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2013年3月14日 (木)

麻薬と脳内麻薬

●どこで読んだのか忘れましたが、麻薬とはなんの理由もなく快楽だけが単独で得られる手段だと誰かが指摘してて、納得したことがあります。
そもそも人間は、苦しみしみに耐えたり、何事かを達成した時など、脳内麻薬が分泌され、それを外部から取り入れる手段がいわゆる麻薬なのですね。
だから麻薬で得られる快楽には理由がない。
一方でぼくは虫を見ては脳内麻薬が放出され、それをカメラで撮る時にも脳内麻薬が放出され、画像を「作品」に仕上げ発表する時にも脳内麻薬が放出される。
と考えると、ぼくは外部からの麻薬摂取の必要はないし、原因もなく結果だけもたらされても虚しいだけなのです。

もっとも、脳内麻薬が得られる「原因」に、果たしてどれほどの意味があるのかは不明で、どんな努力も突き詰めれば無意味で虚しいと言えてしまうのかもしれません。
しかし、原因と結果には、そこに至るまでの複雑な「関係」があって、人間とは関係を求める存在でもあって、関係そのものが意味になります。
だから外部から摂取する麻薬には「関係」が存在せず、だから関係によって成立するところの社会から危険視されるのかもしれません。

因みに、ぼくは去年の10月からずっと禁酒してるのですが、その理由も同じようなものです。
ぼくは飲み会の席で飲んでなくても酔っ払ったようにいい気持ちで喋り捲るので、飲まない方が経済的なのです(笑)
逆に言えば、多くの人はお互い会ってもたいして話すこともなく、だから「飲みニュケーション」するのかもしれません。
まぁ、現代日本社会ではお酒は禁止ではないですが、仏教ではかなり初期の段階から飲酒は厳しく禁じられていて、それには意味があったのです。

●ところで先日、彦坂尚嘉先生と麻薬の話をしてたのですが、ぼくは本場の讃岐うどんを食べてその美味しさに驚き、食べ終わってもまたすぐ食べたくなり、いくらでも食べられることから「これは麻薬だ!」と直感したのですが、彦坂先生が言う「麻薬」とはちょっと意味が違っていたのでした。
と言うか、ぼくの場合はまず讃岐うどんの味の豊かさを味わい、その関係の複雑さに感動して脳内麻薬が分泌されるのですね。

これに対し、例えばぼくは禁酒をしたら急に甘党になって、コンピにで明治やロッテのチョコを買って食べるのですが、かなり久しぶりのその味があまりにマズイので驚いてしまうのです。
本物のチョコに何かビニールのようなものを混ぜて薄めなようなイメージでしょうか?
しかしこれこそが、彦坂先生の指摘する「麻薬」であって、さっきの自分の投稿に倣って言えば、“チョコの味がする”という「結果」だけがあって、本物が持つ複雑な味の「関係」が存在しない。
複雑な「関係」というのは豊かなものをもたらす一方で面倒なもので、だから「結果」だけがもたらされる明治やロッテなど、どれを食べても似たような味のチョコにも大きな需要がある。
チョコに限らす、世間にはある特定の「結果」だけをもたらす麻薬的なものであふれ、だからこそいわゆる本物の「麻薬」が社会では禁じられているのかもしれません。

●というわけで、麻薬とは何かをウィキペディアで調べてみると、「酩酊・多幸感などをもたらす一方、強力な依存性があり、身体は急速に耐性を形成する。」とあります。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/麻薬#section_7
「多幸感」と言うのも、あらためて凄い言葉ですが、麻薬を摂取すると何の理由も脈絡もなく、幸福な気分になるわけです。
まぁ、突き詰めて考えると、いま自分が幸福だとして、しかしそれが本当の意味での幸福だと言えるのか?実は単なる幸福感に過ぎないのではないか?と言う疑いは常にあります。
しかしいずれにしろ麻薬を摂取すると、何の原因も関係性もなく「幸福感」という結果だけが与えられるわけです。

こうした麻薬的効果は、実のところ麻薬以外の様々なもので得られることができますが、その一つに漫画があります。
例えば『ドラコンボール』ですが、主人公の孫悟空が敵をうち倒せば、これを読んでる自分も爽快な幸福感に包まれます。
しかし実際に事をなし得たのは空想上の漫画のキャラであって、現実の自分ではありません。
ゲームもまた同じであって、ぼくは学生時代に『ヒットラーの野望』と言うファミコンのロープレを夢中でクリアしたことがあったのですが、その達成で得られる幸福感は、実際の自分の行動とは一切無関係で、それを思うと強烈な虚しさに襲われ、ゲームはそれきりやらなくなってしまいました。
一方、漫画は気晴らしでコンビニでの立ち読みを定期的にしてたのですが、これも最近虚しくなってやめてしまい、自分が持っていた漫画本も全部ブックオフに二束三文で売ってしまいました。

ともかく、麻薬的効果のある作品は巷にあふれていて、考えてみればぼくの「フォトモ」もまさにそれで、個展などすると老若男女にかかわらず、みなさん見入ってくださってありがたいことです。
しかしフォトモの場合、麻薬的効果はあっても特にそれだけを念頭に制作しているわけでは無いので、漫画やゲームに比べると詰めが甘いと言えるかもしれません。

●麻薬の効果としてウィキペディアに書かれていた「酩酊」について、これもあらためてウィキペディアを見てみると、まずエチルアルコールの酔いと、アセトアルデヒドの酔いがあって、これらは無関係の別物なのですね。
いわゆる酔っ払って気持ち良くなるのが前者で、頭痛や吐き気や二日酔いをもたらすのが後者です。
酔っ払って気持ち良くなるのは、脳の高位機能の麻痺によるもので、その結果、判断力、集中力、抑止力等が低下するのです。
一方では脳の低位機能が表層化し、気が大きくなったり、気分が良くなったり、軽い興奮状態になるのです。

しかし、そう書いてあるのを読むと、酒を飲んでなくとも脳の高位機能が麻痺した状態というのは、自分を省みると日頃からしょっちゅうあるような気がします。
そしてぼく以外の世の中の大半の人も、果たして日頃から常に脳の高位機能をきちんと働かせているのか?疑ってしまいます。
もしかしたら現代日本人の多くは、素面でいながら実のところ常にある種の酩酊状態にいるのかもしれません。
じゃないと、例えば日本に53基も原発が建たないのではないか?と思うのです。

●人間にとって「幸福とは何か?」は実に難しい問題で、だから考えない人は幸福よりよ多幸感を求め、考える人は不幸になる、と言えるかも知れません。
幸福は結局のところ人を不幸にし、だから大切なのは「本当の幸福」なんていう概念ではなく、「ハッピーな気持ち」という確かさなのかもしれません。

脳内麻薬とは、身体から精神へのご褒美で、とすると外部から摂取する麻薬は何も褒められることをして無いのに、ただご褒美だけを与えられるようなもので、そんなことされると精神がおかしくなるのは当たり前だと言えます。
脳内麻薬は例えば家のお手伝いをして、この褒美にお小遣いを貰うようなものです。
それに対し、外部から摂取する麻薬は知らないおじさんにお小遣いを貰うようなもので、倫理的にも問題があり、だから国家により弾圧されるわけです。
では酒が許されているのはどう言うことかといえば、それは親戚のおじさんにお小遣いをもらうようなもの…なのかもれませんね(笑)

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