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2013年6月 6日 (木)

臆病な善人は存在しない

善をなすには勇気が必要であり、従って臆病者は悪人となる。

善をなすには勇気が必要であり、従って臆病な善人は存在しない。

善をなすには勇気が必要であり、は臆病に導かれて自動的に悪事を成す悪人となる。

臆病者は自律する勇気がなく、他人に寄りかかるかたちで悪事を成す。

主体性がない人間は臆病であり、勇気を持って善をなさず、恐怖に駆られて悪に流れる。

臆病者の臆病さは、より弱い立場の人間への皺寄せとなり、その悪行は、勇気を持って対抗しようとする善と対峙する。

自分の中の臆病者は、悪人となって自分の中の善人を虐げている。善人とは勇気ある人でもあるのだから、勇気を持って悪に対抗しなければならない。

多くの人が自ら善人でありたいがために、自分の中の臆病からくる悪意から目を逸らしている。そもそも自らの悪を直視できないことが、臆病の証でもあるのだ。

臆病者は自分の臆病さと向き合う勇気を持たず、自分が成した悪事に向き合う勇気もなく、自分が臆病者だとも、悪人だとも思っていない。

自分自身とさえきちんと向き合えない臆病者が、どうして他者とコミュニケーションできようか。
実際に臆病者同士では話が噛み合っていない。

自己愛以外の愛情を知らない人がいる。
そのような人は、例えば知を愛することを知らず、知を自己愛実現の道具として扱う。

善意が無償で施されるが故に、それを当てにする邪悪な人間が存在する。

北野武監督『その男凶暴につき』終盤のセリフに「どいつもこいつもキチガイだ」と言うのがあるが、映画に出てくるような暴力団関係者だけでなく、実のところ一般の善良に見える人たちの多くも同様にキチガイで、それは自分も例外ではなく、そのこと自体に戦慄する!
何もかもが見せ掛けでまともではない‼

多くの人が、この社会に特有の精神病に罹っているのであり、この社会そのものが、特有の精神病を病んでいる。
社会を病から救い出す方法はなく、個人が病を克服しようと意思するしか道はない。

何もかもが東電と同じなのであり「人を見たら東電と思え」と、鏡に向かって言う他はない。

臆病者ばかりのこの国では、みんなが「みんなの森」に隠れて責任逃れをしようとしている。

責任を取ることには勇気が必要であり、勇気さえあればいくらでも責任を取ることができる。
この場合の勇気とは死を恐れない勇気であり、どれだけ恐れてもいずれ死は免れ得ないのであり、臆病に死を恐れる必要はなく、いつでも死ぬ覚悟で責任を取れば良いだけなのである。

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思想・哲学・宗教」カテゴリの記事

コメント

>>社会を病から救い出す方法はなく、個人が病を克服しようと意思するしか道はない。

これは僕も全く同じ意見です。
最終的には個人の自覚しかないと思います。
ただ物凄いショックを与えて自覚を促すことはできなくはないとも思います。
その人が一番嫌がることをするとか。
それでも駄目な人は駄目ですけどね。

投稿: 白蓮 | 2013年6月18日 (火) 00時32分

コメントありがとうございます。

>ただ物凄いショックを与えて自覚を促すことはできなくはないとも思います。

3.11のショックでなお目覚めない人が大勢いる状況を見ると、絶望的と言わざるを得ません。
それとぼく自身もエラソーなこと言って、理屈ではわかっていても、精神が「居着いて」しまってなかなか変われなかったりしています。

投稿: 糸崎 | 2013年6月18日 (火) 04時10分

実際に震災の被害に遭った人達の中にはそれによって人生観が変化した人も多いと思うのですがどうでしょうか?

投稿: 白蓮 | 2013年6月19日 (水) 07時13分

コメントありがとうございます。

>実際に震災の被害に遭った人達の中にはそれによって人生観が変化した人も多いと思うのですがどうでしょうか?

それはそうだろうと思いますが、ぼくの身の周りをはじめとする世間一般の反応は鈍いですね…
ことに原発事故に関しては、日本人の誰もがその人災の被害者だと思うのですが。

投稿: いとさき | 2013年6月19日 (水) 09時09分

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