無知・無能・無芸術
無能力という能力が存在するように、無芸術という芸術が存在する。
無力という力が存在するように、無芸術という芸術が存在する。
無気力という気力が存在するように、無芸術という芸術が存在する。
無能力という能力が存在するように、無芸術という芸術が存在する。
無力という力が存在するように、無芸術という芸術が存在する。
無気力という気力が存在するように、無芸術という芸術が存在する。
理論的な学の目的は学であり、実践的な学の目的は行為である。
とアリストテレスは書いてるが、むかし自分が影響を受けた高田明典は、前者を否定する主張をしていたが、しかしアートの製作にはどちらも必要なのだった。
事物の原因を知ることが、それの真を知ることだとアリストテレスは説いているが、芸術を知ることは芸術の原因を知ることに同じ。
全ての熱いものよりも、その原因である火の方が熱いように、全ての芸術よりも芸術の原因の方がより芸術なのである。
全ての事物について、原因から派生が生じることが観察できる。
芸術の原因が存在し、そこから派生的にあらゆる芸術が生じる。
原因から派生した作品と、原因を失った作品とがある。
大地にそそり立つ大木のように原因に根ざした結果と、糸の切れた凧のように原因から遊離した結果とが存在する。
ぼくはリストカットはしませんが(笑)、しかし写真をカットする手法に頼らずに、どのように「写真」を成立させるか?と言うことをここ数年模索し続けています。
もちろん、フォトモを止めるつもりはないですが、作家として表現の幅を広げるために、これまで自分が頼りすぎていた手法を「封印」することは必要ではないかと思うのです。
写真家 リチャード・ミズラックの言葉
*アート作品というものは、意識しているいないは別として、全て作者の政治性を反映している。
*ぼくは、美は難しい思想を伝えるのに有効な手段だと信じるようになった。美によって、目を背けようとする人々の注意を惹きつけることができる。
*作品の外見上の美しさは、人生の肯定を意味すると同時に、通念を覆すようなやり方で、包囲されたこの世界から送られてくるニュースとまっすぐに向かい合うように、ぼくらをうながすのだと思う。
目の前の現実を写真に写し取ることと、「写真」を撮ることは異なる。
現実の代替物として写真を撮ることと、「写真」を撮ることは異なる。
写真には平面写真と立体写真との二種類がある。
立体的な平面写真と、平面的な立体写真とがある。
きちんと作り込まなければ、平面写真も立体写真もともに平面的になる。
よく整えられたものは立体的に立ち上がり、混乱したものはベタッとした平面になる。
平面写真を平面として見る人と、平面写真を立体的に見る人がいる。
何事も要素に分けることができれば立体的になり、それができなければベタッとした平面になる。
現実が平面で、写真が立体なのである。
何故なら、現実が立体的に見えるのは視点移動による錯覚の産物でしかなく、良い写真は視点移動がなくとも立体的に見えるから。
写真は平面ではない、という意識で撮られた写真と、写真は平面である、という意識で撮られた写真とがある。
写真は平面である、という意識を捨てなければ写真の良し悪しを判断することはできない。
カメラかいかに進化しようとも「写真」は進化しないしさせてはならない。
カメラメーカーはカメラを進歩させようとするが、写真家は写真を進歩させようとしてはいない。
カメラメーカーが作るデジカメと、家電メーカーが作るデジカメがあるように、写真家が撮る写真と、美術家が撮る写真とがある。
ぼくが見たところによると、カメラメーカーが作るデジカメと、家電メーカーが作るデジカメは、本質的には違いが無いように思える。
むしろ、家電メーカーの方が後発なだけに頑張ってカメラの本質を突いた製品開発をしてるように思えるし、カメラメーカーもそれに応戦しているように思える。
カメラメーカー同士が(イマドキは家電メーカーも含め)戦いながら切磋琢磨しているのに対し、写真家同士が果たしてそういう関係にあるのか・・・
急速に進歩する技術、ゆっくりと進歩する技術、変わらない技術のそれぞれに価値があるように、急速に進歩する写真、ゆっくりと進歩する写真、変わらない写真のそれぞれに価値がある。
アートに向かない人間が、その欠落感によりアートへと向かう。
才能のある若者は、自己満足に向かいアートにはそっぽを向くのである。
だからアーティストは、自分にできない事、向かない事、才能の無い事に向き合う必要がある。
才能は才能が無い状態から生じるのであり、それこそが新しい才能だと言えるのである。
新たな才能とは、才能が無い事への苦しみと絶望から生じる。
才能に満ち溢れた満足感からは、新しい才能は生じにくい。
これは才能が無い者の僻みかと自分でも思ったが、実際の例を見ると結構当てはまるのだ。
若者の多くは特有の優れた才能を示すが、それは世阿弥が『風姿花伝』で「時の花」と呼んだように、パッと咲いたと思うとやがて散ってしまうのである。
