怠惰と希望
疑うより信じたい。
疑うことより信じる方が楽だし心地良い。
疑うことは脳にも心にも負担がかかり、これを避けるため人はできるだけ信じようとする。
システム1は、現実以上に筋の通った現実像を作り上げる。(カーネマン)
連想マシンには、原因を探すという特性がある。
情報のシニフィアン=情報の信憑性。
情報のシニフィエ=情報の意味内容。
多くの人は情報のシニフィエに目を奪われ、情報のシニフィアンを見落とす。
事実を事実として認識するのを妨げる数々のバイアスが存在する。
夢想バイアス!
お互いに自分の言いたいことだけを言い、自分の聞きたいことだけをピックアップして聞き、対話の形を取りながらお互いに独白しているに過ぎない、という場合がある。
野蛮な人はあらゆるものごとの二重構造を理解しない。
どのような事物も二面性で捉えることができるし、二重構造として認識できる。
何一つ達成できなくとも、少しでも前に進む方が、何もしないよりマシである。結局のところ人は何も達成し得ず、少しでもマシになることしかできない。
何一つ達成し得ないからと言って、絶望する必要はない。ほんの少しでも前に進み、その分だけマシになることは出来るのだから。
希望を失った者は怠惰であり、怠惰な者は希望を失っている。
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