展覧会鑑賞

2011年3月 4日 (金)

今さらながら『プライマリーフィールド2』の感想

S_8559727b

今さらでなんなのだが、1月9日に見に行った神奈川県立近代美術館葉山館『プライマリーフィールド2』展の感想を、ツイッターの書き込みを元にまとめてみる。

7人の現役アーティストによる企画展だが、絵画として分かりやすい作品ばかりで、自分としても特に悩むことなく素直に観ることができた(笑)
全体の印象としては、とにかく軽い感じで、芸術ならではの難解さや重厚さを否定しているようにも思える。
言ってみれば、雑誌『イラストレーション』のコーナー「ザ・チョイス」にでも載ってるみたいなオシャレで軽いイラストを、アートの形式に置き換えたような感じ。

また、この企画展は写真を元に描いた絵画が多くて、その意味でも参考になった。
実は、ぼくは最近「反ー反写真」に続いて「反ー反絵画」を描こうと企んでおり、自分で撮った写真を絵にしたらどうだろう?なんて事を考えていたのだ。

ぼくは芸術家としてのオリジナリティーが無く、インスピレーションも湧かず、絵画の道は断念してしまった。
ついでに構図が取れないので、真っ当な写真の道も断念してしまった(笑)
だが美大受験のためデッサンをやったので、写真を見ながらそっくりに描く事は一応できる。
しかも最近は「構図が苦手」が克服され自分でも「写真」が撮れるようになってきたのだ。
ただ、技術だけでセンスの無い自分みたいな人間が写真を見て描くと、際限無く精密に描き込むしかなくて非常に時間が掛かってしまう。
絵は描きたいけど、そこまで手間のかかる描き方はとてもやる気がしない…

と言う観点で『プライマリー・フィールド2』の作品を観ると、特に高橋信行さんの作品は、写真を元に描きながら大胆に図式化、省略化され、少ない工程で軽やかに描かれている。
そしてこの独特の抜き加減が「芸術」として肩肘張った前時代的態度と異なるオシャレで軽やかな「アート」になっている。
「現実が密に写し出された写真から、いかにして大胆に要素を削って絵画を成立させるか?」というように考えると、漠然としたオリジナリティーやインスピレーションなどという概念とは違う方向で、自分が描くべき絵画を考える事ができるかもしれない。

他には小西真奈さんと三輪美津子さんも写真を元に描いていて、高橋信行さんよりはだいぶリアルに描き混んでいるが、しかし粗いタッチで軽快に描かれている。
というか、小西さんと三輪さんは共に描き方がとてもよく似ている。
小西真奈さんと三輪美津子さんの絵は、どちらも一見写真のようにリアルで、近づくと粗いタッチで遠近感がわからなくなる感じに見える。
実物ではなく写真を見ながら描いた絵特有の薄っぺらさがあり、これも軽快な心地よさを観客に与える一因なのかもしれない。
意外だったのは小西真奈さんと三輪美津子さんともにタッチが達筆というわけではなく、どちらかと言えばグチャグチャと塗りが汚く思えた事だ。
ぼくは似たような絵でも、印刷前提のイラストはそれほどきれいな塗りではなく、芸術絵画はさすが達筆に描かれる、と認識してたのだがその決め付けがもはや時代遅れかもしれない。

ともかく小西真奈さんと三輪美津子さんは描法が良く似てて、モチーフが異なっているように思える。
という意味で極めて「写真的」だと言えるかも知れない。
つまりぼくも両人のような描法で自分の「写真」を見て描けば、絵画を成立させられるかも知れない。
いや、あくまで想像的な案でしかないですが…(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月25日 (土)

新国立美術館「ゴッホ展」感想tweet

Simg_0192

●これからゴッホ展見ます。
これ見るのに覚悟は…いらないかw

●ゴッホ展会場内だが、これは見るには覚悟がいる…
見通しが甘過ぎた…
腹を括って「自分を殺す」か、自分を生かして逃走するか…
まぁそういう「構造」が判明した以上、実験的にでも「自分を殺す」しかない…
みなさんサヨウナラ〜w

●ゴッホ展は場内あまりの人の多さに容易に見る事が出来ず、頭に来てすぐ帰ろうと思ったのだが、「人混みが嫌いな自分」をぶっ殺してw、大人しく人混みに並んでゆっくり見る事を「決定」し、おかげで全部見られたのですw

●オルテガは、大勢が集まる場所に自分もわざわざ行くのが「大衆」だと言い、ぼくもそれに同意してた。
しかしインテリのオルテガと違い、ぼくは「頭の程度」から明らかに大衆であり、事実人であふれるゴッホ展に来ている。
だから「非大衆を気取る自分」をぶっ殺して、状況への適応を試みたのだ。

●「自分をぶっ殺す」は大袈裟なようだが、それくらいの気分でないと「方法論的反省」による「自分の三分割」は出来ない。
前回トランスフォーメーション展で「分割」に失敗したので、改良してみたのですw

●他人に対して「死ねっ」て思うのは本当の殺意ではなく、翻訳すると「性格変えろ」って意味。
つまり人間死ぬ気にならないと悪い性格は変わらず、他人にそんな過酷な要求ができるほど、自分はエライのか?
と思うと「だったら自分が死ねっ」と鉾先を自分に向けるのが「方法論的反省」の極意w

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京都現代美術館「トランスフォーメーション展」感想tweet

