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2013年8月

2013年8月31日 (土)

自分の足を引っ張る者

気分が沈み込んでいる時は、あえて日頃目を背けていたイヤな事を直視してみるといいかも。沈み込んでる場合じゃないのが分かって目が覚める⁈

自分の足を引っ張るのは自分だったか…

何かをしようとする自分の足を引っ張るのは常に自分。

自分のしたい事を阻止するのは常に自分。

自分の行く手を阻むのは常に自分。

自分と戦わずして負けるのは常に自分。

常に感謝の気持ちが必要で、なぜなら人はすぐ感謝の気持ちを忘れるから。

聞き慣れたことは真実と混同されやすい。

反復は認知を容易にし、馴染み深さによる心地よさを与える。

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夢鬱つ

久々に見た夢を覚えていたので書き出してみる。

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この辺りの歩道は、どこも柵をしていなくて危ない。
転落の危険のあるポイントが幾つかある。

坂を自転車でものすごいスピードで下っている。
道と言うよりビルの屋上のような場所。

目の前に行き止まりの柵が見える。
その傍で小学生が数人佇んでいる。
柵は鏡張りである。

ぼくはここが転落の危険のあるポイントであることを思い出し、ブレーキを掛ける。

が、信じられないことに間に合わず、柵を超えて転落死してしまう。

そこで、人生の無意味さを理解する。
やりたいこと、やるべきことはたくさんあるはずなのに、何をやっていいのか分からない。
何をやっても突き詰めて考えれば意味がなく虚しく、だから何をやっていいのかさっぱりわからない。
それで衝動的に自殺したくなる、と言う人の気持ちが急に分かるようになった。

友達数人で、若いアーティストのグループ展を見に行く。
案の定、とてもレベルが低くてつまらない。
友達の一人の乱暴者の問題児?が「コラボレーションしてやろう」と、展示作品に穴を開け始める。
彼は暴力的で怖いので、皆その行為を黙認していたのだが、ぼくはそのうちたまらなくなって「止めろ!」と言って制止する。

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「何をしていいのか分からない」は本質的には解決のつかない問題であり、単にそのような真実に気づいてしまっただけの事。真実には目を背ける事なく向き合うしか無い。

「何をすればいいのか分からない」とは解決不能の問題であり、それが真実である事を真正面から見据えなければならない。

何をしてもどうせ死ぬのだから何をしても無駄であり何をしていいのか分からない。鬱には鬱手が無い(笑)

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2013年8月27日 (火)

感情と注意力

注意力は、感情をコントロールする能力と関係している。

間違っているが、もっともらしい答えが存在する。

自分を監視する能力が高い人と、低い人がいる。

知性と合理性は異なる、らしい。

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2013年8月26日 (月)

成功は失敗の素

自分を壊すとは、自分の大切なものを壊す事。大切なものは大切な順に自分を縛り付けている。最も大切なものを壊すと、最も幸せになれる。

主体を立ち上げること!

「世界」は存在せず、「世界の見え方」が存在するのみである。

成功は失敗の素。過去の成功体験は人を縛り失敗へと導く。

必ずうまく行くうまいやり方は、徐々に人を縛りながら破滅へと導く。

成功は失敗の兆しだと自覚しなければならない。

行き詰まっている人は過去の成功体験に縛られている。

人は成功すると視野が狭くなる。

成功はマイナスの要素がプラスに転ずることによってもたらされる。つまりあらゆる成功はマイナスを抱え込んでいるのでいる。成功が内包するマイナスによって、人は徐々に破滅へと追いまれてゆく。

成功には様々な失敗の萌芽が含まれる。

成功は失敗。同じやり方も他人がやれば失敗する。

成功は失敗。同じやり方も未来の自分がやれば失敗する。

自分の成功はどのように失敗なのかを検証すること。

自分の失敗がどのように成功なのか検証すること。

例えば毎日歩く同じ道も、見方によってそれぞれ違って見えるはず。一つの見方しか出来ない人は、一つの見方に縛られている。二つの見方ができる人は、二つの見方に縛られている。五つの見方ができる人は、五つの見方に縛られている。人は自分の見方に縛られる、ということを知る人だけが自由になれる。

周囲を気にせず自分の信念に基づき行動する人は成功する。周囲が見えず自分の信念に囚われ行動する人は失敗し破滅する。つまり信念を持つ人は成功の後に失敗し破滅する。

どのような成功もちっぽけなものでしかなく、ちっぽけな成功に囚われる人は失敗して破滅する。

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2013年8月25日 (日)

