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2013年6月21日 (金)

鏡のトンネルと第一の鏡

他人の欠点やそれによる失敗を見つける方が、自分の欠点や失敗を認めるよりも簡単だし楽しい。

自分の欠点やいつもの失敗が認識できないのは、他人の欠点や失敗に目を奪われるからである。
他人の欠点や失敗には、自分の目を惹きつける効果があることを認めなくてはならない。

他者が自分を映し出す鏡だとすれば、自分に直接向けられた他者の意見は「第一の鏡」であり、これはストレスが高い。
ストレスを下げるには、鏡のトンネルのように、鏡としての他者を幾重にも反射させ、認識に間接生を持たせること。

例えば、他人から直接自分の欠点を指摘されることはストレスが高く受け入れることが難しい。これに対し、自分から見える他人の欠点は、間接的な認識であるが故にストレスが少ない。

自分に見える他人の欠点は「他人とは自分を映す鏡である」という意味において、自分の欠点の映しだが、鏡としての反射を幾重にも繰り返した間接的な認識なのでストレスが少ない。
これに対し、他人が直接指摘する自分の欠点は、それが「第一の鏡」として間接性が一面しかないのでストレスが高い。

判断や選択のエラーを突き止め理解する能力を高めるために、他人を利用すること。
しかし人はしばしば間違っていながら自信たっぷりで、他人の意見や反応をシャットダウンする。
自分の意見や判断に自信がある時こそ、これを疑い他人の反応を見て意見を求める必要がある。

判断や選択のエラーは常に誰かが何らかの形で指摘してくれるもので、それを修正するのは易しい。
しかし「自分にはエラーなど無い」と信じている人にとって他人の指摘は「信仰を揺るがす悪魔のささやき」なのであり、断固としてシャットダウンされる。

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思想・哲学・宗教」カテゴリの記事

コメント

昨日はお疲れ様でした。
普段は見られないメイプルソープの写真も見られて色々と勉強になりました。

>>自分に見える他人の欠点は「他人とは自分を映す鏡である」という意味において、自分の欠点の映し

これはその通りだと思います。
僕は支配欲が強い人間なのですがそれを自分で認めるまでは他人が支配欲の強い人間に見えることが多かったですね。
また本当は自分が支配欲が強いのに他人を支配欲が強いエゴイストだと執拗に非難し続ける人を身近に見ました。
ただそのことを指摘てもあまりピンと来てないようでした。
何を言われているのかすらよく分かってないようでしたね。
その人にはストレスが強すぎたのかも知れません。
まあそこに引っかかってるということはそれが僕の頑固さの鏡影なのかも知れませんが。
やはり自分の本当の姿を認めるより他人を欠点を非難する方が簡単で楽しいことだし多くの人はそれを選んでいるようです。

投稿: 白蓮 | 2013年6月22日 (土) 19時43分

すみません、コメントに返信したつもりが、あらためて確認したら反映されてないですね・・・自分のブログなのに何ででしょう?w

多くの人は鏡に映る自分の姿を、他人だと思って非難してると言えるかも知れません。

投稿: 糸崎 | 2013年7月 9日 (火) 08時24分

個人的に、
自分に意見をぶつけてくる人に、
整合性が見当たらなかったり、どうでもいい場合、

(・∀・)
なんか頭に来るだけなので、
会話しません。

なので、ケンカにもなりません。


他人を鏡や、片割れとは考えていない為なのですが、
意見を競わせるのが好きな人や座談会に熱心な人達は、
きっと誰かと関わりたい人達なのだと思いました。

投稿: (・∀・)/ | 2013年7月28日 (日) 11時20分

人間は自分の姿を直接認識できず、鏡を介さないと見ることができない、と指摘したのはラカンですが、随分納得できます。
その意味で、あらゆる他人も自分の鏡なのですね。
そう思っていろんな人を見ると、認識も改まるかもしれません。

投稿: いとさき | 2013年7月28日 (日) 18時23分

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