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2014年3月 6日 (木)

認識と言語

アナーキズムは、肉体を否定的に捉えたプラトニズムに通じる。
なぜなら、肉体は、多細胞動物の身体は、本質的に差別構造があるから。
アナーキズムは身体の否定!

「知らない」という状態は人間にとってストレスであり、それには生物学的根拠がある。
動物にとって、餌の場所が分からない、敵の位置が分からない、ということは命取りであり、ストレスになる。
転じて、人間にとって凡ゆる「分からないこと」は(例え命に別条はなくとも)ストレスになる。
知ることの喜びは、餌のありかを知り、敵の居場所を知る動物の喜びに起源があり、知らないこと、わからないことの不安もまた同じ起源を持つ。

人間は記録と出力を繰り返す装置であり、その不正確さにおいて創造性を発揮する。

チョウが紫外線で世界を見るように、ヘビが紫外線で世界を見るように、コウモリが超音波で世界を見るように、イヌが嗅覚で世界を見るように、人間は「言語」によって世界を見る!

その動物の最も発達した知覚器官による認識を「見る」と表現するならば、イヌは嗅覚で世界を見て、耳で聞いて、目で嗅ぐ、という感じなのかもしれない。

言語は人が作ったものではなく、人が存在する以前から存在する⁈
人間は言語を創造したのではなく発見した?
あたかも、赤外線や紫外線、可視光線の7色を発見したかのように。

人類は遺伝子を発見し、そこには言葉が刻まれていた。
人類が存在する以前に言葉は存在する!
言葉から言葉が生じる。
遺伝子という言葉から生じた生物もまた言葉なのである。

「神は“光あれ”と言った」と旧約聖書にあり「初めに言葉があった」と新約聖書にあるが、つまり言葉は光や匂い物質と同じく、人の存在以前から存在する。

人間とは精神である、とキルケゴールは書いたが、人間以外の動物には意識はあっても精神はない?
動物の意識には覚醒の段階があり、意識レベルが一定以上に達すると精神が生じる。
意識レベルが落ちた状態の人間は、意識はあっても精神がない?

視覚が言語によって情報処理される。
視覚の中に言語による情報を読み取る。
言語は可視光線と同じく、あらかじめ世界に存在する?

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚があるように、言語覚が存在する。
聴覚を伴わない視覚やそうでない視覚があるように、があるように、言語覚を伴わない視覚と、そうでない視覚が存在する。

人間の視覚には言語覚が伴っているが、チンパンジーやネコの視覚には言語覚が伴っていない。
ということは、人間にも言語覚を伴わない視覚が存在するはず。

人間以外の、言語覚を伴わない知覚世界(環世界)のあり方を想像すること。

途中で失敗だったことに気付くことも運命だし、そこから修正しようと決意するのも運命だし、失敗を見逃したまま一生を終えるのも運命。
全ては始めから決まっている。

人は名前のない事物に名前を付けているのではなく、あらかじめ存在している名前を発見している。
プラトンの想起説の如く、人は様々なものの名前を忘れていて、名付けることは、忘却した名前を想起しているに過ぎない。

言語覚を伴う知覚と、言語覚を伴わない知覚とを峻別してみること。

目をシャットアウトすると、視覚に伴う言語覚もシャットアウトされ、言語覚を省いた近くが体験できる、かもしれない。

迷ったら、よりたくさんの判断材料を取り入れて、もっと大きく迷うこと。
小さな迷いほど下らないものはなく、迷いが大きくダイナミックになるほど偉大な知性へと近づく。

自分は「言語」というものに対して大変な思い違いをしていて、どうにかしてそれを修正しなければならない。

人間にとって、言語で言い当てられないものは存在しない、とするのは間違いだった⁈
人間にとって、言語で言い当てられないものはどのように存在するのか?
そもそも「非人称芸術」は言語で言い当てられないものと関係していたはず。
自己矛盾を見据えてこれ。解消しなければならない。

類型による認識。
初めて目にする木をなぜ「木」と認識できるか?類型を行っているのである。

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