこに至るまでの複雑な「関係」があって、人間とは関係を求める存在でもあって、関係そのものが意味になります。
だから外部から摂取する麻薬には「関係」が存在せず、だから関係によって成立するところの社会から危険視されるのかもしれません。

因みに、ぼくは去年の10月からずっと禁酒してるのですが、その理由も同じようなものです。
ぼくは飲み会の席で飲んでなくても酔っ払ったようにいい気持ちで喋り捲るので、飲まない方が経済的なのです(笑)
逆に言えば、多くの人はお互い会ってもたいして話すこともなく、だから「飲みニュケーション」するのかもしれません。
まぁ、現代日本社会ではお酒は禁止ではないですが、仏教ではかなり初期の段階から飲酒は厳しく禁じられていて、それには意味があったのです。

●ところで先日、彦坂尚嘉先生と麻薬の話をしてたのですが、ぼくは本場の讃岐うどんを食べてその美味しさに驚き、食べ終わってもまたすぐ食べたくなり、いくらでも食べられることから「これは麻薬だ!」と直感したのですが、彦坂先生が言う「麻薬」とはちょっと意味が違っていたのでした。
と言うか、ぼくの場合はまず讃岐うどんの味の豊かさを味わい、その関係の複雑さに感動して脳内麻薬が分泌されるのですね。

これに対し、例えばぼくは禁酒をしたら急に甘党になって、コンピにで明治やロッテのチョコを買って食べるのですが、かなり久しぶりのその味があまりにマズイので驚いてしまうのです。
本物のチョコに何かビニールのようなものを混ぜて薄めなようなイメージでしょうか?
しかしこれこそが、彦坂先生の指摘する「麻薬」であって、さっきの自分の投稿に倣って言えば、“チョコの味がする”という「結果」だけがあって、本物が持つ複雑な味の「関係」が存在しない。
複雑な「関係」というのは豊かなものをもたらす一方で面倒なもので、だから「結果」だけがもたらされる明治やロッテなど、どれを食べても似たような味のチョコにも大きな需要がある。
チョコに限らす、世間にはある特定の「結果」だけをもたらす麻薬的なものであふれ、だからこそいわゆる本物の「麻薬」が社会では禁じられているのかもしれません。

●というわけで、麻薬とは何かをウィキペディアで調べてみると、「酩酊・多幸感などをもたらす一方、強力な依存性があり、身体は急速に耐性を形成する。」とあります。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/麻薬#section_7
「多幸感」と言うのも、あらためて凄い言葉ですが、麻薬を摂取すると何の理由も脈絡もなく、幸福な気分になるわけです。
まぁ、突き詰めて考えると、いま自分が幸福だとして、しかしそれが本当の意味での幸福だと言えるのか?実は単なる幸福感に過ぎないのではないか?と言う疑いは常にあります。
しかしいずれにしろ麻薬を摂取すると、何の原因も関係性もなく「幸福感」という結果だけが与えられるわけです。

こうした麻薬的効果は、実のところ麻薬以外の様々なもので得られることができますが、その一つに漫画があります。
例えば『ドラコンボール』ですが、主人公の孫悟空が敵をうち倒せば、これを読んでる自分も爽快な幸福感に包まれます。
しかし実際に事をなし得たのは空想上の漫画のキャラであって、現実の自分ではありません。
ゲームもまた同じであって、ぼくは学生時代に『ヒットラーの野望』と言うファミコンのロープレを夢中でクリアしたことがあったのですが、その達成で得られる幸福感は、実際の自分の行動とは一切無関係で、それを思うと強烈な虚しさに襲われ、ゲームはそれきりやらなくなってしまいました。
一方、漫画は気晴らしでコンビニでの立ち読みを定期的にしてたのですが、これも最近虚しくなってやめてしまい、自分が持っていた漫画本も全部ブックオフに二束三文で売ってしまいました。

ともかく、麻薬的効果のある作品は巷にあふれていて、考えてみればぼくの「フォトモ」もまさにそれで、個展などすると老若男女にかかわらず、みなさん見入ってくださってありがたいことです。
しかしフォトモの場合、麻薬的効果はあっても特にそれだけを念頭に制作しているわけでは無いので、漫画やゲームに比べると詰めが甘いと言えるかもしれません。

