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2013年3月29日 (金)

キャラの変え方

そろそろFacebook用のキャラを変えたいのだが、どうしていいのかよく分からない…問題は、アーティストとしてキャラが立っておらず、無個性で大人し過ぎ、ということなのだが、そもそもFacebookではそういうキャラを意図的に目指してたのだから仕方が無い。

Facebookと言うのは、ぼくが見たところでは世間体の場であって、だからそういうのが鬱陶しいと思う自分としては近づき難いものがあったのだが、しかし自分の作品『反ー反写真』と同じく、世間体に反発する自分を反転し、世間体的なキャラでFacebookに参加しようと思い立ったのだった。

世間体的なキャラで行こう!と一度決めるとこれが意外にも自分でできてしまうので面白いのだが、分かった事の一つは、世間体的に振る舞うとは、様々なカギをかける事なのだ。

そもそもぼくがFacebookに参加しようと思ったきっかけは、2011年5月だったか知人の写真家に「Twitterは放射能の話ばかりでウンザリで、その話題のないFacebookに避難している」と言われたことだった。
これを聞いてはじめは呆れたが、程なくこの考えに倣う事にしたのだ。

つまりFacebookに参加する際は放射能の話題には鍵をかける。
それ以外にも多くの人が嫌がる話題や、真面目な議論、本質的に突っ込んだ議論にも鍵をかける。
様々な事柄に鍵をかける事で世間体は成り立ち、それを自ら実践し体験するためにFacebookに参加することにしたのだった。

様々な事柄に鍵をかける世間体と言うものを体験するためにFacebookに参加してみたのだが、段々に慣れてそれが板に付いてくると、ミイラ取りがミイラになって、世間体から抜け出すことに対し鍵がかかってしまう。
あくまでFacebook上のキャラなのだが、その性格を変えるには抵抗がある。

まぁ、Facebookは人によってタイムラインの様相は違うし、少なくともぼくのタイムライン上でみる限り今や放射能の話題も解禁になっているようだが、ともかく世間体として振る舞う「実験」はもう納得したので終えても良いのだが、世間体に染まるとそこから抜けるのが怖くなるのだ(笑)

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