神と博愛主義
人が変わらなければ世の中が変わることはない。
多くの人は変化することなく、それぞれが特殊に分化している。
平等は神の下においてしかあり得ず、博愛主義も神の下においてしかあり得ない。
神は世界に差異を、すなわち不平等をもたらす。そして、神の下に全てが平等なのである。
いったい、イヌが正しくてネコが間違っているということがあろうか?
そのように、どのような人間であっても「正しい」。
ハエが劣っていて、ウマが優れているのではない。
そのようにヒトは万物の霊長なのではなく、従ってどのような人間も皆それぞれに優れている。
人は皆、神の下に平等であり、しかし人は神ではない。
不平等の起源の一つは動物の餌にあり、餌となる動物とそれを餌とする動物との不平等がはじめに存在する。
多細胞生物は各細胞ごとに差別する構造によって身体を構築する。
差別の構造なくして多細胞生物は存在し得ない。
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