Simg_0094

Sat, Dec 04

15:39 今からMOTで「トランスフォーメーション」展見ます。これ見るには覚悟がいる…自分を分割する覚悟…今日は三分割を試みようw

17:10 MOTトランスフォーメーション、他全部見終わった…「自分の三分割」は失敗…覚悟を上回る内容…穏便に言うなら今の「自分」は現在の現代アートに適応できていない…正直言うと、つまらな過ぎてヤン・ファーブルあたりでマジ吐き気がしたwこう言う自分の「間違った感覚」は方法論的に反省しないと…

17:30 MOTトランスフォーメーションも常設も、映像展示が多過ぎ…立ち喰い蕎麦みたいに急いで立ち見する映像…一点ならまだしも次から次へと…つまらない絵は一目で判断出来るが、しばらく見た映像がつまらなく精神ダメージ受けた場合、誰が責任を取るのか⁈なので映像は全スルー‼この自分も反省します…

17:42 まぁしかし、MOTトランスフォーメーションは見て良かった…自分がいかに現在の現代アートの波に乗り遅れ、勝手に時代錯誤してたのかが良く分かった…まぁ、つくづく愚かでしかないよね…十分に反省します。そして…信仰します!現代アートを‼方法論において‼‼

17:52 いや、まぁ意識と慣れの問題かと…観客の皆さんは喜んで見てたようでした。映像も皆さんまったりと楽しんでるようでした。ぼくはこらえ性が無いのかもw RT @hwtnv そ、そんなに酷いのでしょうか

18:00 お、反省したら「自己分割」出来た…w

23:13 深川ラボのオープニングで元木みゆきさんに会って、TAPギャラリーの一周年記念パーティー…ちょい飲みすぎw

Sun, Dec 05

01:12 返信遅れた…心から反省する自分、形式的に反省する自分、反省しない自分、の三つです。@akakeem 三つの視点で鑑賞なさるということでしょうか?

01:19 「反省」とは自分を変えることであり、心から変わった自分、形式的に変わった自分、変わらない自分、の3つの視点ですね。結局「変わらない自分」のまま鑑賞し、その後で「形式的に変わった自分」によって「心から変わった自分」が反省しましたw RT @akakeem

16:52 昨日MOTトランスフォーメーション見て腹が立ったのは、自分の意思や努力とは無関係に世の中が動くのを、目の当たりにしたからだろうか?自分が正しいと思ってする事など、全く虚しいのである。と、パスカル読みながら思ったw

17:02 自分の意思や努力とは無関係に変化するものを「自然」と言い、自然の前に個人の存在が虚しいのは当たり前である。自分がコントロール出来ず、翻弄される自然に対して恨むことは虚しく、むしろ祝福し、観察することが有効である。

17:17 10月に見に行った瀬戸内国際芸術祭は、大勢のツアー参加者と一緒だったので、気が紛れて「虚しい自分」に対面しなくて済んだのかも…もし、トランスフォーメーション展の様に一人で行ってたら、同じようにブチ切れてたかもしれないw

17:25 「世界」に拒絶された「虚しい自分」にできることは、「世界とは何か?」を知ろうとする事のみである。と、言うわけで「芸術とは何か?」を知ろうとしなければならない。しかしこの場合の「芸術」は、一つではなく、おそらく三つに分割されるだろう。

17:39 芸術に限らず「正しい答えは一つ」だと思うと行き詰ってしまう。しかし「正しい答えは無限にある」と考えると収集がつかない。だから「正しい答えは三つ」とするのが丁度良いw つまりラカンの三界の応用で「想像界の正しさ」「象徴界の正しさ」「現実界の正しさ」の三つである。

17:55 「方法論的反省」は、ラカンの三界の応用で「心からの反省=想像界」「形式的反省=象徴界」「反省しない自分=現実界」に三分割される。反省しない自分は、形式的な反省を経て、心からの反省に至る。この時系列の変化を同時保存し続けるのが「方法的反省」なのである。

19:13 「ラカンの三界」の応用の一つに「想像界」をさらに三界に分ける方法がある。斎藤環「生き延びるためのラカン」にある、想像界=パソコンモニター、象徴界=プログラム、現実界=パソコンハード、と言う例えがそう。人間にとって認識可能な「想像界」に属するパソコンを、さらに三界に分けているのだ。

21:02 ぼくが言うラカンの「想像界」「象徴界」「現実界」は、彦坂尚嘉さんの言うそれとは関係なく、あくまで自分のために勝手に考えてるだけ…ラカンも斎藤環など入門書しか読んでない。原著を読んでる彦坂さんの「三界」はアレンジがキツくて難解過ぎ。ぼくのは入門レベルでやさしいかも?

21:47 ぼくのTwitterは「小説」なんだから、たまには小説らしい事書かないと…だが小説とは「小説らしい文章」を意味するのか?などと、根源的に考える事は「方法論的反省」においてもうやめよう。すなわち「小説らしい文章」こそが「小説」なのだ。と、またしても小説らしくない事を書いてしまったw

21:57 さっきの小説の問題を「芸術」にシフトすると、「芸術」とは「芸術らしい作品」を指すのであり、そう定義すると、「芸術とは何か?」の問題は、「芸術らしさとは何か?」の問題に置き換わる。

22:22 ぼくは「芸術とは何か」を重視し、意図的に「芸術らしさとは何か」を蔑ろにしてきた。その意味でぼくは中途半端だったと言える。しかし写真については、「写真とは何か」とは別に「写真らしさとは何か」を追求し始めている。これを「芸術」にも適用することが必要だ…

22:34 MOTトランスフォーメーション展も「芸術とは何か」の視点で見たおかげで文脈を見失ったのかも…恐らくあの展示は「芸術らしさとは何か」の視点で企画され、そう思うとしっくりくる。観客もみな「芸術らしさとは何か」を堪能してたのではないかと思う。ぼくもそうすれば良かった…w