そしてぼく自身は、この「時の花」が咲かずに学生時代は随分と思い悩んでいたのだった。
中学から高校にかけてぼくは同級生の田中くんの才能に激しく嫉妬していた。
田中くんは絵が上手くて頭も良く、ニーチェから影響を受け独自の「大衆論」を展開していた。
だが彼は社会に適応できず、定時制高校を入学直後に退学し自宅に引きこもっていたところ、親によって精神病院に入れられてしまった。
田中くんは精神的には何ら異常があるとは思えなかったが、その当時は「引きこもり」や「ニート」と言った概念もなく、親による厄介払いで精神病院に強制入院させられたのだった。
そして田中くんも、精神病院はいやだと思う一方で社会に出るのが怖く、ぼくの呼びかけに応じて退院することはなかったのだった。
天才の田中くんは精神病院に入れられ、凡才のぼくは芸大に行けず、ほどほどのレベルの東京造形大学に入学したのだった。
しかし結局のところ、造形大の同級生の多くは自分よりも才能に溢れ、ここでも嫉妬に苦しみ、何もできない自分に苦しむことになった。
美大卒業後、ぼくは玩具メーカー「ヨネザワ」の商品企画部に入社するが、その同期の同僚も皆センスがあり自分より才能があるように思われた。
そしてぼく自身は何も企画できないまま、一年あまりで会社を辞めてしまった。
しかし振り返ると、あんなにも才能に溢れた友人たちは、皆消えてしまった。
いや、消えたと言っても死んだわけではないだろうが、才能に溢れた友人たちのうち、アーティストとして名を聞く人は誰もいない。
美大の同級生のうち、一番才能があってぼくが嫉妬していた井本くんは、数年前に会ったら全く「普通の人」になっていて驚いた。
まさに彼の才能こそが「時の花」だったのだ。
この辺りの事は以前も書いたのだが、アーティストとしての自分は「才能が無い事」を前提にスタートしている。
だから才能が無いところに新たな才能が生じ、才能のあるところからそれ以上のものは生じ得ないと、身に染みて思うのだった。
そしてまた、最近のぼくは作品制作に行き詰まりを感じている。
行き詰まりを感じているのは、今のぼくには才能があって、だからそれ以上のものが生み出せないからだ、と考える事ができる。
才能が無いところから新たな才能が生じ、そして今は才能がある状態に安住し、それ故に行き詰まっている。
行き詰まっているということは、つまりは才能が無いということであり、自分はそのような才能の無さに改めて向き合わなければならない。
なまじ、自分はものづくりの人間だと思うから、ものが作れなくなる。
しかしかつてを忠実に振り返れば、そもそも自分はものを作るのが苦手なのである。
ぼくは「フォトモ」を作り、それ以外にも写真家という肩書き以上に多彩な作品展開をし、カメラ改造の連載記事を書き、ずいぶん器用だと自分でも錯覚しているが、それらは皆「出来ない」事から出発していたのだった。
そして事実、自分は今でもあらゆる事が苦手で出来ないでいるタイプの人間なのだ。
「才能が無い」という自分の原点に立ち返って考えると、例えばぼくには金儲けの才能が無いと言える。
アーティストが新たなものを生み出す人間であり、作品のみならず、作品をお金に変える手立ても新たに創造するのがアーティストの仕事なのだとすれば、ぼくは明らかにアーティストには向いていない。
アーティストとは生き方であり、自分の生き方を創造するのがアーティストであり、自らの作品制作を支える経済基盤をも含めて創造するのがアーティストならば、ぼくにはアーティストの適性がなく、才能がなく、全くもって向いていない。
だからこそ、その地点からアーティストになるべく向かう事ができるはずだ。
もし、金儲けの才覚があれば、その人はアーティストにはならないし、なる必要もないだろう。
あるいは、金儲けの才覚がるアーティストは「あいつは商売人でアーティストではない」などと陰口を叩かれる。
しかしだからこそ、アーティストは「アートとお金」の関係を、それぞれ独自の仕方で創造しなければない
自分はものづくりが得意だと思えば、才能に満足しそれ以上のものが生み出せなくなる。
しかし苦手てあると認識すれば、ではどうやれば新たなものが作れるのか?という方向に頭が働く。
だが、自分には金儲けの才能がなく、金儲けと自分は無関係だともうと、やっぱり頭が働かなくなる。
要は欲望の持ち方なのだが、自分は作品だけを作りたいのか?それともアーティストでありたいのか?その違いだと言えるだろう。
つまり作品だけを作り、作品を売らず、生活基盤をバイトなので支えるのであれば、それは生き方としては趣味人に過ぎない、と見る事もできる。
もし自分がアーティストでありたいなら、その欲望は作品制作のみならず「アーティストであり続ける事」全般に向かってしかるべきなのである。
だからそれには、アートとお金の関係についての欲望も含まれるのである。
自分は純粋にアートを追求し、お金の事なんか考えたくない、と思うなら、それはアーティストではなく甘ちゃんのアマチュアでしかない。
