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2013年7月 5日 (金)

フロイト『機知』(1905年)抜き書き01

●機知とは遊戯的判断である。美的な自由が事物の遊戯的考察であるように、という類比を参照せよ。

●欲求の充足を切実に要求せず、見る喜びで満足する。

●美的態度は労働とは逆に遊戯的である。

●美的自由からは、日常的な束縛や基準から解き放たれた判断のあり方が生じるかもしれない。遊戯的判断。自由は機知を与え、機知は自由を与える。機知とは、単なる観念の遊戯である。

●機知とは似ていないものの間に類縁性を見出す、つまり隠れた類縁性を見出す技術である。機知とは、どんなカップルでも娶わせる変装した司祭である。その司祭は、その結合を親戚が認めたがらないカップルを最も好んで娶わせる。

●機知とは、内的な意味内容の点からしても相互関係の点からしても本来は異質であるいくつかの表象を驚くべき速さで一つに結びつける技術である。

●表象の対比、無意味の中の意味、意表を突かれて納得する。機知とは何らかの意味において、対照的な二つの表象を大抵は言葉を用いて勝手に結合ないし接合するものである。

●言葉と結びついた諸表彰があれこれと対比されているのではなく、言葉の意味と無意味との対比もしくは矛盾なのである。その言葉に意味があると最初は認めたものの、その後はまた認められなくなる…とき始めて対比が生じる。

●ある時意味があると思ったものが、全く無意味なものとして現れる。そこにここでいう滑稽な成り行きがある。

●滑稽の感情を生み出す心的過程は、言われた事にいったんは意味を与え、なるほどと思い、認めたのに、たちまちにして意味がないという意識や印象にとって代わられるというものである。

●滑稽なものが奇妙なのは、ただ一瞬しか我々を欺けないことだ。

●簡潔さが機知の肉体にして魂であり、いや機知そのものである。

●意表を突かれる事と納得することが踵を接して起こるために、機知の効果が生じる。

●機知の内容は、常に少ない言葉で語られるというより、常に少なすぎる言葉で、すなわち厳密な理論や普通の思考法、話法から言うと不十分な言葉で語られるのである。とどのつまり、機知はその内容について沈黙することにより、端的に語ることができる。

●機知は秘匿されたもの、隠されたものを引っ張り出してこなければならない。

●散乱した断片をある有機的全体へと結び合わせること。例えば一連の逸話を読んでもある人物の性格がわかることはなく、そのためには伝記を紐解く必要がある。

●成果を当てに出来るためには、新しい観点を仕事に持ち込むか、それとも注意力を一層研ぎ澄まし、関心を一層深めつつさらに前進するよう努めるか、そのどちらかであろう。

●あらゆる心の中の生起は内密に関連しあっているので、たとえどんなに人目を惹かぬ領域であろうと、それに関して心理的人しにが生ずれば、他の領域にとっても予見し得ないほどの価値を確実に持つということである。

●機知の性格と効果は、機知を他のものに代替してしまうと消え去る。

●勝利を呼ぶのは単なる配置。兵士のそれぞれあれ、文のそれぞれであれ。

●言葉の合成によって、機知の性格と笑の効果は結びついている。

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