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2013年9月

2013年9月30日 (月)

『ファスト&スロー』メモ

ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?』を読みながら、抜き書きや思いつきのメモ。

多くの場合、人は合理的思考と連想とを混同している。

連想的思考は夢の思考でもあり、だから人は目覚めてもなお夢の中にいると言える。

認識世界は連想によって構築される。

認知容易性は人を幸せにする。

認知容易性は人々の万能感を満たす。

原因と結果が混同される多くの場合、それらの要素はそもそも因果関係になく、相関関係だけがある。例えば、気分が良ければ笑顔になるし、あるいは無理にでも笑顔を作れば不思議と気分が良くなる。
だから「原因と結果」という思い込みに逆らい「その逆」を試みる事に価値がある。

特定の体験がその後の判断の基準となり、その様にして人は過去の記憶にいつまでも縛られる。

連想は文脈を飛び越え、人に錯覚に与える。

多くの人にとって、子供から大人になるに従い、世界は説明不要な物事で埋め尽くされてゆく。
説明不要の範囲が拡大すると、その人の支配圏も拡大する。

断片的情報が連想によりつなぎ合わされることにより、もっともらしいストーリーが作られ、あたかも合理的思考の様に振る舞う。

因果関係の「印象」に人は心を奪われる。

システム2が他の事にかかり切りの時は、私たちはほとんど何でも信じてしまう。(ダニエルカーネマン)

システム1は騙されやすく、信じたがるバイアスを備えている。疑ってかかり、信じないと判断するのはシステム2の仕事だが、しかしシステム2は時に忙しく、だいたいは怠けている。(ダニエルカーネマン)

実際、疲れている時やうんざりしているときはか、人間は根拠のない説得的なイメージ、例えばコマーシャルなどに影響されやすくなる、というデータもある。(ダニエルカーネマン)

連想記憶の働きは、一般的な「確証バイアス」を助長する。(ダニエルカーネマン)

偽の一貫性、偽の合理性、夢のような現実の中で、人はそれらに惑わされる。

手元に無い資料は、自分の手元のみならず、この世に存在したいものと判断され、そうして自分以外の他者の存在が、認識世界から消え去る。

情報収集せずに、限られた情報のつじつま合わせに走る人たちがいる。

自分が見たものがすべてであり、見えないものは存在しない、と認識の省略が行われる。

どれだけソースが不足しようとも、人は辻褄のあったストーリーを信じる。

情報が少ない方が、都合良くつじつまのあったストーリーを作りやすい。
情報が多いと現実の複雑さを前に人は自信をなくすが、反対に情報が少ないほど自信に満ちる。

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2013年9月29日 (日)

模擬と研究

畳敷きの部屋の壁際に白木の箱が置かれ、その前に彦坂尚嘉さんと、数人の人が正座している。そして彦坂さんが「これから大学の学術研究のための、模擬葬式を行います。模擬なので中に遺体は入っておりません」と言ったところで目が覚める。

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2013年9月26日 (木)

死の谷と進化

我々は全て、安定した心地よい環境が続いて行く事に頼っている。

生物の大量絶滅は特別な出来事では無い。それが特別に見えるのは偏見でしかない。データを並べれば生物の絶滅は頻繁に起こり、その大小の違いがあるだけ。

いま自分がいる低い山から、隣のより高い山に登るためには、その間の死の谷を通過しなければならない。

様々な高さの成功の山が、死の谷の間に点在している。別の高さの山に移動するには、この死の谷を渡らなくてはならない。

山と山の間の、死の谷を渡る事に耐える事ができた生物のみが、次の山に登る事ができる、即ち進化できる。

山と山との間に横たわる死の谷があまりに長い場合、その山に到達する事、つまり進化する事を諦めなければならない。

人類とその亜種である現代人とでは進化の速度が劇的に異なる‼

人々の直感に反する原理原則は五万とある。

人間は非合理に互いに影響し合い、時に雪崩を起こす。

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2013年9月25日 (水)

選択と分岐点

自分にとって嫌なことが起きた時、そこに幻想と現実との分岐点が現れる。

現実と幻想の分岐点において、常に現実を選択する人と、常に幻想を選択する人がいる。

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2013年9月23日 (月)