●麻薬の効果としてウィキペディアに書かれていた「酩酊」について、これもあらためてウィキペディアを見てみると、まずエチルアルコールの酔いと、アセトアルデヒドの酔いがあって、これらは無関係の別物なのですね。
いわゆる酔っ払って気持ち良くなるのが前者で、頭痛や吐き気や二日酔いをもたらすのが後者です。
酔っ払って気持ち良くなるのは、脳の高位機能の麻痺によるもので、その結果、判断力、集中力、抑止力等が低下するのです。
一方では脳の低位機能が表層化し、気が大きくなったり、気分が良くなったり、軽い興奮状態になるのです。

しかし、そう書いてあるのを読むと、酒を飲んでなくとも脳の高位機能が麻痺した状態というのは、自分を省みると日頃からしょっちゅうあるような気がします。
そしてぼく以外の世の中の大半の人も、果たして日頃から常に脳の高位機能をきちんと働かせているのか?疑ってしまいます。
もしかしたら現代日本人の多くは、素面でいながら実のところ常にある種の酩酊状態にいるのかもしれません。
じゃないと、例えば日本に53基も原発が建たないのではないか?と思うのです。

●人間にとって「幸福とは何か?」は実に難しい問題で、だから考えない人は幸福よりよ多幸感を求め、考える人は不幸になる、と言えるかも知れません。
幸福は結局のところ人を不幸にし、だから大切なのは「本当の幸福」なんていう概念ではなく、「ハッピーな気持ち」という確かさなのかもしれません。

脳内麻薬とは、身体から精神へのご褒美で、とすると外部から摂取する麻薬は何も褒められることをして無いのに、ただご褒美だけを与えられるようなもので、そんなことされると精神がおかしくなるのは当たり前だと言えます。
脳内麻薬は例えば家のお手伝いをして、この褒美にお小遣いを貰うようなものです。
それに対し、外部から摂取する麻薬は知らないおじさんにお小遣いを貰うようなもので、倫理的にも問題があり、だから国家により弾圧されるわけです。
では酒が許されているのはどう言うことかといえば、それは親戚のおじさんにお小遣いをもらうようなもの…なのかもれませんね(笑)

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脳内麻薬と同調圧力

●人間がこの世に生まれること自体が幸福で、だから人は時として「不幸な感じ」に陥り、人間がこの世に生まれること自体が不幸で、だから多くの人は「幸福な感じ」に包まれている。
人間は必ず死んでしまうのであり、だから脳内麻薬が与えられるのであり、そして脳内麻薬が切れてしまう人がいるのである。

●世間体とは同調圧力の世界であり、出る杭は打たれ、曲がった杭は排除される。
多くの人は脳内麻薬をキメて自分の死を忘れ、永遠の生命を夢見るのであり、脳内麻薬に抗する作業を哲学と言う。
哲学とは名ばかりで、脳内麻薬に浸っている人々がいる。

●同調圧力に屈してこれに流されるのは、やってみると案外気持ちイイ。
自分にとって物珍しいことは面白く、だから今は同調圧力に屈するのが面白い。
写真表現には同調圧力を利用した写真と、同調圧力に抗する力を利用した写真と、同調圧力とそれに抗する力の両方を利用した写真とがある。

●同調圧力が強い社会では、優れた人が評価されるのではなく、優れた人の仲間に加わる人が評価される。
また個人の能力ではなく、個人が集団に属するそのこと自体が評価の対象となる。
即ち、優れた人は優れた人の集団に属することで評価され、凡庸な人は凡庸な人の集団に属することで評価される。
成功者とは成功者の仲間入りを果たした者を指し、ぶっちぎりで一人勝ちした者はそもそも存在自体が認識されない。

●同調圧力に流されて生きる人は、いつまでも義務教育の続きをやっているのであり、つまり彼らにとって何らかのクラスに所属しない児童は存在しないのである。
そして、平和な社会では「認識しない」と言う方法での抹殺が行われる。
暴力の平和利用がある一方、平和の暴力利用があり、それが世間的ファシズムを形成する。

●根本的に必要なのは暴力性で、なぜならそれが生物の基本であり、非暴力的な平和主義は家畜やペットの発想でしかない。

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糸崎公朗・彦坂尚嘉2人展《東日本大震災アート》第135回気体分子ギャラリー『月水金オークション』

