芸術とヒヨコ
自分が最初に理解した定義にいつまでも縛られる性質は、産まれたばかりのヒヨコが最初に見た動くもの、例えばボールでもラジコンカーでも何でも「親」だと認識する性質と似ている。
しかし自分はヒヨコではないし、芸術はポールでもラジコンカーでもないのであり、その認識は修正することができる。
人は芸術を追いかけているつもりで、転がるボールやラジコンカーを追いかけている事がある。
あたかも産まれたばかりのばかりのヒヨコが、初めて見る「動くもの」を何でも、例えば転がるボールでもラジコンカーでも、親だと思って追いかけるようなものである。
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