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2013年11月 1日 (金)

日本人を恨むのはもう止めよう!

日本人を恨むのはもう止めよう!ぼくには日本人に対してというか、世間に対して深い恨みがあって、それがぼくの アートの根拠にもなっていたのだが、そう言うルサンチマン・アートはもう止めよう!そもそもアーティストは傍観者でなければならず、恨みの感情は目を曇らせるだけ!

ウラミハラサデオクベキカ!という浦見魔太郎のような気分でここまで来たのだが、実際に恨みというものは仕返しに よって晴れる分けではなく、気分が晴れるのと同様に、自分と向き合い内部処理して晴らすしかない。そのようにして、日本人に対する、世間に対する恨みが晴 れて、視界がクリアになった!

他人への恨みは自分への恨み。自分への恨みが晴れれば世間への恨みも晴れる!視界がクリアで爽やかな気分!

自分だけが苦しいのではなく、世間の誰もが苦しいのであり、苦しいからこそ、これを忘れるための世間が形成される。

恨みの気持ちは怯えの表れであり、怯えの気持ちは無理解から生じる。相手を理解し、同時に自分を理解しようとすれば、恨みの気持ちは自然と晴れてくる。

相手を理解することは相手の苦悩を理解すること。苦悩する相手を恨んでも仕方なく、つまり怨みは理解によって晴らすことができる。

人間の精神は、各自が体験したさまざまな不幸によって歪んでいる。

人は誰でも不幸であり、誰もがその不幸を他人に対しても、自分に対しても剥き出しにせず、他人に対しても自分に対しても幸福を装う。

小さな幸福を手にした人は、その前提に大きな不幸を負っている。

幸福感に包まれている人は、現実の不幸を幸福な感じで包み隠している。

不幸は絶対的に消えらさないところに幸福の秘密がある。

自分の不幸から目を逸らす技術と、自分の不幸を直視する技術とがある。

大抵の想像が心配事に過ぎないのは、人間が生きることのベースに不幸があるからであり、怯えの産物である。この不幸を吹っ切るには想像ではなく現実を直視する必要があり、現実は勇気ある実際の行動によってのみ直視できる。

幸福は不幸を隠蔽するためにしか存在しない。

資本主義社会には不幸を紛らわすための商品があふれ、情報化社会には不幸から目を逸らすための情報があふれている。

幸福に至る道はなく、あらゆる道は死に至る。

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