« 欲と認識 | トップページ | 強い人の弱さ »

2013年7月 8日 (月)

フロイト『機知』(1905年)抜き書き02

●縮合の結果起こっているのは、一方ではまたしても顕著な短縮であり、他方ではそれも分かる合成語ではなく、二つの構成要素の諸部分の相互貫入である。

●こう言ったグループの機知をわずかな変更を伴う機知と言い表すことができるし、変更がわずかであればあるほど機知はさえているだろうと見当がつく。

●この変換過程の総体を私は「夢工作」と名付け、この夢工作の一部をなすある縮合過程を記述したが、それは機知技法の縮合過程と極めて大きな類似性を示すのであって、機知技法と同じく縮約へと導き、それと同質の代替形成を引き起こすような過程であった。

●還元の手続きとはつまり、表現を変えて機知を帳消しにし、その代わりにもともとあった十全な意味をそこに入れ込むことであり、機知がよくできていればその意味を推定することは確実に出来る。

●機知の技法は、同一の語が一方では全体として、他方では綴り当てゲームのように音節に分解されて(それぞれ意味を持つ語となり)、二重に使用されるところにある。

●一つの名前が二度使用されるが、一度は全体として、次に音節に分解して使用されているのである。分解されると、名前を構成していた音節はある別の意味を帯びてくる。

●「同一素材の多重使用」を拡張して、機知が密着している(一つまたは複数の)語をある場合は変更なしで、別の場合は小さな変更とともに用いることができれば、機知技法には豊かな活動領域が開けることになる。

●語は柔軟な素材であるから、それでもってあらゆることができる。語によっては、ある使い方をすれば元来の十全な意味を失ってしまうが、別のつながりにおいてはその意味はなお保たれている。

●機知はその技法によって何を節約しているのか。新しい語、すなわち大抵は労せずして成立したであろう後をいけつか繋ぎ合わせることを節約している。その代わりに機知が引き受けねばならぬ労苦とは、二つの思考をカバーしてくれるまさにその一つの語を探し求めることである。

●それらの機知とはふつう駄洒落と呼ばれるもので、語をめぐる機知の変種のうちで最も低次元とみなされている。恐らくその訳はこの機知が「最も安価」でいちばん労少なくして生まれるからであろう。実際本来の言葉遊びが表現の技法を最大限に要求するのに対して、駄洒落はそれを最小限にしか要求しない。

●私はそれを「遷移」と名付けることを提案する。なぜなら、その技法の本質は、思考過程の方向を逸らし、心的力点を当初のテーマとは別のテーマに遷移することだからである。

●この小噺もまた、見かけは理論を装っている。それが理論的誤謬を隠すのに格好の外見であることは、先刻承知の通りである。◯言ってみれば客は「の代わりに」という関係を二重的意味に適用している。というか、二重的意味を用いて、実際には根拠のない結びつきを作り出している。

●研究の結果として判断基準が生じてくるまでは、われわれに基準はないのである。言語慣用は当てにならず、それ自身が正当化どうか吟味される必要がある。決定に際して我々が頼れることができるのは、ある種の「感覚」だけである。

●この感覚は何かというと、我々が判断する時、まだ我々が認識できていない一定の基準に即して決定が行われることと解釈できるだろう。十分な証明のためには、こう言った「感覚」を引き合いに出すことをやめてはならないだろう。

|

« 欲と認識 | トップページ | 強い人の弱さ »

抜き書き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 欲と認識 | トップページ | 強い人の弱さ »