読書の実験

新しい実験なのだが、近所のブックオフに並んでた岩波文庫を全部端から1〜2ページづつ読んでみた。こうすると、これまで読もうとしなかった分野の本に少しでも目を通す事が出来る。実験結果としては樋口一葉『にごりえ』で不覚にも涙ぐんでしまった。

繰り返し読む度に新たな発見がある『老子』だが、人によって驚くほど解釈が違うのを知って驚く。

問題は解決出来ず、軽減する事だけが出来る。

自己防衛とは、あなたを攻撃する他者から自分を防衛する事ではない。他者はあなたを攻撃する事で「自分」に囚われたままのあなたを解放しようとしてるのだ。

自己防衛はしてはならない。自己防衛する「自分」とは、実は自分を「自分のまま」の状態に束縛している「自分」でしかない。自分を攻撃する他者とは、実は「自分」に拘束された自分を解放しようとしている。他者に攻撃された場合、自己防衛に走らず、他者の助けに素直に応ずるべきである。

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2013年8月24日 (土)

気分の運転

気分を切り替えることが大事。常にすぐ、別人になること。いつまでも、同じ自分を引きずると時間が、つまり命が無駄になる。 気分を変えるとは自動車の運転と同じで、それをしないと壁に激突したまま。 車を運転しながら前に進める人生と、車を路肩に停めて居眠りする人生とがある。 今日正しいことは明日には間違っている。今日間違っていることは明日には正しい。

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2013年8月21日 (水)

親切と見返り

いちいち同等の見返りを要求してたら、面倒臭くて他人に親切にしていられない。

例えばコンビニのバイトが面倒臭いのは、客にいちいち同等の見返りを要求し、金を取らないといけないから。

その意味であらゆる仕事は面倒臭く、あらゆる親切は楽にできる。

他人に同等の見返りを要求するのは実に面倒臭い。

だから商売は難しく、何でもただで引き受ける方が楽だと言える。

というような理由で、社会に出ずに家に引きこもっている人は少なくないかもしれない。

「他人に見返りを要求するのは難しい」が商売の難しさの基本であり、様々な人間関係のトラブルの元になる。

みんなそれぞれ大変なのを知ると、自分も安心して苦労できる。

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2013年8月20日 (火)

神と試練

「神が与えし試練」とは便利な言葉でそう思えば何でも乗り切れるかもしれない。
神様は意地悪く人の邪魔をし、そしてパワーを与える。
気付いた人だけがその恩恵を受ける事ができる…というのもまた意地悪だが。
科学の時代に「神」は否定するのではなく、乗り越え内包すべきものではないか?
生物も古い形質を否定ではなく内包し進化する。
人体もナメクジや魚やトカゲや猿の形質を内包する。
ナメクジが嫌だと言って自分の「舌」を除去する人がいるならば、それは明らかに異常である。
神もまた同じではないか?

一日は短く、人生は短い。
今から、時間を1分でも無駄にしないようにすれば、全部取り返しがつく。

不用意で行こう!
用意周到で用心深く、計画的で理性的な人は、結局は何もしないのだから。
不用意な人には自己決定能力がある。
用意周到な人は決定してくれる誰かを探すことに、エネルギーを注ぐ。

殺される人より自滅する人の方が多い。
文明が外敵によってでなく内部崩壊で滅びるように、自分も外敵によってでなく内部崩壊によって滅びる。
権利を主張するが責任や義務を忘れる人たちが存在する。
「大衆の要求はとどまる事を知らない」と知って、まず自分自身が自制する事しか出来ない。

文明が廃れ始めると野蛮が台頭する。
文明は本質的に野蛮を内包し押し殺している。
文明の基礎の一つが農業であり、植物の野蛮を押し殺し文明的な野菜に仕立てる。
アートもまた同じで、文明が衰退すると雑草が生い茂り、野蛮なアートが台頭する。

技術が発達し、何もかもが自動化し便利になると、世の中が「お母さん化」する。
人々が子供化、幼児化するのは実に当たり前である。
世の中便利になり「お母さん化」する一方で、パソコンの操作はおしなべて煩雑で不親切で、リテラシーを身に付けないと手も足も出ない事がある。
「お母さん」に見捨てられた子供がいる一方、リテラシーを身に付けた「母子密着」の子供もいて、それがパソコンに詳しく他人には閉鎖的なオタクなのかもしれない。

