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2013年4月13日 (土)

欲望とシェア

●欲望は「自分の欲望」としてクローズするのではなく、他人と欲望をシェアすること。
「自分の欲望」とはそもそも「他人の欲望」のコピーなのだから、自分の欲望は「自分の欲望」としてクローズ = 独占することなく、他人とシェア = 共有すべきものだと言える。
あるいは「自分の感情」を自分でクローズせず、感情を他人とシェアすること。
感情を自分でクローズすると、自分は自分の感情に支配される。
あらゆる「他人の感情」は、それぞれが固有のもので、自分には分かりようがない。
同じように「自分の感情」は自分だけの固有のものであり、他人には伝わりようがない。
だからこそ「自分の感情」を自分でクローズドするのではなく「他人の感情」を「自分の感情」としてシェアすべきなのである。
「自分の感情」を自分でクローズ(囲い込み)すると、「自分の感情」は絶対化されて、もはや当たり前のものとして自分の認識からは消え去る。
しかし「他人の感情」を「自分の感情」としてシェア(共有)すれば、「自分の感情」は「他人の感情」と比較され、対象化される。
絶対化した感情は人を支配し、人は絶対化した感情によってコントロールされ、振り回される。

●ストレスが高くなるのは、「自分」のコントロールの外にある「自分の外部」と接しているからである。
逆に自分のコントロールの及ぶ「自分の内部」に自分自身が潜り込むほどに、ストレスは無くなる。

●あらゆる他人にとって自分は脇役でしかなく、あらゆる他人と接する時は常に自分が脇役であることをわきまえる必要がある。
主人公より脇役は目立ってはならず、だからあらゆる目立つ脇役は、他人に疎んじられる。

●言葉では何を書いても嘘になるし、だから言葉は全く無力なのであり、嘘を前提にして言葉を使うしか無い。
何もかもが言葉にした途端ウソになるのであり、だから分かりやすく語られた言葉の全てがウソであり、他人を騙すことを目的に語ると何もかもが分かりやすく語られる。
機能主義的な言説は方便であり、従って口から出任せのデタラメに過ぎない。
口らで任せの言葉に従って行動し、フィードバックを重ねるのみ。

●言語には認識による創造と、強弁による創造との、二つの側面がある。

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