22:48 「芸術とは何か」はへそ曲がりの態度であって、大抵のものには満足せず、何にでも腹を立るw 対して「芸術らしさとは何か」は素直な姿勢で、トランスフォーメーション展も「芸術らしい作品」が厳選されてるのだから、素直な気持ちで接すれば十分に楽しめるはずなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月17日 (水)

真似したくなるのが良い写真・他

S_8558108b

昨日は長野から美大の先輩の宮田さんが上京されて、市ヶ谷の土手で虫の撮影をした後、水道橋のアップフィールドギャラリーで田村玲子写真展「場所にて」を一緒に見に行った。
田村玲子さんの写真展は山方伸さんのブログに紹介してあって、彼が紹介するくらいだからきっと良い写真に違いない、と気になっていたのだ。
http://d.hatena.ne.jp/blepharisma/20101108

田村さんの写真は近代的な建物を写したものだが、どこの何の建物を写したのかはハッキリ分からず、その意味では抽象度の高い写真だった。
どの写真も曇り空のフラットな光で、カメラを垂直水平に構えた端正な構図で、クールな印象。
まぁ、評論する語彙が乏しくてもどかしいのだが、真似て撮りたいと思うくらい、良い写真だった(笑)
ただ、田村さんの真似をするには同じように無機質な場所を探し出す必要があり、その意味で「場所」によって創り出される作品だと言えるだろう。
ぼくは今のところ場所にこだわらず「どこでも写真は撮れる」と言うつもりでいるが、もしかすると田村さんの写真にあるような場所に出会ったら、田村さんの写真を思い出し、真似て撮るかも知れない。

そのあと新宿のコニカミノルタプラザに行ったのだが、3つやってた写真展のうち島内治彦写真展「お城が見える風景〜姫路城〜」がなかなか面白かった。
どの写真にも必ず姫路城が写っているのだが、たいていは端っこに小さく写っているだけで、どこに姫路城があるのかすぐには分からない。
言ってみればちょっと「ウォーリーをさがせ」的な面白さがあるのだが、それ以前に「写真」としてきちんと完成度を上げているので見応えがある。
田村玲子さんの「場所にて」が玄人好みの素人には分かりにくい写真なのに対し、島内治彦さんの撮る姫路城は、玄人にも素人にも楽しめる写真ではないかと思う。
と言うか、「反ー反写真」を始める以前の自分だったら、田村さんの写真は絶対に理解できず、島内さんの写真だけを良いと思ったはずである(笑)

さらにそのあと新宿御苑近くの蒼穹舎で、村越としや写真展「雪を見ていた」を見ていたのだった。
村越さんの写真展は、大きなフレームに小さな正方形の写真を入れ並べてあったのだが、印象的で良かった。
以前、ある写真家が写真を小さくして展示したところ「もっと大きければいいのに」と言われていたのとは対照的に、村越さんの写真は小さいままで実に「決まって」いた。
どこが違うのかと思って考えるとある写真家・・・まぁ山方伸さんなのだが(笑)、彼の写真は緻密な描写が特徴だったのに対し、村越さんの写真はディテールよりも印象が優先しているからなのかも知れない。
実際、会場にいた村越さんに伺ったところ、写真のイメージの「白」と、額のマットの白と、会場の白い壁のイメージを調整しながら大きさを決めたのだそうだ。
ぼくはこれまで額装とか展示空間をあまり考えてこなかったので、そう言う話は参考になる。

それから隣のプレイスMの写真も見て、そのあと宮田さんの計らいで美大の同級生と待ち合わせし、実に学生時代以来の再開を果たし、久々に飲み過ぎてしまったw
20年以上ぶりに会った同級生は、顔や物腰は確かに彼のものであったけど、仕事やその他のキャリアを積んで「別人」になっているわけで、何だか彼の叔父さんにでも会ってるような、不思議な気分がした。
そのうち、彼の表情の癖などが、ぼくの別の友人に似ていることに気付き、そうなるとさらに一体何が何だか、アルコールも入ってるしますます分からなくなってしまうのだった(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月 1日 (月)

「赤瀬川原平×南伸坊 トークイベント」に行った

Mpa187450
(最近撮ったソレっぽい写真はこれくらい・・・10月18日、水道橋付近にて。)

先週の土曜(10月30日)は、横浜市民ギャラリーあざみ野で開催中の「赤瀬川原平写真展 散歩の収獲 + 横浜市所蔵カメラ・写真コレクション展」と「赤瀬川原平×南伸坊 トークイベント」を見に行った。
ぼくは実は赤瀬川さんとはお会いしたことはなく、実際にお顔も拝見したこともなく、全くコンタクトしたことがなかった。
なので、この機会にあわよくばご挨拶しようとも思って、トークイベントの予約をしていたのだった。

そのトークイベントは南伸坊さんを相手に、トマソン発見前夜からその後の路上観察学会に至るお話で、展示写真の上映なども交えながら、場内のみなさんは爆笑されていた。
しかし正直なところ、ぼくにとっては退屈極まりなく。そうなのだろうことは予想できたのだが、実際に確認できてヨカッタという感じだ。
というのも、ぼくは赤瀬川さんの著作をいろいろ読んできたファンであり、そういう自分からするとこの日のトークはほぼ100%知っている内容で、新しいものは何も含まれていなかったからである。

