« 罪と手柄 | トップページ | フロイト『機知』(1905年)抜き書き01 »

2013年7月 4日 (木)

認識と疑い

誰も教えてくれない事は自力で調べて解明するしか無い。

「良いもの」を見分けるのは大変で一生掛かって見分ける必要がある。

自分が「良い」と思う感情に溺れず、「良い」と思えるものに疑いの目を向ける能力を身に付けなければ、本当に良いものは認識できない。

自分が「正しい」と思ったことを疑う能力を身につけていない人は常に間違う。

自分の感性を疑うところから、学問としての芸術が立ち上がる。

自分の感性を疑うところを立脚点として、学問としての芸術が立ち上がる。

自分の感覚を疑うことを立脚点として、あらゆる学問が成立する。

芸術を認識しようと思ったら、自分の「自然な感覚」の外部に出ようとする事。

世間体の延長でものを見ても、芸術は認識できない。

生活に根ざして芸術を語ることはできないが、芸術に根ざして生活を語ることは出来る。

人は目覚めながら常に夢を見ているのであり、これを自覚しなければ現実を認識することができない。

盲人の群れの中で、自分が盲人であると自覚できる者だけが、見ることができる。

何の努力もなければ人は自らを有能だと思いなすのであり、だから無知の知には不断の努力が必要となる。

|

« 罪と手柄 | トップページ | フロイト『機知』(1905年)抜き書き01 »

思想・哲学・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 罪と手柄 | トップページ | フロイト『機知』(1905年)抜き書き01 »