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2013年9月23日 (月)

夢の話の続き

辻褄の合うこと、理解できること、常識だと思えること、それらの全ては夢幻に過ぎない。なぜなら夢の中では矛盾を矛盾として認識できず、理解不能を理解不能として認識できず、非常識を非常識として認識できず、そのことは目覚めてもなお変わることがなく、だから目覚めてからさらに目覚める必要がある。

すんなり理解できるようなわかりやすい説明は、だからこそ嘘だ!と思わなければならないし、辻褄が合って合理的と思えることは、だからこそ嘘だ!と思わなければならないし、常識とされてることは、だからこそ嘘だ!と思わなければならない。なぜなら人は目覚めてもなお夢の世界に囚われるからである。

夢の中でいくらリアルで充実した経験をしても、目覚めた瞬間にその全てが忘れ去られてしまう。同じように、今日の体験は明日には忘れ去られ、経験や記憶が蓄積されることはない。人は目覚めてもなお、夢の中に閉じ込められている。

朝目が覚めると、直前までリアルに経験したと思い込んだことの全てが夢にすぎなかったことが判明する。同じように、日々の生活の中で「現実」を突きつけられると、生活世界のリアリティの全てが夢にすぎになかったことが明らかになる。それゆえに人は「現実」から目を逸らし、夢を見続けようとする。

目の前の現実は、現実感のあるイメージに過ぎず、現実とは異なるまやかしでしかない。現実は常に過酷であり、過酷な現実を夢で覆い隠しながら人は幸せな人生を送る。

過酷な現実を覆い隠す夢は、現実との連動性を持つことでその機能を果たす。夢は現実と無関係に生じるのではなく、現実と連動することで、夢見る人にリアリティを与える。夢は過酷な現実を、御都合主義的なまやかしの現実に変換する機能を持つ。

御都合主義的な漫画や映画のように、人は御都合主義的なファンタジーの中を生きる。人は過酷な現実から自分にとって都合の良い部分のみをピックアップし、矛盾もそのままに御都合主義的なまやかしの現実を作り出す。人々のクリエイティビティは、まやかしの現実を生み出すことに注がれる。

自分にとって都合の良いことはことごとく夢でしかなく、自分にとって都合が悪く目を背けていることこそが「現実」なのである。現実は夢の外部に存在する。御都合主義的な夢の外部に、自分にとって不都合であるが故に目を背け続けている「現実」が存在する。

御都合主義的な夢は文字通りの迷宮となって人を閉じ込め、そこから脱出することは実に容易では無い。夢から脱したと思っても、それはそう思っているだけであり、迷宮内のまた別の夢を見せられているに過ぎない。

夢を夢として認識しなければ目覚めることができない。自分には現実としか思えないあらゆる事物はことごとく御都合主義的に自らが創り出した夢であることを認識しなければならない。

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