自己中心的と、自己周辺的
自己中心的の反対が、自己周辺的。自己をなるべく周辺に配することで器が大きくなる。
自己愛の反対は自己憎悪…では無く、強すぎる自己愛は自己憎悪の裏返し。
芸術家には、自分を中心に据え芸術を周辺に配する人と、芸術を中心に据え自分を周辺に配する人とがいる。
生活世界のみに生きる人と、生活世界と非生活世界との二重性を生きる人とがいる。
山の幸が豊かな森が切り開かれコンビニに置き換わると、狩猟採集生活してた原始人が万引き犯に置き換わる。
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コメント
果物取ったり、貝を拾ったり、魚や昆虫を捕まえて売って家を建てるゲームを細々とやっていても、
住人とそりがあわず、いや気がさしてしまうので
やらなくなります。
(・ω・)/
プログラムされたキャラクターとも、あまりうまく関われないので、
通信機能を使った交流による二重生活とか難しいなー・・って思います。
ゲームだと、自然と果実とお魚達やその他が常にいっぱいあって生活が安泰なので、
いいなぁって思います。
投稿: \(・∀・)/ | 2013年7月28日 (日) 09時51分
コメントありがとうございます。
プログラムによって反応するCGキャラが住む街の住人になる、シムズというアメリカのゲームをちょっとやったことがありました。
自分がキャラクターに神の啓示を与えるような感覚で、日本人にはない発想だと思いました。
投稿: いとさき | 2013年7月28日 (日) 15時48分