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2014年4月20日 (日)

鏡のアフォーダンス

<p><p><p>Untitled Page</p></p></p>

私は「物」を見ているのであり、写真には「物」が写っている。

「物」を見ることと、「写真に写る物」を見ることの違い。

「目に映る物」を見ることと、「写真に写る物」を見ることとの違い。

「目に映る物」を見ることと、「目に映る写真に写る物」を見ることとの違い。

「目に映る写真に写る物」を見ることと、「目に映る写真に写る写真に写る物」を見ることとの違い。

人間はミラーマンであり、その他の動物はミラーマンではない。

水を飲用としてのみならず、鏡として利用するのは人間だけ。

鏡のアフォーダンス。

人の身体は、人の身体のみで完結しておらず、身体外部に存在する「鏡」もまた、人間ならではの身体の一部なのである。

進化論的に、鏡は生物身体のどの部位に発生したか?一つは眼球の光量増幅のための反射鏡として存在する。

またある種の昆虫は、鏡を擬態として利用する。

また、イカやタコの身体構造が鏡だとすれば、これも擬態に利用される。

いや違うのだ。動物の目は本質的に鏡なのであり、外部にもう一枚の鏡を見出す人の目だけが「合わせ鏡」になっている。

鏡は本質的に合わせ鏡なのである。

本質認識は事実認識ではない。

事実を事実として見ない人は、事実が存在する証拠を隠蔽しているに過ぎない。

知覚するのではなく、知覚を知覚すること。

すなわち、見るのではなく、見ることを見ること。

そして、写真を撮るのではなく、写真を撮ることを撮ること。

見るだけの人と、見ることを見る人とがいるように、写真を撮る人と、写真を撮ることを撮る人とがいる。

絵描きにも、絵を描く人と、絵を描くことを描く人とがいる。

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