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2014年3月15日 (土)

迷いの森と信仰の平原

イデオロギーとは、自分にとってその正しさに疑う余地が無く、同時に他人にとっては疑わしいものを指す。

イデオロギーは、他人から聞いた考えを、自分オリジナルの考えだと勘違いすることで生じる。

自分の感覚を基準に物事を判断する限りに於いて、誰もが一律に正しい。

ウサギが正しくヘビが間違っている、と言うことはあり得ず、ニンニクは正しくアサガオが間違っている、と言うこともあり得ず、そのようにして全ての異なるイデオロギーは一律に[正しい」。

神様が作ったものは「神様が作った」という理由でその全てが美しく、人間が作ったものは「たいていの人間は間違いを犯す」という理由でその大半は美しくない。

神様が作ったものは、例え自分にそれが美しいとは思えなくとも、自分にその美しさが分からないだけであって、「神様が作った」という理由によって美しい。

「信仰」とは「迷いのジャングル」を抜けたところの「到達点」であり、そこには「思考停止の平原」がどこまでも広がっている。

「迷いの森」を抜けた到達点、「思考停止の平原」においては、全てのものは一律に美しく、全ての人は一律に正しく、醜いもの、間違ったものは何一つ存在しない。

「相手は間違っている」とお互いに言い合うそのどちらもが「正しい」のであり、「間違い」はどこにも存在しない。

「思考停止の平原=信仰の平原」

「信仰の平原」においては、全てが美しく、全てが素晴らしく、全てに価値があり、全てに意味がある。
突出したものは何も無く、全てが突出した「平面」として世界は広がっている。

「信仰の平原」に到達すると、信仰すること意外に、考えることも、感じることも、見ることも、聞くことも、読むことも、何もかもする必要が無くなる。

迷いの森を抜け「信仰の平原」に到達すると、その先にはもはや何もなく、それ以上に他人の話を聞く必要も無くなり、他人に興味を持つこともなくなり、他人と交わる必要も無くなる。

選択肢がなければ信念を曲げることはできず、選択肢があれば信念をクネクネと曲げることができる。

揺るぎない信念を持つ人は選択肢を持たない。

信仰に囚われている人は選択肢を失っている。

信念にこだわる人は選択肢を失っている。
あたかも、イヌがネコになるという選択肢を失っているようなものである。

他のあらゆる選択肢を拒絶することで、迷いの森を抜け信仰の平原に至ることができる。

実に単純な世界に迷いはない。例えば、南無阿弥陀仏と唱えれば誰もが成仏できると言うように。

平等主義者は、平等主義によって、他のいかなる主義よりも優位に立てると信じている。

平等主義者は平等以外の選択肢を奪われている。

自らが劣っていると自覚した者は平等主義によって他人より優位に立とうとする。

自分以外はみんなバカ、と言う平等主義者が存在する。

誰にでも平等に訪れるものが死であり、平等主義をとなえる者は生きながら死んでいる。

根拠と自分の勘とは異なる。

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