夢の話の続き

辻褄の合うこと、理解できること、常識だと思えること、それらの全ては夢幻に過ぎない。なぜなら夢の中では矛盾を矛盾として認識できず、理解不能を理解不能として認識できず、非常識を非常識として認識できず、そのことは目覚めてもなお変わることがなく、だから目覚めてからさらに目覚める必要がある。

すんなり理解できるようなわかりやすい説明は、だからこそ嘘だ!と思わなければならないし、辻褄が合って合理的と思えることは、だからこそ嘘だ!と思わなければならないし、常識とされてることは、だからこそ嘘だ!と思わなければならない。なぜなら人は目覚めてもなお夢の世界に囚われるからである。

夢の中でいくらリアルで充実した経験をしても、目覚めた瞬間にその全てが忘れ去られてしまう。同じように、今日の体験は明日には忘れ去られ、経験や記憶が蓄積されることはない。人は目覚めてもなお、夢の中に閉じ込められている。

朝目が覚めると、直前までリアルに経験したと思い込んだことの全てが夢にすぎなかったことが判明する。同じように、日々の生活の中で「現実」を突きつけられると、生活世界のリアリティの全てが夢にすぎになかったことが明らかになる。それゆえに人は「現実」から目を逸らし、夢を見続けようとする。

目の前の現実は、現実感のあるイメージに過ぎず、現実とは異なるまやかしでしかない。現実は常に過酷であり、過酷な現実を夢で覆い隠しながら人は幸せな人生を送る。

過酷な現実を覆い隠す夢は、現実との連動性を持つことでその機能を果たす。夢は現実と無関係に生じるのではなく、現実と連動することで、夢見る人にリアリティを与える。夢は過酷な現実を、御都合主義的なまやかしの現実に変換する機能を持つ。

御都合主義的な漫画や映画のように、人は御都合主義的なファンタジーの中を生きる。人は過酷な現実から自分にとって都合の良い部分のみをピックアップし、矛盾もそのままに御都合主義的なまやかしの現実を作り出す。人々のクリエイティビティは、まやかしの現実を生み出すことに注がれる。

自分にとって都合の良いことはことごとく夢でしかなく、自分にとって都合が悪く目を背けていることこそが「現実」なのである。現実は夢の外部に存在する。御都合主義的な夢の外部に、自分にとって不都合であるが故に目を背け続けている「現実」が存在する。

御都合主義的な夢は文字通りの迷宮となって人を閉じ込め、そこから脱出することは実に容易では無い。夢から脱したと思っても、それはそう思っているだけであり、迷宮内のまた別の夢を見せられているに過ぎない。

夢を夢として認識しなければ目覚めることができない。自分には現実としか思えないあらゆる事物はことごとく御都合主義的に自らが創り出した夢であることを認識しなければならない。

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2013年9月22日 (日)

効率化としわ寄せ

ある部分の効率をよくすると、他の部分が非効率になることがある。効率が良くなった部分だけに注目し、非効率になった部分を見逃すことは良くないが、非効率になった部分だけにとらわれ、効率が良くなった部分を見逃し評価しないことも、また悪い結果をもたらす。効率と非効率のバランスを見極めること。

効率化のしわ寄せは、必ず何処かに現れる。そのしわ寄せは是正しなければならない非効率なのか?あるいは全体の効率化を成り立たせるために必要な非効率なのか?を見極める必要がある。部分的にどれだけ非効率であっても、そのおかげもあって全体が大幅に効率アップしている場合もあるのだ。

「計画は常に失敗する」と知っている人は失敗した際、臨機応変に創造力が発揮できる。計画に固執する人はその意味での創造力がない。

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夢と辻褄

人間の自然な認識、素朴なリアリティ、生活世界の全ては辻褄が合ってるようで、その実矛盾だらけであり、見せ掛けの夢幻に過ぎない。

人は生まれながら夢の中に閉じ込められる運命にある。この運命に逆らい、眠りながら夢を夢として認識し覚醒しようと試みる事が哲学であり芸術であり科学である。哲学や芸術や科学は、夢の中の裂け目として立ち現れる。

理解で生きる事、解決できる事は「生活世界」という夢の中の出来事に過ぎない。しかし夢を夢として認識しようとすれば、そこに理解不可能な事物、解決不可能な問題があることも認識できる。

