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2014年3月26日 (水)

知ることと思い出すこと

知ることと、思い出すことは同じとは言えないだろうか?人が全知全能の神になれないように、人は全てを思い出すことは出来ない。しかし人は可能な限り多くを思い出そうとし、神に近づこうとする。

人が想起する能力は寿命により制限され、故に人は全てを想起することが出来ず、神にはなれない。

プラトンの想起説を、アフォーダンス理論と結び付けること。つまり知性は脳内ではなく環境に存在し、記憶は環境から想起され、環境へと忘却される。

人が生まれるということは、環境から想起されることであり、人が死ぬということは環境へと忘却されること。即ち、生物の誕生は環境からの想起であり、生物の死は環境への忘却なのである。

カマキリが産まれるということは、カマキリがカマキリであることを思い出すことであり、カマキリが死ぬということは、カマキリがカマキリであることを忘れることである。

誕生とは想起であり、死とは忘却である。

昆虫のように、生きるのに必要な全てを思い出して産まれてくる生き物と、人間のように殆ど全てを忘れて産まれてくる生き物とがある。しかし実はそうではなくて、人間は身体と精神の想起にズレがあり、昆虫にはそのようなズレが無く、そのような違いがある。

人間が産まれるということは、人間が人間の身体を思い出すことに他ならない。しかし産まれたばかりの人間は、人間の精神のなんたるかを忘却したままで、教育により徐々にこれを想起しなければならない。

何でも想起だと言い換えると、ただ言い換えてるだけじゃないか!と批判されそうだが、実際その通りで、どこまで適用できるか確認する方法論として、何にでも当てはめてみた次第。

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