ここであらためて意識されたのが「前衛」という概念なのだが、赤瀬川さんは1960年代に「読売アンデパンダン展」を中心とした反芸術的な「前衛」を行っており、その延長上に「超芸術トマソン」の発見があったのだった。
しかし「超芸術トマソン」が話題になった1980年代初頭は、すでに芸術の「前衛」という概念そのものが古びてきて、だから赤瀬川さんの態度も、ことさら「前衛」を主張しない言わば「反前衛」へと移行したように思える。

「超芸術トマソン」で言えば、『写真時代』の連載当時はまだ「前衛」および「反芸術」としての気概があからさまでないにしても、見え隠れしていた。
「超芸術トマソン」は冗談の産物ではあるが、「本気の冗談」であるところに真実があり、それゆえに自分は面白いと思ったのだった。
ところが、赤瀬川さんは「路上観察学会」の発足あたりから「芸術」からも、従って「前衛」からも離脱し始めて、その中で「トマソン」の扱いも、「本気の冗談」から「単なる冗談」へと移行したように思える。
まぁ、そのように肩の力を抜いた方が気が楽だし、そういう態度こそが時代の「前衛」であることも確かだし、世間の人気を集めることもできる。

しかしぼくとしてはそれでは面白くないので、自分は赤瀬川さんの「冗談」を真に受ける形で「超芸術トマソン」のコンセプトを「非人称芸術」へと発展させることを試みたのだった。
まぁ、「冗談を真に受ける」のは野暮の極みなのだが、しかし「単なる冗談」は実はつまらないものに過ぎない。
いや冗談も連発すれば面白いのかも知れないが、「芸術」から「前衛」を取り去るとそれはマンネリと言うことで、何十年間も同じ話を繰り返しすのはさぞや退屈で苦痛だろうと思うけど、そう思わないところがさすが「老人力」の元祖なのかも知れない。

ぼく自身にしても「フォトモ」や「ツギラマ」などの解説はいつも同じような内容になってしまうが、言葉には自動作用があって、これに身を任せるのは実は楽なことなのだが、自分の場合はそのたびに自己嫌悪に陥ってしまうw
そこで自分なりの「前衛」を開拓するのだが、ポストモダン的な現代の「前衛」は必ずしも時間軸の先端というわけではなく、その分野の「縁」や「境界面」といった領域ではないかと思うのだ。

それで最近のぼくは芸術の縁というか淵の奥に「宗教」というものを見出して、それで仏典や聖書など、宗教関係の本を読んだりしているのだ。
ところが、そのように宗教についてブログやツイッターに書くと「糸崎さんは宗教の方に行ってしまった」と心配される方もおられるようで、宗教を語ることにはそのような危険が常につきまとう。
「危険」というのは、別に宗教の勉強を少しぐらいしたからといって、何か特定の宗教にカブれるような危険はないのだが、世間から「宗教にカブれた危険な人」という誤解をされる危険はある。

つまり、イエス・キリストが自分の宗教を説いて磔にされたように、いつの時代も「宗教」について語ることは危険であり、その意味で「前衛」(もとの意味は軍事的な最前線で、もっとも攻撃を受けやすい領域)といえるのかも知れない。
そう思うと前線から遠く離れた司令本部で「老人力」を発揮してのうのうとしている司令官に、最前線の報告をしたところで興味を持ってもらえるはずもなく、トーク後の赤瀬川さんはサイン会で忙しそうだったこともあり、お話しするのはあきらめて会場を去ったのであった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年10月31日 (日)

高松市内の名建築

先週は「瀬戸内国際芸術祭2009」のツアーに参加してたのだが、その後滞在を一日延長して、高松市内のいわゆる「名建築」を見て回った。
といっても、ぼくには「建築」の知識は全くないので、彦坂尚嘉さんの後にくっついていって、彦坂さんが「良い」と思う気持ちをコピーしようと試みたのだった。
これは先の記事にも書いた、今回のツアー参加の目的「他者の欲望のコピー」の続きであり「反ー反芸術」ならぬ「反ー反建築」的行為なのである。

「建築」というと、ぼくはこれまでフォトモについて「観光地や有名建築など、世間ですでに評価の定まったものは対象としない」と公言してきた。
「非人称芸術」のコンセプトで考えると、いわゆる名の通った建築家による建築とは、作者が明確な「一人称芸術」であるから、ぼくの立場は「反建築」でもあったのだ。
しかし今回は例によってそのような自分の立場を「棚上げ」しながら、あらためて「建築」に臨んだわけである。

Mmpa240105
まずは丹下健三設計による「香川県庁舎」。
実は高松市は去年の秋から今年の春にかけて何度か訪れていたのだが、「香川県庁舎は名建築だ」という話は小耳に挟んではいた物の、興味の対象外だったので全くスルーしていた(笑)

Mmpa240089

しかしこうやってあらためて見ると「カッコイイ」とは思える。
ちなみにこの建築は「庭」も含めて設計されているところがポイントだそうで、そういわれると十分に頷ける。

Mmpa240100

彦坂さんは以前この香川県庁舎を見たときに、あまりの素晴らしさに感動して「泣いた」そうなのだがw
しかしそれはあながち大袈裟ではないようで、ここに寝袋を持って泊まる建築マニアもいるというくらいの「名建築中の名建築」なのだそうだ。
ぼくには正直そこまでの凄さは分からないのだが、もっといろんな建築を見れば分かるようになるかも知れない。

Mmpa240098
この日は県庁が休みで、建物の中に入れなかったのが残念・・・中を見ればまた印象が変わるかも知れないのだが。

Mpa250137b
次は同じ丹下健三設計と言うことで「香川県立体育館」。
実はこの建物も見覚えがあって、昨年の秋にこの前を通ったにもかかわらず、一瞥しただけでスルーしていたw
和船をモチーフにしたデザインで、確かにカッコイイといえるのだが・・・