『ソクラテスの弁明』の冒頭、一言も真実を言わない人の存在が示されているが、確かに多くの人は欺瞞を生き、真実を語らず、しかもその事を忘れ、思い出さないよう鍵を掛けている。

「感謝の心」が忘れ去られるとともに、その人の関心は自分自身へと集中する。
「感謝の心」とはさまざまな物事を「関係」として捉える心であり、これを失った人は自分を絶対視し身動きが取れなくなり自滅する。

無償の愛に対する感謝を、相手との一対一の関係と捉えると話がこじれる。
なぜなら人は単独では存在せず、様々な関係に依って存在するから。
目の前の相手を通し、その背後のすべてに感謝です!

文章がうまい人は、自分が見たり体験した事を、他人が見たり体験した事のように書く事ができる。
つまり客観化の能力で、これがない人は自分の体験にくっ付き過ぎて、独りよがりの文章になる。
ぼくはこれがちょっと苦手で、独りよがりで書いたものを見直しながら客観化する。

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2013年8月19日 (月)

借り物と返却

持っているために自由になるものと、持っているために不自由になるものがある。
同じものを持っていても、それによって自由になる人と、不自由になる人とがいる。
不自由な人は持ち物を自分のものとして執著し、自由な人は全てが借りものであると知っている。
それが例え我が身、我が心であったとしても。

我が身は借り物であり、やがて返却しなければならない。
我が心も借り物であり、それを自分のものとして執著することは間違っている。
心は借り物であり、いかようにも借り変えることができる。
すなわちいらないものは返却し、必要なものを借り足す事ができる。

自分の心は借り物であり、レンタルビデオのようなものである。
一度借りた映画を「自分のもの」とみなして返却せず、同じ映画を繰り返し見続ける事は本来的に間違っている。
自分の心は借り物だと認識すれば、一つの心の在り方に執著する事なく、様々な心を採り入れながら、心の幅を広げることができる。

物事が上手くいかない時、その原因となる自分の悪しき心はどこから借りてきたのか、を反省してみよう。
大抵は親からの借り物だったりするので余計な心は返却し、新たに有効な心を他から借りてこよう。
心は様々な人や本などから借りることができる。心はそのように、お互いに貸し借りしあっている。

心は借り物であり、レンタルビデオのようなものである。
だが多くの人は一度借りたビデオを「自分のもの」と思いなし返却せずそれを繰り返し見続ける。
そのように異なる映画を借りっ放しの人同士では、共通の話題もなく心が通じ合うことはない。
様々な映画を借りて見ている人同士では話題が豊富で心が通じ合う。

自分が幸福だと思っている人は、他人の不幸から目を背けているだけであり、本当の意味で幸福とは言えない。
他人の不幸から目を背ける人は、不幸な人に冷たい。
なぜなら彼らの認識の中に、不幸な人は(自分を含め)存在しないからである。

今、不安だと思う心を借り物の心だと知って、惑わされず落ち着くこと。
今、怒りに思う心を借りものの心だと知って、惑わされず心落ち着けること。
今、恥じ入る心を借り物の心だと知って、惑わされず心落ち着けること。
今、悔しいと思う心を借り物の心だと知って、惑わされず落ち着くこと。

今、苦痛だ思う心を借り物の心だと知って、惑わされず心落ち着くこと。
今、快楽だと思う心を借り物の心だと知って、惑わされず心落ち着くこと。
今、劣っていると思う心を借り物の心だと知って、惑わされず心落ち着くこと。
今、優越していると思う心を借り物の心だと知って、惑わされず心落ち着くこと。

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2013年8月18日 (日)

欲望と自制心

自制心とはブレーキであり、自制心のない人々はブレーキのない自動車のようにお互い衝突し合っている。
欲望とはアクセルのようなものであり、欲望の無い人は停車して動くことがなく、他の自動車の通行の妨げになる。
欲望があり、自制心がある自動車は良くコントロールされて走る。
欲望の無い自動車は走らす、自制心の無い自動車は暴走する。

自動車の運転が楽しいように、欲望を自制するのは楽しい。
欲望を自制しない人は、ブレーキのない自動車を暴走させているに過ぎない。
馬力が大きく、スピードが出る車ほど、それをコントロールするのは難しくだからこそ楽しい。
同じように、欲望が強い人ほどそれを抑制するのは難しくだからこそ楽しい。
例えば飲酒の欲望が強い人ほど禁酒は難しくだからこそ楽しい。

