非国民と非写真家
●自分の頭は空っぽで他人の頭でしか考えることができず、自分の心は空っぽで他人の心でしか感じることができず、自分の体は空っぽで他人の体でしか行動できない。
●空洞が常に流れによって清浄な人と、空洞に汚れが溜まりそれを充溢だと思いなしている人がいる。
●「写真」を撮るためにはまず「写真とは何か?」を考えてはならず、「写真は芸術か否か?」を考えてはならず、まして「芸術とは何か?」を考えるなどもっての他である。
写真家を名乗りながら「写真とは何か?」という疑いを持つ者は非国民ならぬ非写真家であって、絶対に許されるべきではない!
写真家になるには写真家のフリをしながら写真を撮るフリをして作品が完成したフリをすること。
フリではない本当の写真とは何か?を考え始めるともうそれは「写真」ではなくなる。
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