Mpa250112
ここは中にはいることができたのだが、あまりのカッコ良さにカンドーしてしまったw

Mpa250106
一番上の観客席から見下ろしたのだが、カッコ良すぎる・・・
どのようにカッコイイのかというと、『2001年宇宙の旅』と同じ路線の高級未来志向で、まさにあの映画の世界の地上はこうなっているだろう、と想像できたりするのだ。
もちろんこれは単に「格好」だけの問題ではなく、形態と機能が合理的に融合しているところがカッコイイわけで、そこはカメラなどの機械の魅力と共通するかも知れない。

Mpa250119
観客席下のロビーは天井が湾曲してる・・・何もかもカッコ良すぎる。

Mpa250123
館内にあった模型。
実は代々木体育館と同時期の、同じ丹下健三による設計なのだが、そういうことも全く知らなかった自分の「教養の無さ」にまったくあきれてしまうw
しかしそれだけに、建築のことはだいぶ「分かってきた」気がする。

Mpa250130

この体育館にも「庭」があるのだが、最近の建築では「庭」まで含めた設計というのは少ないのだそうだ。
しかしあらためて考えると「庭」とは何だろうか?

Mpa250053
というとで「栗林(りつりん)公園」にも行ってみた。
ここは公園という名が付いているが由緒ある「大名庭園」で、彦坂さんも「屈指の名庭園」として評価されており何度も訪れているそうだ。

で、ぼくの立場を言うと「非人称芸術」も含めて「自然崇拝主義」なので、「自然物を人工的にねじ曲げる」ところの庭園というものは、全く興味の対象外なのだった。
しかし、自然を人工的にねじ曲げるのが「文明としての庭園」の素晴らしさなのだ、という価値観を受け入れると「なるほど、それはそれで素晴らしいものなのかも知れない」というように思えてくるw

Mpa250090

確かに「自然」に慣れ親しんでいる眼からすると、明らかに「不自然」でまた違った趣があることは分かる気がする。

Mpa250063
場内の茶や建築もなかなか良いかも知れない。

Mpa250070
いや実に建築内部も庭も素晴らしい・・・

Mpa250093
最後に見下ろすと箱庭のような・・・って「庭」なんだけどw
この栗林公園は建築やアートにもまして、全く期待していなかったのだが、非常に堪能できたのが自分でも意外だった。
それは「世間的に評価の定まったものは、それなりの良さがある」という当たり前のことなのだが、ぼくはそのような当たり前を一貫して否定してきたのである。

ただ、そのようなコンセプトとしての否定は有りだとしても、「否定する対象を見ない」というのでは方法論としては不十分であり、そのことはあらためて実感することができた。
例え「結論」が正しくとも、方法論が学問としてデタラメなのであれば、誰も説得することはできない。
言い方をかえると、ぼく自身が「芸術」や「建築」を十分理解した上で堪能し、その上で「非人称芸術」のコンセプトが成立し得ると確信できなければ、その考えが正しいとは言えないのだ。

もしくは、もし自分が「芸術」や「建築」の本当の良さを理解してしまったら、自分自身で「非人称芸術」を否定してしまうかも知れず、そのようなアイデンティティーを失うのが怖いから、あえて何も見ないようにしていたのかも知れない。
なので、あくまで自分の価値観に閉じこもる方が「安全」ではあるのだが、そうしたら自分はもう「前衛」のつもりではいられなくなってしまう。

そもそも「前衛」というのは戦争の比喩であり、もっとも命を落としやすい危険な場所であるわけで、「命をかける」は大袈裟としても「自己喪失の危険をかける」くらいの「気概」がないと、やっていけないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月28日 (木)

瀬戸内国際芸術祭「ブログ4」写真のコンセプト

Spa227504
(犬島「家プロジェクト」 眼のある花畑 柳幸典/妹尾和世/長谷川祐子) 

先の記事にも書いたように、今回の瀬戸内国際芸術祭のツアーでぼくは「カッコいいアートをカッコよく撮る」ということを試してみたのだが、その写真は「ブログ4」に掲載したので下記の一日目(10月22日)の分から見ていただければと思う。

http://d.hatena.ne.jp/itozaki/20101022

カメラはOLYMPUS E-PL1、レンズはM-ZUIKO DIGITAL 9-18mmを使用し、ほとんどの写真を9mm(ライカ判換算18mm)の超広角で撮影している。
全てモノクロで、RAWの同時記録なのでカラー現像もできるのだが、とりあえず色なしで掲載している。
当初はカラーで撮影したり、レンズも高倍率ズームM-ZUIKO DIGITAL 14-150mmを使ったりしていたのだが、モノクロで撮ってみたら意外に良かったのと、いろいろ迷うと中途半端になりそうなので超広角のみで撮ることに決めてしまったのである。

いや、実のところぼくの「反ー反写真」は35~50mm相当の「標準レンズ」のみで撮っており、広角レンズの使い方がどうもよく分からなかったのだが、瀬戸内海の島で使用したら案外しっくり来て「広角が使えるようになった!」と喜んでしまったのだw
しかし撮った直後はなかなかイケてると思った写真も、後で整理するとイマイチに見えたりして、もっと修行が必要だ。
もしかすると「記録写真」と「作品写真」のつもりがどっち付かずで、それで中途半端になっているのかも知れない。