強い欲望を持ちながら、ブレーキを踏まずアクセルも踏まない人がいる。
そのような人は、夢や理想を語りながら具体的行動は何一つ起こさず、何も実現させようとはしない。

小さなことからコツコツと。
一度に全部やろうとすると何もできなくなるから、小さなことをコツッと一つだけやって、あとは何もしない…というのを繰り返す。

目の前のものを「実体」だと捉えると、目の前のものに縛られる。
目の前の世界を「実体」だと捉えると、世界に縛られる。
目の前の他人を「実体」だと捉えると、他人に縛られる。
自分自身を「実体」だと捉えると、自分自身に縛られる。

自分以上に優れた人に際限が無いように、自分以上に知識を持つ人に際限が無い。
自分以上に成功した人に際限が無いように、自分以上に幸運な人に際限が無い。
自分以上に豊かな人に際限が無いように、自分以上に不幸で不運で不遇で苦痛を味わっている人に際限が無い。

迷いとは躊躇であり、迷いがある人は躊躇して何事もなさず、迷いが無い人は躊躇せず何事もなす。

生きとし生けるものは安楽を求める。
多くの人々は暴力によって生き物を害することを肩代わりしてもらいながら、食物を得ている。
暴力を振るわず平和で安楽に生きる人の多くは、他者に対する暴力を肩代わりしてもらっていることを忘れている。

芸術の本質とは、施しであると言えるかもしれない。
真に優れた芸術は、遥か後の時代の我々にまで、施しを与える。
歴史に残らない芸術は、施しが同時代人に消費されてしまう。
同時代人にとって施しにならず、消費もされず、歴史を通して人々にとって施しとなる芸術がある。

お金とは施しであり、商品もまた施しである。
施しを与えた者は施しを得る。
施しを与えたいと始めに望む者と、施しだけ受けたいと望む者とがいる。

勝利からは恨みが生じる。
賞賛からは妬みが生じる。
自由な人は不自由な人々の恨みや妬みによって縛られる。

執著の心がなく施しの心のある人は、優れた芸術家になり得る。
執著の心がある芸術家は、人々の執著の心を作品によって肯定し、執著の心のある人々からの賞賛を得る。

自分の束縛を断ち切り、自分を壊し、別のステージに立つのは楽しい。

平和な時代に暴力は隠される。平和な時代に暴力を肩代わりする人々によって、暴力が隠される。
黙って、様々な事を肩代わりする人々によって、この世の平和(と言う幻想)は保たれている。

楽しさには二種類がある。苦しみに打ち勝つ楽しさと、安寧に浸る楽しさと。
苦しみに打ち勝った後に安寧があり、足元を救われる。
勝利の先に安寧を求めることなく、勝利の先にさらなる戦いを見出すならば、苦しみに打ち勝つ喜びも継続する。
例えば酒の楽しみを知りながら、禁酒を続ける人がそれである。

優れた人と共に歩み、優れた人と共に住むのは楽しい。
愚人と共に歩み、愚人と共に住むのは辛い。
優れた人と歩み、優れた人と住みたければ、自分が愚人であってはならない。

実験として、辛いこと、苦しいことだけをやってみよう。実験だから、水の中でしばらく息を止めるのと同じ。
実験として、楽しいこと、気持ちのいいことを我慢しよう。実験だから、水の中でしばらく息を止めているのと同じ。

人は日常的感覚に縛られる。日常的感覚が人を最も強く縛る。自由な人は、日常的感覚の束縛を断ち切っている。人を縛る日常的感覚を断ち切る方法が存在する。

子供の心がいかに汚れているかは「子供のような大人」を見ればよくわかる。

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2013年8月17日 (土)

お金と感謝の心

成功しない人は努力が足りないのではなく感謝が足りない。
感謝のない努力は自己満足に陥る。
感謝のない親切はお節介を生じる。
お金が儲からない人は、お金に対する感謝が足りない。

お金とは「感謝の心」の具現化である。
お金を悪用する人は「感謝の心」を悪用する。
お金を溜め込む人は「感謝の心」を溜め込んでそれを人に伝えようとしない。
お金をくすねる人は「感謝の心」をくすねる。
お金を盗む人は「感謝の心」を盗む。
お金儲けが苦手な人は他人から「感謝の心」を得るのが苦手。

