目からウロコのアフォーダンス理論
●知性は外部に存在する!のアフォーダンス理論を全面採用すること。
そもそも知性が脳内に存在することに明確な証拠は存在しない。
知性は外部に存在する、と言うアフォーダンス理論を採用するならば、知性が足りない人はより孤独で、知性が豊かな人は人間関係が豊か、と言うことになる。
例えば本を読む人は読まない人より人間関係が豊かで、読解力が高い人は人間関係を作るのが上手い、と言い換えることができる。
知性は外部に存在する!
目に見える一つ一つが知性‼︎
知性は外部に存在し、目の前の他者が自分の知性なのである。
アフォーダンスは「外部知性」と翻訳することができる!
例えば脳が小さなカブトムシは外部知性によって生き、人間は外部知性によって呼吸や歩行を行う。
目の前の他者に対し、外部知性としてアクセスするかしないかの分かれ道が常に存在する。
●「目から鱗落ちる」とは新約聖書の記述だが、使徒行録9章を確認すると、イエズスを迫害する側の手先であったサウロは、3日間目が見えず、飲食もできない状態が続いた後、目から鱗が落ちて再び見えるようになったとある。
つまり「目から鱗が落ちる」とはそれほどに大変なことなのだった。
3日間、目が見えず飲食もできないほどの価値転換が、新約聖書に書かれた本来的な意味での「目から鱗が落ちる」なのだった。
「目から鱗が落ちる」ほどの価値転換をするには、3日間目が見えず、飲食もできないことに相当する何かが必要になる。
目が見えても本質から目を逸らし、そのようにずっと盲目だったことに気づいた者は、その途端に盲目になり、3日後に目から鱗が落ちて再び見えるようになる。
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