幸福と自由
この四月から大学生になる甥っ子から、高校の現代文の教科書をもらって、目を通しているのですが、内山節さんの『この村が日本で一番』というエッセイです。
この中で、
以前に群馬県の山村、上野村に暮らすお婆さんに、「この村から一度も出たことのない私が言うんだから、間違いない。この村が日本で一番良いところだ。」と言われて、私は感服したことがあった。
とありますが、ぼくとしてはそんなおばあさんに感服する内山節さんに、感服してしまいます。
何事も、他人と比較するから自分が見劣りして、不平不満が出ます。
逆に自分の殻に閉じこもり、自分の世界だけを見つめていれば、何の不足も感じず誰もがハッピーになれます。
不幸とは、他人の比較において生じるのであって、比較をしなければ幸福以外存在し得ないのです。
いっぽう、自由とは異なる地域、異なる時代の様々な物事の比較によって得られる、と言ったとは山本七平でした。
とすると、実は自由を得ると人は不幸になり、不自由でいることで幸福を得る、と言えることになります。
実際、村から出られない不自由なおばあさんは、絶対的幸福に包まれているわけです。
自由と幸福が対義語なのであれば、そのどちらを選ぶかは難しい問題で、まさに人の生き方の分かれ道と言えるかもしれません。
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