ところで、今回このような写真を撮ろうと思い立ったのは、その前に水道橋のアップフィールドギャラリーで見た岡嶋和幸さんの写真展『くろしお』の影響も大きいのだった(10月31日まで開催中)。
『くろしお』は写真作品にもかかわらず、抽象的なエッチングにも見える不思議な作品で、一般的に「アート」の文脈でも鑑賞可能だろう。
しかし、ぼくは今回影響を受けたのは『くろしお』ではなく、会場に置いてあった岡嶋さんの作品ファイルだったのである。

岡嶋和幸さんは『くろしお』のようなアーティスティックな写真だけでなく、インタビュー写真や、カメラカタログに掲載される作品写真など、さまざまな分野で「写真」の仕事をされている。
会場にあったファイルは、仕事ではなくプライベートで海外を訪れて撮影した写真で、風景やスナップなど、誰が見ても「美しい」と思える写真で、ぼくは衝撃を受けてしまったのだ。
いや衝撃は大げさだがw、しかしぼく自身はそういう「誰が見ても美しいと思える写真」を全く撮ったことが無く、そしてそういう写真が自分でも急に撮りたくなってしまったのだ。
そう思っていたところ、瀬戸内国際芸術祭のツアーに誘われていたことを思い出し、この機会に試してみることにしたのだ。

ツアー中、快晴に恵まれていたらもしかするとカラーで撮影していたかも知れないが(岡嶋さんの作品ファイルはカラーだった)、道中は曇り時々晴れといった写真的にはさえない天候で、それでいっそのことモノクロで統一してしまおうと判断してみたのだ。
この結果が成功だったかは不明だが、少なくとも次のステップには通じただろうと思う。
いや、次のステップが何を意味するかは不明だがw、少なくともぼくが目指すアーティストが「多彩な作品を作れる人」なのであれば、写真家も「多彩な写真が撮れる人」の方が良いわけで、それにはちょっと近づいたかも知れない。

ともかく岡嶋和幸さんはアートからコマーシャルまで「多彩な写真が撮れる人」には違いなく、稼ぎもそれなりにあるっぽい。
一方「写真家」を名乗るアーティストの中には、地道にアルバイトをしながら、「自分の写真」をとことん掘り下げようとする人もいて、やり方は人によってそれぞれであり、もちろんどれが「正しい」などと決めるのはナンセンスだろう。
そのあたり、自分を振り返るとどうも中途半端な気がするが、とりあえずは「他人の欲望」をコピーすることを試している最中なのである。

(*岡嶋和幸さんの字が違ってるとの指摘がありましたので、修正しました。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

反ー反芸術(瀬戸内国際芸術祭2010)

Spa220093

(直島「季禹煥美術館」安藤忠雄設計) 

去る10月22日〜24日、「建築系ラジオ」が主催する「瀬戸内国際芸術祭2010」のツアーに参加してきた(25日まで個人的に延長)。
それなりにお金がかかるし、実のところ本来的には「全く興味がない」ツアーだったので参加するかどうか直前まで迷ったのだが、例によって「自分を変える実験」のため参加したのだった。
「自分を変える実験」というのは、ひとつは「反ー反写真」で、これがある程度成功したので、今度は「反ー反芸術」も試してみようと思ったのだ。

ぼくは「非人称芸術」というコンセプトを掲げているが、これはいわば「反芸術」的態度なのだが、あらためて気づくとぼくは「芸術」が何であるか深く知らないまま「反芸術」を行っていたのである。
それに「非人称芸術」とは何か?も自分で知った気でいるようでよく知らず、それを知るには「非人称芸術」の外部へ出る必要がある。
そのようなわけで、ぼくは「反芸術」をさらに反転させた「反ー反芸術」を行う必要があり、その一環として「瀬戸内国際芸術祭」をみんなと一緒に見に行くことにしたのだ。

みんなと一緒であることの利点は、自分の主観以外の「客観」を知ることができる点である。
ぼくは芸術に対しては常に「反芸術」の態度で構えてしまうから、そういう主観を「棚上げ」にして、「芸術は素晴らしい」と思う気持ちの客観に身を任せながら「芸術」に接してみようと考えたのだ。

通常のぼくのセンスでは「街のアート」なんてクダラナイのは分かり切ってるので、そういうのは全部無視してひたすら「路上」を歩き回り「非人称芸術」を堪能するだろう。
「非人称芸術」とはつまり「芸術として用意されたもの」に反する行為であり、その意味での「反芸術」でもあるのだ。

しかし今回のツアーではそのような「路上モード」はオフにして、みんなと同じ「アートモード」に切り替えながら歩くことを、あらかじめ自分で「決定」してみたのだ。
つまり、「用意された芸術」を用意されたまま素直に「芸術」として受け取り、「みんな」と一緒の気持ちで鑑賞するのである。
これはラカンのいう「他者の欲望」のコピーであり、それを意図的に行う実験であり、それこそが「反ー反芸術」なのである。

今回撮影する写真も、いつもの「非人称芸術の記録写真」は全く撮らないことに決めて、「カッコいいアートをカッコよく撮る」ことに徹してみた。
これは普通のカメラマンの写真と同じなのだが、自分にとっては「反ー反写真」であり「反ー反芸術」なのである。

いや、実のところ島を訪れる直前まで「芸術」の合間に「非人称芸術」を堪能しようと思ってはいたのだが、実際は島内に設置された作品をできるだけたくさん見ようとすると、けっこう早足で回る必要があり、よそ見をする余裕もないのだ。
早足といっても、ぼくの「路上」での歩みはきわめてゆっくりで、それが人並みにスピードアップした程度なのだが、ともかく次の作品を目指して脇目もふらず歩くという「みんな」の気持ちに、できるだけ同化することを試みたのだった。

