認識と疑い
誰も教えてくれない事は自力で調べて解明するしか無い。
「良いもの」を見分けるのは大変で一生掛かって見分ける必要がある。
自分が「良い」と思う感情に溺れず、「良い」と思えるものに疑いの目を向ける能力を身に付けなければ、本当に良いものは認識できない。
自分が「正しい」と思ったことを疑う能力を身につけていない人は常に間違う。
自分の感性を疑うところから、学問としての芸術が立ち上がる。
自分の感性を疑うところを立脚点として、学問としての芸術が立ち上がる。
自分の感覚を疑うことを立脚点として、あらゆる学問が成立する。
芸術を認識しようと思ったら、自分の「自然な感覚」の外部に出ようとする事。
世間体の延長でものを見ても、芸術は認識できない。
生活に根ざして芸術を語ることはできないが、芸術に根ざして生活を語ることは出来る。
人は目覚めながら常に夢を見ているのであり、これを自覚しなければ現実を認識することができない。
盲人の群れの中で、自分が盲人であると自覚できる者だけが、見ることができる。
何の努力もなければ人は自らを有能だと思いなすのであり、だから無知の知には不断の努力が必要となる。
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