明け方まで掛かって【第135回気体分子ギャラリー『月水金オークション』】をアップしましたが、【糸崎公朗・彦坂尚嘉2人展《東日本大震災アート》】になりました。
http://kb6400.blog38.fc2.com/blog-entry-952.html
ほんらい水曜日はぼくの作品を出品する日で、盆栽作品の続きを考えていたのですが、あるところから「そう言うことはしてくれるな」と言うお叱りを受けてし まったのですね・・・我々としてはこのオークションは「善意のシェア」のつもりなのですが、その反対の「悪意の独占」と受け止められてしまったのかどう か・・・?
ともかく代わりのネタを考えなくてはいけなかったのですが、ぼくが一昨日の3月11日が特別な日であることをすっかり忘れていたこともあって、「3.11をテーマにしましょう」と提案し、彦坂先生と一緒に《東日本大震災アート》として出品することになったのでした。

ぼくの出品作品は『日本マイクロシーベルト』ですが、これはぼくの3.11に対する翻弄ぶりがよく現れた作品です。
何しろ放射能は目に見えないですし、危険だと言われているものの何がどれだけ危険なのか皆目見当も付かず、ともかくガイガーカウンターを手に入れて、自分の目で数値を確認したかったのです。
ところが品薄でプレミアが付き、どうやって入手したものか悩んでいたところ、友人の宮田英明さんにアメリカ製「GM-10」を安価で譲ってもらったのです。
このGM-10はガイガーカウンターとしてはちょっと特殊で、単独では作動せず、パソコンにつなげないと作動しません。
その代わり、ソフトによって放射線量の時間ごとの推移を、グラフとして書きだしてくれる機能を持っているのです。

ぼくは当初、このグラフで示される数値の意味がよく分からなかったのですが、ともかく当時住んでいた東京都国分寺市周辺を手始めに、いろいろなところを放射線測定しては『路上ネイチャー協会』ブログにグラフを情報としてアップしてたのでした。
http://blog.goo.ne.jp/itozakikimio/c/5064d0cbf2ab142ed4b8d4e6d582121d
それは自分の不安感と、ある種の使命感によるものでしたが、ぼくがガイガーカウンターを入手した6月頃は放射線についての情報がまだ少なく、読者の皆さんに感謝の声をいただきずいぶんと励みになりました。
一方で、ぼくの身近な人の大半は放射能に対しては楽観的というか無関心で、その事自体が非常にショックで、それもあってますます自ら放射線を計測して確認せねば、という気になったのでした。

それと同時に、自分のいつものクセで、放射線測定グラフとその場で撮った写真を合成する作品のコンセプトを、思い付いてしまったのです。
しかし思い付きを形にするのはなかなか難しく、収集したデータを元に作品化できたのは翌年に入ってからで、それは彦坂尚嘉先生や、友人のデザイナーのアドバイスがなければなし得なかったのでした。
そのお陰もあって、世にも奇妙な写真作品『日本マイクロシーベルト』ができたのですが、奇妙なのは実のところ3.11で明らかになった日本という国を取り巻く状況であって、これはタイヘンなことになったとぼく自身は思っているのです。

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2013年3月 8日 (金)

糸崎公朗個展 第132回気体分子ギャラリー『月水金オークション』

こちらでのお知らせが遅くなりましたが、彦坂尚嘉Blogからの転載です。
【気体分子ギャラリー『月水金オークション』】にぼくの盆栽写真作品を出品してます。
大宮盆栽美術館で発表した作品の他、新しい表現も試みていますので、どうかご覧頂ければと思います。

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糸崎公朗個展
第132回気体分子ギャラリー『月水金オークション』

オークションを再開致しましたが、その第2弾です。

糸崎公朗の盆栽写真です。

 糸崎公朗盆栽白抜きブログ

昨年大宮の盆栽美術館での糸崎公朗盆栽写真個展がありまして、さらに今年は上野のストアフロントのGalleryでの糸崎公朗盆栽写真個展を5月に控えています。

それに向けてオークション個展を開催したします。額装された作品はたいへんきれいですので、オークションの最低入札価格で買われれば、たいへんお買い得ですので、ふるってご参加ください。

         【続きは下記Read Moreをクリックしてください。】

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