お金とは「感謝の心」の具現化である。
お金の無駄遣いをする人は「感謝の心」を無駄遣いする。
お金に無頓着な人は「感謝の心」に無頓着。
銀行には「感謝の心」が預けられ、通帳には「感謝の心」の残高が記される。
消費者は商品に対し「感謝の心」を支払い、メーカーは従業員に「感謝の心」を支払う。
つまらない商品がよく売れるのは、多くの人がつまらないものに対し容易に「感謝の気持ち」を支払うから。

お金を「感謝の気持ち」と言い換えてもそれだけで金は儲からない(笑)

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2013年8月16日 (金)

死刑囚の惑星

見る者と、さらに吟味して見る者の視点は異なり、両者が交わることはない。

努力せずに願いが叶う魔法のショートカットにすがろうとする人たちがいる。

愚か者は苦行に満足しながら本質を遠ざける。

快楽の喜びを知るものは、快楽を否定しこれに打ち勝つ喜びも知ることができる。

自分自身であり続けることの喜びを知るものは、古い自分を否定し新たな自分に生まれ変わる喜びを知ることができる。

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多くの人は「存在するもの」と「存在しないもの」を取り違えている。
目の前にものが存在することが確かであればあるほど、自分の死を信じることができない。
目の前のものが「本当にある」と信じている人は、自分の死を信じてはいない。
世界の存在を確実なものとして認識してる人は、自分の死を認識していない。

実のところ、誰もが自分の死を待つ「死刑囚の惑星」に存在している。
人は誰でも死刑囚であり、人生が辛いのは当たり前である。
それにもかかわらず生きる喜びがあるのは、死刑囚にも情けはかけられているからである。

人が自分の前世を知り得ないように、人は自分が何の罪を犯したか知り得ないが、確実に死期は訪れる。
人を殺した者は人によって裁かれて死ぬ。
人を殺さない者は、その他のあらゆる罪を犯していなくとも、自分が犯したのではない罪によってやがて必ず死ぬ。

否が応でも一日の終わりはやってくる。
否が応でも眠気は襲ってくる。
否が応でも死期はやってくる。

人はいつか必ず死ぬからこそ自分を高めることができる。
死なないのであれば悩みなく、自分を高める必要もなくなる。

「自分は死なない」と思っている人が死ぬのは悲しい。

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2013年8月15日 (木)

疲れと感謝

●疲れたらひたすら感謝しよう、ありがとう!

●疲れたら何もできないからひたすら感謝しよう、ありがとう‼

●怠け者は結果を急かす。

●人間が不幸なのではなく、愚かな人間が不幸なのだ。

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2013年8月14日 (水)

偶像と自分

多くの人は信じるべきものを疑い、疑うべきものを信じている。
まずは「自分」という偶像を破壊することが重要である。
なぜなら「自分」が最も偶像化しやすいからである。
あらゆる偶像は「自分」という偶像の投影として存在するのであり、偶像としての「自分」を破壊すればあらゆる偶像は消え去る。

優れた人は誰に対しても開かれている。

どんな人もそれなりの「情報」を持っている。

教養がゼロでもみんなで生きていけるための工夫みたいなものが作動している。

置いてけ堀にされたと気付いた者だけが、追いすがろうとして道に迷う。

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2013年8月13日 (火)

形式とメッセージ

●明日になるだけでは何も解決しない。
単に朝目覚めるだけでは何もかも悪化するだけ。

●快楽を伴う善行が即ち悪行なのである。
意地悪も親切も共に快楽になりうる。

●メッセージで重要なのは内容よりもまず形式。型式とは行動であり、行動こそが言葉を超えたメタメッセージとしてまず相手に伝わる。
言葉を使わない動物は、相手の行動を自分に対するメッセージとして読み取る。
それは人間も同じであって、相手の言葉の内容よりもまずその行動をメッセージとして敏感に受け取る。
この傾向は初対面の相手に対しより顕著で、だから行動の形式(挨拶や礼儀)が重視される。
その意味で言葉には価値がなく、行動だけに価値があり、行動としての言葉だけに価値があり、それ以外の言葉は言い訳でしかない。

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2013年8月12日 (月)

臆病と迷路

●臆病者は小さな溝も飛び越えられず、これを避けて迷路のような人生を歩む。

●臆病者は戦友の足を引っ張る。

●気付けば逃げ道の経路がいつも決まっている。

●いつも逃げ場のないところに逃げ込んでいる。

●楽をしようとする時点で最初から負けている。

●相手の望みを理解しようとしない人は、自分の望みも見失って暴走する。

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2013年8月10日 (土)

