文明と背理
感情移入と認識。
時間の流れ。諦観と経験。
油断すると、文明人の精神はすぐに自然化し、文明人しての理に背く。
背理となる自然化を許さないこと。
自分の精神の自然性の発露とその動きを、事あるごとにチェックしモニターし続けること。
糸崎さんは頭が柔らかい、などとたまに言われるが実のところぼくは非常に固い人間で柔軟性が無い。
柔軟性が無いからこそ、他人の考えを理解したり取り入れたり受け入れたりできず、結果として自分のやり方に凝り固まった表現になり、他人から見て柔軟で独自性がある、と誤解されているに過ぎない。
アタマが固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!
一見、柔軟な発想の元に生み出されたフォトモなどの自分の作品は、だからこそ実は逆説的に自分の頭の固さが如実に現れている。
まず自分の頭の固さを自覚しなければ、これを克服する道は開けない。
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