本家と借り物
山本七平によると、旧日本軍の規律も、憲法も外国からの「借り物」で、「借り物」だから勝手に改訂してはならず内容が固定化し、さらに本家より厳しさを増すことで「こちらこそが本家」という感覚に陥るらしい。
方や本家の欧米では、自分で作ったものは自分で作り変えてバージョンアップさせてゆく。
言わば、自分で書いた文章を自分で校正するようなもので、適宜書き換えてゆくことができる。
しかし他人の文章を借りてきた場合、これは書き換えるなぞもっての他の、絶対的で神聖なものへと祭り上げられる。
「借り物」だから内容を吟味せず疑いもせず理解もしないで、表面だけをなぞって有り難がる。
日本人の「借り物主義」は根が深く、ぼくが知る限りは『法華経』がまさにそうなのだ。
法華経は仏典の重要な内容は一切明かさず「法華経という素晴らしい経典があって、素晴らしすぎて内容は誰も理解できない」と延々と賛辞が述べられる自己言及的な内容で、この感覚まさに現代日本にまで通じている。
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