夢鬱つ
久々に見た夢を覚えていたので書き出してみる。
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この辺りの歩道は、どこも柵をしていなくて危ない。
転落の危険のあるポイントが幾つかある。
坂を自転車でものすごいスピードで下っている。
道と言うよりビルの屋上のような場所。
目の前に行き止まりの柵が見える。
その傍で小学生が数人佇んでいる。
柵は鏡張りである。
ぼくはここが転落の危険のあるポイントであることを思い出し、ブレーキを掛ける。
が、信じられないことに間に合わず、柵を超えて転落死してしまう。
そこで、人生の無意味さを理解する。
やりたいこと、やるべきことはたくさんあるはずなのに、何をやっていいのか分からない。
何をやっても突き詰めて考えれば意味がなく虚しく、だから何をやっていいのかさっぱりわからない。
それで衝動的に自殺したくなる、と言う人の気持ちが急に分かるようになった。
友達数人で、若いアーティストのグループ展を見に行く。
案の定、とてもレベルが低くてつまらない。
友達の一人の乱暴者の問題児?が「コラボレーションしてやろう」と、展示作品に穴を開け始める。
彼は暴力的で怖いので、皆その行為を黙認していたのだが、ぼくはそのうちたまらなくなって「止めろ!」と言って制止する。
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「何をしていいのか分からない」は本質的には解決のつかない問題であり、単にそのような真実に気づいてしまっただけの事。真実には目を背ける事なく向き合うしか無い。
「何をすればいいのか分からない」とは解決不能の問題であり、それが真実である事を真正面から見据えなければならない。
何をしてもどうせ死ぬのだから何をしても無駄であり何をしていいのか分からない。鬱には鬱手が無い(笑)
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