理解できる事、解決できる事は「生活世界」という夢の中の出来事に過ぎない。しかし夢を夢として認識しようとすれば、そこに理解不可能な事物、解決不可能な問題があることも認識できる。

夢見る人が夢の中でその辻褄の合わなさに気付かないのと同じく、生活世界に生きる人はその辻褄の合わなさに気づくことはない。

人は目覚めてもなお夢の世界に生きる。人類の文明は、夢からの覚醒と、夢の世界の拡張と、二つの方向に進化する。

夢を見続ける限り、すべては矛盾なく辻褄が会い、すべては合理的に理解でき、すべての問題は解決可能で、すべてが自分の思い通りに都合良くできている。しかし目覚めた人は「現実」がことごとくその逆であることを知っている。

目覚めた人は眠る人に「目覚めなさい」と呼びかけ、眠る人は目覚めた人に「余計な考えは捨てて眠りなさい」と諭す。

世界は辻褄が合わず、分からないことだらけであり、何もかもが自分の思うようにならない。その逆はすべて夢幻に過ぎない。

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2013年9月20日 (金)

先生一人、生徒一人

夢見る人に夢はなく、現実を見据える人に夢がある。

人格改造講座。先生一人、生徒一人。他人の人格を変えることはできす、自分で自分の人格を変える事だけができる。

現代の技術が日進月歩なのに対し、現代人の多くが自らの人格を進歩させる事なく「変わらない自分」のままでいようとする。

多くの人は技術の進歩を望み、自らの人格の進歩を望まない。

技術的に革新的であり得ても、人格的に革新的な人は実に少ない。

iPhone5がiPhone5sにバージョンアップしたように、自らの人格をバージョンアップさせようとする人は実に少ない。多くの人の人格は初代iPhoneのままであり、スマートフォン以前の携帯電話のままであり、昔ながらの黒電話のままであり、そのように「完成し切った自分」を維持する。

技術の飛躍的な進歩により、例えば電話もカメラもその概念が解体され、別物に進化している。一方で、自分を飛躍的に進歩させ、古い自分の概念を解体し、別者の自分に進化しようとする人はいない。

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2013年9月19日 (木)

醤油とコピー機

コンビニでコピーをとろうと思ったらトナーが無くなっている。
店員さんに「醤油でも良いですよ」と言われ、自分の醤油を入れコピーをとる。
撮れたコピーは醤油の茶色をしていて、店員さんも「やっぱり茶色になりますね」と言っている。
しかしその店員さんに「一緒に卵を入れましたか?」と聞かれる。
「入れてないですが」と答えると、「醤油の定着には卵が必要で、これを一緒に入れるのが当たり前で、入れなければコピー機が傷む」と文句を言われる。
しかし醤油だけならともかく、卵まで自分のものを入れるのは勿体ない、と思って釈然としない気分になる。

……という夢でした。

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2013年9月14日 (土)

心配と想像

心配事の大半は想像の産物に過ぎない。

心配事の裏付けの大半は、想像の産物に過ぎない。

心配事は、自分の精神の創造物であり、実際の事柄とは無関係である。

自分が見て感じられる世界は様々な心配事に満ちているが、そのすべては自分の精神の産物に過ぎない。

大きな心配事はもちろん、気にも留めないような小さな心配事が、日常的に自分の足を引っ張ってる。自分の心の動きを対象化して、こまめ観察する事。

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2013年9月12日 (木)

『歴史は「べき乗則」で動く』メモ

以下、『歴史は「べき乗則」で動く』(マーク・ブキャナン著)を読みながらのメモ。

歴史上の決定は不可逆であり、その後に起こるすべての出来事に影響を与える。

「凍結した偶然」が進化の本質であり、歴史本質。

歴史物理学。あらゆる些細な偶然は、成長しつつある構造に、それ以降永遠に消し去ることのできない影響を残す。本質的な偶然とともに、歴史が姿を現す。

凍結した偶然はまさに歴史の不確実さを具現化したものである。by マークブキャナン

芸術には歴史とその不可逆な偶然性が刻まれている。

すべての現象は意識の働きであり、現象の観察は意識の働きを観察する事なのである。

存在すると確信できるものが存在する。

経験的確信、経験的理論、の放棄。

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2013年9月11日 (水)

