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2014年4月17日 (木)

構造と反復

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人は目覚めている間もずっと夢を見ていて、その夢から逃れることは出来ず、目覚めることはない。

即ち、人は夢の中で傷付けば現実に傷つき、夢の中で失敗すれば現実に失敗し、夢の中で死ねば現実に死ぬ。

夢の中にしか生きえない人にとって、夢でしかあり得ないものが現実でしかあり得ないものになる。

現象は現実とは異なるが、現象と現実は連関している。

似たことが繰り返されることが「関係」と言われる。

記憶が反復を支えている。

iPhoneのカメラアプリを立ち上げると、液晶に風景が映し出される、という「現象」が生じる。この現象は、人の認識として現れる「現象」と同一ではないが、共通する要素も持っている。

われわれは現実を見ているのではなく、現実が存在する「証拠」を見ている。現実は決して直接見ることは出来ず、間接的な証拠だけを見て、現実の存在を確信している。

反復の記憶が現実の存在の証拠となる。

移動が反復を生み出す。

もし、網膜に映る像が固定されてしまったならば、目は見えていても何も見えていないのと同じことになる。

人間は他人を見て、自分が存在する証拠を掴む。

自分の存在は他人が存在することの証拠となる。

構造とは反復であり、反復のないものに構造はない。

オリジナリティの高いものは内在する反復を持っている。

自分の絵を見ながら描く、自分の音楽を聞きながら演奏する、ということには反復が含まれ、見ないで描き、聞かないで演奏することの内に反復はない。

反復は生命の本質

反復が終わると生命も終わる

内在的反復と、外在的反復とがある。

人は見えない「現実」が存在する証拠を集めながら、その証拠の隠蔽工作を図る。

人は現実から目を背けるのではなく、その証拠の隠蔽工作を図る。

人は現実が存在する証拠を見つけてはそれを隠す。

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