もちろん「みんな」と言っても今回のツアー参加者は一枚岩ではなく、素朴にアートに感動する学生から、辛口で批評する専門家までいろいろだ。
しかし、ぼくの本来のスタンスが「みんな」とは異なるのも事実で、だから今回の自分はできるだけ「みんな」に同化し、自分も「客観」の一要素となるよう努力してみたのだ。

ということで、自分としてはまことに「珍妙」なことを行ってみたのだが、これこそが「前衛」と言えるかもしれないw
少なくとも、今回のツアーでのぼくはフラストレーションの発生もなく、実に楽しい気持ちで参加でき、その意味で「実験」は成功だったといえる。
恐らく、本来の自分の感性を「押し殺す」のではなく、「棚に上げる」という心構えが功を奏したのかも知れない。
もちろん、棚に上げたまま無くなってしまう可能性はゼロではないのだが、それを確認するための「実験」でもあるのだ。

ちなみに「建築系ラジオ」のサイトに「瀬戸内国際芸術祭2010──犬島、直島の建築とアート作品をめぐって」という音声ファイルがアップされている。
これはツアー1日目の夜に収録されたもので、ぼくも参加している。
この時のぼくは一日歩いて疲れてる上に酔っぱらって、おまけに徹夜明けでヘロヘロなのですが、興味のある方は聞いてみてくださいw

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月11日 (月)

売る練習と見る練習

S_8547169
昨日は他のブログにも書いたのだが、信濃町の「フォトギャラリー マルシェジュエ」で開催中の『ポストカード展』の搬入に行ってきた。
この展覧会は大学の同級生の写真家、染谷育子さんの紹介で、写真家が自作のポストカードを持ち寄り(参加費無料)、一枚150円で販売するという企画だ。

実は、ぼくは自分のプリンターが壊れてしまい、どうしようかと思っていたのだが、これを機会に思い切ってエプソPX5600というちょっと高めのプリンターを買ってしまったのだ。
PX5600はA3までプリントでき、カラーが綺麗なのはもちろん、さらにグレーインク採用でモノクロ写真にも適しているという触れ込みだ。

それで富士フイルムのモノクロ写真用インクジェットペーパー(ハガキサイズ)を買い、「反ー反写真」シリーズのモノクロ写真をプリントしてみたのだ。
いや、プリントしたのはシリーズ初期のカラーをモノクロに変換したデータなのだが、このころ試していた子供を撮った写真が案外売れるんじゃないかと思ったのだ(笑)
ともかくプリントしてみたのだが、銀塩モノクロプリントと見分けが付かない仕上がりに驚いてしまった。
ぼくは「写真」については素人なので(笑)詳細に比べてはいないのだが、画質はもちろん富士のモノクロペーパーもしっとりした半光沢でなかなかの雰囲気だ。

しかし困ったのはポストカードの裏に自分の名前を印字しようとしたのだが、富士のペーパーの裏はどういうわけかインクが乗らず、こすると消えてしまうのだ。
仕方なく油性サインペンで一枚ずつ手書きのサインをしたのだが、そっちの方がありがたみがあるかも知れない。
そんな感じで10月3日の初日には間に合わず、10日の昨日、直接搬入に行ってきたのだ。

信濃町のギャラリーは住宅地の奥にあり、まったく普通の家の1階にあるのだが、この夏にオープンしたばかりで知名度がないせいか、お客さんはぼく以外は来ておらず、参加作家もちょっと少なめのようだった。
ということで、ポストカード展に参加する写真家はまだ募集中だそうです。

実は、ぼくは自分の作品をこれまで売ったことが無く、だから気軽に参加できるこのポストカード展で、実験してみようと思ったのだ。
ぼくはいろんなギャラリーや美術館で個展やグループ展をやったり、ワークショップもやったりしてきたのだが、いってみればそれらは「見世物興行」なのだ。
販売、というとぼくは作品集の出版もしてるのだが、これはあくまで「出版市場」に流通する物であり、だから自分の作品を「美術市場」に流通させたことがないのだ。
まぁ、そう言うやり方もあるのだけれど、最近は自分の作品を「売る」と言うことに興味が出てきた。
しかしそれを実現するにはこれまでとは発想を変えて、行動も変えていかなければならないだろう。
ということでまず手始めに、『ポストカード展』の話に乗ってみたのだ。

Simg_0226

ついでにその日は、信濃町から新宿までテクテク歩いて、「プレイスM」「蒼穹舎」「コニカミノルタプラザ」と写真ギャラリーを見て回った。
ぼくはこれまで写真ギャラリーで「写真」を見る習慣が無かったのだが、「写真を売る」ことを考えるならそういう態度も改めなくてはいけない。
しかし、こういう写真ギャラリーは実のところ「写真」そのものを売っておらず、その意味ではあまり参考にならないのかも知れない。
その理由は、恐らくある種の「純粋芸術」の思想のあらわれであって、つまり「芸術の価値は金銭に換算できない」ということであり、だから作品を販売しないのだろう。

しかしぼくはそれ以前に、ギャラリーに行って他人の作品を見る習慣がないからお話にならない。
簡単に言うと、「非人称芸術」はあらゆる「人称芸術」を否定するからなのだが、どうもそのコンセプトに固執するだけではダメだろうと最近思うようになったのだ。
だから「非人称芸術」のコンセプトを「棚上げ」しながら、「芸術を否定しない態度」を身に付けることを試みているのだ。

