主張と行き詰まり
量産された偽物の知識、により組み立てられた主張が存在する。
本物の知識は量産できず、だからこそ量産可能な偽物の知識が存在する。
同じ理屈によって、ファーストシンキングによるファーストアートが存在する。
ところで、何事かに行き詰まった時は、これまで自分が興味を持たなかったことに興味を持ち、これまで自分が拒絶していたものを受け容れることが、有効である。
そもそも行き詰まりの原因は、それらをしてこなかったことにある。
そしてあらゆる主張は、コミュニケーションを拒絶した、偽物の知識により組み立てられている。
その証拠に、主張する人はコミニュケーションを拒絶し、認識を拒絶する。
主張する人は、コミュニケーションも認識も必要とせず、本物の知識も必要としない。
だから主張する人は行き詰まるのであり、行き詰まりが繰り返しの主張となって現れる。
| 固定リンク
「思想・哲学・宗教」カテゴリの記事
- 2010年3月tweet(2010.03.31)
- 存在と証拠(2014.04.21)
- 自己保身と自己犠牲(2014.04.21)
- 鏡のアフォーダンス(2014.04.20)
- 犯人と証拠(2014.04.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント