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2013年7月16日 (火)

フロイト『機知』(1905年)抜き書き04

●洗練され教養のある社会に成り上がって初めて、形式面での機知の条件が加わってくる。
猥談は機知的になり、機知的でないと大目に見てもらえない。
猥談がたいていの場合に用いる技術的手段はほのめかしである。

つまり、小さな事、遠く関連していることで代替し、聞き手がそれを表象して従前十全かつ直接的な猥褻さへと復元する。
猥談で直接口にされていることと、猥談によって聞き手の内に必然的にかき立てられるものとの間の不釣り合いが大きければ大きいほど、機知は洗練され、上流社会でも通用する。粗野または洗練されたほのめかし以外にも、機知を帯びた猥談は__例を挙げて簡単に示せるように__その他あらゆる語機知や思想機知の手段を用いる。

機知の傾向に対してその機知がどんな役割を果たしているか、ここでついに明らかになる。
すなわち妨げとなっている障害に負けずに欲動(好色な、あるいは敵対的な)を充足することが、機知によって可能となる。
機知はその障害を迂回することにより、生涯のために接近できなくなっていた快源泉から快をくみ出す。
妨げとなっていた障害とは、女性の教育水準や社会的階層が高くなればなるほど、剥き出しの性的なものには耐えられなくなると言う、その女性の事情のことに他ならない。

基本状況では、居合わせると考えられた女性は、その後も引き続き存在感を保つというか、女性がいなくなってもその影響は、男性たちに対して威嚇的に作用し続ける。
観察していると分かるが、身分の低い娘が同席すると、高い身分の男性たちはたちまち猥談のレベルを硬化させ、機知的ではないただの猥談をやりたがる。

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