「作品を売りたい」と思い始めたのもその一環だし、「反ー反写真」と称して「写真」を撮っているのもまた同じである。
そして、そのように自分で「写真」を撮るようになると、他人の「写真」も分かるようになってくる。
いや、まだ「写真」のほんの少しの部分しか理解できていないのだが、しかし以前のように「取り付く島もない」という状況ではなくなった気がする。

それでも「プレイスM」で展示されていた森山大道の写真は「わからない」のであったが、その「分からない」度合いが分かってきたというか、そういう感じだ(笑)
また、コニカミノルタプラザでは作家さんがそれぞれいらしたので、いろいろ質問してみたのだが、以前だった写真を前に絶句していたはずで、これも「写真」を自分でも撮り始めた効果なのである。
しかしそのやりとりの内容を、ぼくがうろ覚えで書くとまたあらぬ誤解が生じるかも知れないので(笑)とりあえず書かないでおくことにする。

それにしても、計5つの個展を真剣に見て回るとそれだけでヘトヘトになってしまった。
ぼくとしては特定の場所に行って、特定の作品を見る行為というのは、基本的にどうも苦痛に感じてしまう。
慣れの問題かも知れないが、「現実」の路上を自由に歩き回り「非人称芸術」を鑑賞する方がはるかに気が楽だ。
しかし、行き詰まりを打開するには何らかの「苦行」は必要で、読書も含めそういうことをいろいろ試しているのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年9月24日 (金)

「写真」みたいな葛飾北斎

長野滞在中は路上三昧で、実家の近所をひたすら歩き回っていたのだが、「非人称芸術」だけじゃなくて「芸術」もちゃんと見なくちゃと最近思っていることもあって、小布施町の「北斎館」に行ってきた。
北斎館は十数年前のフォトモを始めたばかりの頃に見に行ったことがあるのだが、実のところぼくのフォトモは北斎の影響を多大に受けている。
いや北斎だけでなく、江戸文化全体の影響を受けているのだが、近代的な「個人」とか「自己」のようなベットリと、ヌットリとしたヒューマニズムではなく、なんというかちょっと突き放したようなドライな人間観がぼくの感覚にフィットしたのである。

つまり、ぼくが好きな浮世絵でいうと北斎とか国芳の表現というのは、人間に愛情を注ぎながらも、それはドライな観察者といった感じで、だからその影響を受けたぼくは、人間をミニチュアとして表現する「フォトモ」という技法に至ったといえるのだ。

まぁ、それはともかくとして、現在のぼくは「フォトモ」のような「反写真」とは別モードの「反ー反写真」、すなわちまっとうな「写真」の視点で路上スナップを撮っている。
それは「非人称芸術」のいわば前提となる「芸術」をあらためて掘り下げる試みでもあるのだが、その一環としてあらためて「芸術」としての北斎を鑑賞してみたのだ。

それで気づいたのは、北斎の浮世絵が、きわめて「写真」的であることなのだ。
北斎の浮世絵は、絵であり版画でありマンガ表現で気でありながら、まるで「写真」のようなのである。
ぼくが北斎観に言ったときは『諸国瀧廻り』のシリーズが展示されていて、ネットで検索したら画像がアップされていたので、元のサイトから以下転載させていただくことにする。





これらを見てあらためて気づくのは、建物や人物などのオブジェクトが四角い画面で切れていて、そこが極めた「写真」的なのである。
実はぼくはこのような「オブジェクトの一部を画面で切る」ということができなくて、それで「オブジェクトを丸ごと切らなくて済む」フォトモやツギラマに到達したのであり、その意味では北斎先生にまったく従っていないのだった。

しかし、「もう一つの人格」として「写真」に回心した自分としては、「写真家」としての葛飾北斎のワザが、とてもよく理解できる(気がする)。
「オブジェクトの一部を画面で切る」のは、同時に「オブジェクトを画面構成の要素として利用する」のと同じことであり、ことふたつのワザはぼくの最近の「反ー反写真」でもっとも意識してることなのだ。
この『諸国瀧廻り』を見てると、標準レンズ50mmより望遠の100〜200mmくらいのレンズが付いたカメラを北斎が構え、目の前の風景を「切り取った」ふうに見えてならない。

これがもし、近代以前の視点であったならば、必要なオブジェクトは画面の外でカットされず、全てが画面の内側に集められて描かれていたはずである。
そこを冷徹にカットし、画面構成の素材の寄与する視点は、明らかに「写真」的だというように思えてしまうのだ。

また、北斎の描く人物はまさしく「写真」のように、一瞬の姿がさりげなく捉えられている。
これが西洋の写実絵画だと、人物がいかにも長時間そのままのポーズでいたかのような堅い姿勢で描かれたりするのだが、北斎の版画に描かれた人物はさりげなく生き生きと動いているかのようなポーズで描かれている。西洋の写実絵画は、モデルにポーズを撮らせて長時間露光した写真のようだが、それに対して北斎の目は、まさに高速シャッターで被写体を捉える現代のカメラと同等の機能を備えているのだ。

北斎の存命中(1760年〜1849)はヨーロッパに写真は存在したが(フランス人のニエプスが写真術を発明するのが1816年)、しかし当時の感光剤は露光に数分を要するため、当時の写真に写る人物はいずれもぎこちなくわざとらしいポーズを撮っており、その意味では「絵画的」であった。
だからこそ、北斎に限らず日本の絵描きたちの眼は、「写真」に先駆けて「写真」的だったのだと言えるのだ。

というようなことは、これまで専門家によってさんざん言い尽くされてるのかもしれないが、まぁとリア絵図は自分が気づいたという新鮮な気持ちで書いてみた次第である。

| | コメント (4) | トラックバック (0)