幻覚と幻痛

●例えば日本にラーメン屋さんは沢山あるけれど、どの店もプロだからアマチュアの家庭料理を上回ってるとは言い切れないし、まして本当に美味しいと言える店はごく限られている。
ラーメン屋さんを政治家に置き換えると、世の中の見通しが良くなる。

●「自分の才能」を信じられるアーティストと、「自分の才能の無さ」を信じられるアーティストがいる。

●超自我と自我未満、超現実と現実未満、超芸術と芸術未満、超近代と近代未満…などがある。

●幻覚や幻聴があるように「幻痛」もある。
精神的痛みは肉体的痛みではないから全部が幻痛なのであり、だからこそそれを克服するのが難しい。
しかし肉体的痛みも、実は脳内で作り出される幻痛であり、その証拠にそれを化学的に消去することもできる。

●打たれ強い人に二種類いて、精神が強化された人と、精神が硬化した人。
他人からどれだけ批判されても全く聞く耳を持たず、実現しない夢ばかり語る精神が硬化した人を知っている。

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2013年8月 9日 (金)

古い自分と赤ん坊

●自分に出来る事と出来ない事を峻別するのは非常に難しい。
大抵の場合、できると思った事が実際に出来なかったり、出来ないと諦めていた事が出来てしまったりする。

●多くの場合、自分に出来る事と出来ない事を取り違える。
同様に人は、自分のすべき事とすべきでない事を取り違え、自分がしたい事としたくない事を取り違え、好きなものと嫌いなものを取り違える。

●自分を全否定するところから、本当の自分が立ち上がる。そもそも赤ん坊はそのようにして生まれてくる。

●人はいつでも赤ん坊のように古い自分を否定して、新しく生まれ変わる事が出来る。

●人は死ねばまた生まれ変わり、輪廻の堂々巡りを繰り返すのみで何の進歩もない。
これを断ち切るには、生きながらにして古い自分を殺し生まれ変わる必要がある、と説いたのが初期仏典。

●自殺した人間が生き返る事はないが、古い自分を殺した人間は新しく生まれ変わる事が出来る。

●自分を否定する余地を残していない人間には実のところ「自分が無い」。

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2013年8月 7日 (水)

天国のような地獄

天国のような地獄。
現実を見れば地獄でも、幻視すれば天国になる。
眼は幻覚を生じる器官であり、耳は幻聴を生じる器官であり、現実を認識することはできない。
現実は幻覚。
現実と幻覚はコインの裏表の関係にある。
目を閉じて耳を塞げばどんな問題もたちどころに解決し、多くの人がそのための高度な技術を身につけている。

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芸術とは何か?を問いながら製作する方法と、自明の芸術を製作する方法とがある。
写真とは何か?を問いながら撮る方法と、自明の写真を撮る方法がある。
芸術とは何か?を問う人と、自明の芸術を主張する人がいる。
芸術とは何か?を問いながら製作するのは愚か者で、自明の芸術を製作する者は要領が良い。

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ただ言葉を並べただけでは詩にならない、とすれば、どう言葉を並べたら詩になるのか?
言葉の配置が詩であるなら、ものの配置によって写真も詩になるのか…?
詩について理解したければ、詩についてただ勉強すればいいだけ。
この場合、出来るだけ古いもの、原典に遡ると近道できるはず。

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2013年8月 6日 (火)

正直な悪人

●他人の意見を自分の作品に採り入れる事は難しい。
だからこそ、それをする価値がある。

●自分の時間を作るために時間を盗むこと!

●正直な悪人は顔に出る。そうでない悪人はまず自分自身を騙すことでカムフラージュする。

●目標は大きいほど長生きできるはず。

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2013年8月 2日 (金)

遠近法と序列

素人が描く絵は、遠近法が狂っている。
絵の才能がある子供の絵も、一見うまいように見えるだけで遠近法は狂っている。
正確な遠近法で描くには、それなりの専門知識と訓練が必要になる。

遠近法とは、雑然と見える物事のうち、何が重要で、何が重要でないかの序列の判断だとも言える。
このような判断を身に付けるには、多くの専門知識と訓練が必要となる。
だから素人の遠近法は間違っているのであり、自分の間違いに無自覚で自信にあふれているのが素人で、そうでないのが専門家なのである。
ソクラテスは「無知の知」によって、見通すことが不可能な遠方をさらに身通そうとする「遠近法」を説いたのだった。

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