欲望を制するのは難しい

「欲望を制するのは難しい」と初期仏典に書かれているのは、「欲望を制するのは難しい」と文字で書いただけでは欲望を制するのは難しい、と言う事を示している。

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開かれた系と他者

『歴史は「べき乗則」で動く』を読みながらメモ書き。

歴史物理学。物理は歴史と通底している。物理的変化とは歴史的変化であり、歴史的変化とは物理的変化だった。

複雑系物理学。非平衡系物理学。世界が実験室のように閉じられた系ではなく、開かれた系だと言うことは、つまりは「他者」が存在すると言うこと。「自分」という閉じられた系の外部に様々な他者たちが存在する事で、物理現象も歴史も、予測不可能な方向へと変化する。

未来がわかり得ない事と、他者の心がわかり得ない事は意味が同じ。自分に分かり得ない他者たちの心によって、未来は予測不可能な方向へと進んでゆく。他人の心を読むのが上手い人は、未来をうまく予測できるはず。

歴史は繰り返されず、だから未来は予測できない。

世界から戦争がなくならないのは、自分には全く知り得ずかつ自分と全く異なる心を持つ「他者」が存在するから。つまり世界が「開かれた系」である限り戦争はなくならない。戦争をなくすには世界を閉じた系に変える必要があり、そのためには他者排除のための戦争が必要になる。

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2013年9月10日 (火)

蓄積と構造

自分のリアルな感覚を疑う事は最高度の智慧であり、並の東大生ではまず無理である。

自分のリアルな感覚を疑う事により、記憶が蓄積される。
自分のリアルな感覚に疑いを持たない者は、記憶を蓄積しない。

自分のリアルな感覚を疑う事で、構造が構築される。
自分のリアルな感覚を疑わない者は構造を持たない。

例えば、グルメの親に育てられた子供は、自分の「美味しい」と思うリアルな感覚を、度々否定される。
これにより、親が示す「美味しい」と「不味い」の差異の記憶が蓄積され、子供の味覚判断が構造化される。

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2013年9月 8日 (日)

糸崎公朗回顧展とブルーチーズパーティー

「糸崎公朗回顧展」を開催します。

場所は、ぼくが所属している彦坂尚嘉さん主宰の「気体分子ギャラリー」アトリエの展示スペースです。

実は、ぼくは12月に東京都写真美術館で開催される『路上から世界を変えていく
日本の新進作家vol.12
』に出品するのですが、その打ち合わせのため学芸員さんに作品の一部を見ていただいたのです。

それで、せっかくなのでこれはぼくの個展ということにして、彦坂尚嘉さんのあいちトリエンナーレのお疲れ様会を兼ねて、小さなパーティを開くことになりました。

小さいですから、気軽にご参加ください。

ブルーチーズ・パーティ♯1

この「ブルーチーズ・パーティ」というのは、高橋克圭さんのfacebookでブルーチーズが好きだと書き込んでいて、彦坂尚嘉さんと盛り上がってできた企画です。ぼくもブルーチーズは大好きです。

ブログとfacebookのオフ会を兼ねていますので、ご気軽にご参加ください。

赤ワインと、ブルーチーズと、フランス・パン+ドイツ・パン、のみのパーティーです。

それ以外飲食したい方は各自持参してください。持ち込み自由で、歓迎します。

日時:9月15日(日)14:30〜20:00
場所:気体分子ギャラリー・アトリエ
   〒252-0813
   藤沢市亀井野3−23−11
   電話0466-90-4560  
   携帯:080−4346−1358(ひこさか)
      080−3605−5912(いとさき)

*来られる方は事前に電話か、下記メールでご連絡いただければと思いますので、よろしくお願いします。
itozaki.kimioアットマークgmail.com

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正しい人と強い人

「自分」という王様に仕える奴隷でいるより、他人に仕えた方が自由が獲得できる。

自分の脳で考えず、どの他人の脳で考えるか?を考えると、自分の脳が拡張できる。

弱い人間は淘汰されてゆく。
淘汰の意味は、水を勢い良く洗い流すことだった…弱い人はまさに洗い流される…
http://ln.is/gogen-allguidecom/t/lOoS…

正しい人は弱く、不正な人は強い。なぜなら、正しい人は正しさを追い求め、不正な人は勝利を追い求めるから。

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