というわけで以上、自分が未だ出来ない事について、みなさんに向けて語ってみたのでした(笑)
会田誠展の感想というか、これを観て自己反省する続き。
会田さんの作品は、芸大時代の神秘体験が根拠になっていることを改めて知ったのだが、これもずいぶん大きな収穫だった。
それは『河口湖曼荼羅』という作品に描かれているが、本人の解説によると、本来は描くことも言葉にすることもできない体験だそうで、ともかく突然として「宇宙のすべてが分かってしまった」なのだそうだ。
会田さんは美大時代、友人の車に同乗して河口湖畔の山道を登ってたところ、突然「宇宙のすべて」が分かってしまうという、それ以上言葉にできないような神秘体験をし、それ以来、芸術作品と哲学的思考を結びつけるようなことはしない、と決めたそうだ。
つまり会田誠作品は、彼独特の宗教観に基づく宗教美術という側面を持つ。
そして何を隠そうぼく自身も、実は会田さんと似た神秘体験があったのだ。
ぼくの神秘体験は美大卒業後しばらくしてからだが、埼玉県志木市の住宅地を歩いていたら、玄関先でアヒルを飼っている家があったのだった。
そしてその数ヶ月後だったか、バイトで派遣された板橋区の何処かの街で、またしても庭先でアヒルを飼っている家があったのだ。
そして、そのように別々の場所で飼われた二羽のアヒルを見て、ぼくは突然「神は存在する!」という事が分かってしまったのだった。
いや別にアヒルが神だったわけではないのだが、ともかくアヒルを通して「神」の存在をありありと感じたのだった。
と書くと、自分でもアホらしく思えてしまうが、それがどういうことなのかそれ以上の言葉ではなかなか説明できず、この点で会田誠さんの神秘体験と似ている。
もちろんぼくの体験と、会田さんの「宇宙のすべてが分かってしまった」体験とはニュアンスが異なる。
ぼくが体験した「神は存在する!」という感覚は、つまりは「認識の外部が存在する」という明確な実感でもあった。
人間は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、の五感で「世界」を認識するが、逆に言えば五感で捉えられない「認識の外部」も存在する。
これが抽象的な理屈としてではなく、ありありとした「実感」として体験できたのだった。
そして五感でキャッチ出来ない「認識の外部」がつまりは「神」なのだと、その時はそう思ったのだった。
「認識の外部」は文字通り人間には認識し得ないが、しかし認識世界には時として「認識の境界面」が立ち現れ、それが「神」として認識される。
だから「神」は遍在し、一つであり同時に多数なのだと考えた。
ぼくは当時、これを説明するために、円筒形を二次元平面に投影するモデルを考えてみた。
まず平らな紙の上に、茶筒のような円筒の物体をかざし、上からライトで照らす。
すると紙の上に円筒の影が投影されるが、その影は円筒の角度によって四角形、円、楕円、などの形に変化する。
つまり、三次元空間では「一つのもの」である円筒は、二次元平面では四角形、円、楕円、などの「異なるもの」として立ち現れる。
以上のモデルの二次元平面は「認識世界」、三次元空間は「認識の外部」に相当する。
円筒形の物体は「神」であり、投影される影が「異なる姿で立ち現れる神」であり、「遍在する神」である。
例え「神」が「一つの神」であっても、人間の認識世界には必然的に「神々」として立ち現れる。
そして「神」は教会などの中に存在せず、アニミズム的にどこにでも存在しうるのだ。
そして当時のぼくは、「芸術」というものも実は「神」と同じく、「認識の外部」の存在であると考え、それを「芸術そのもの」と仮に名付けたのだった。
人間の認識世界に立ち現れる個々の芸術作品は、認識の外部の存在である「芸術そのもの」影に過ぎない。
いや、影というより「認識世界」と「芸術そのもの」とが接触した「境界面」が、すなわち人間が認識する「芸術」なのだと、当時は考えたのだった。
認識世界における「芸術」が、認識の外部である「芸術そのもの」の影であり境界面だとすれば、「芸術」はいわゆる芸術作品としてだけではなく、様々な形で、様々な場所において立ち現れる可能性がある。
そしてそれが、芸術作品の外部である路上に芸術を求める「非人称芸術」の根拠になっているのだった。
当時のぼくは、橋爪大三郎『はじめての構造主義』などの影響も受けていたのだが、構造主義によると認識とは言葉であり、人間は様々な事物を言葉で言い当てながら、自らの認識世界を構築する。
逆に言えば、人間はただ言葉によってのみ、何もないところから存在を生み出す事ができる。
例えば目の前のアヒルに「これは神である」という言葉を投げかけると、それはアヒルを超えた「神」として立ち現れる。
「鰯の頭も信心から」とはまさにこのことで、当時のぼくが考える「神」とはそのように偏在し、言葉によっていかような姿にも立ち現れる「神」であった。
そして同じように、路上の一角に「これは芸術である」という言葉を投げかけると、目の前の対象物が何であれ、それを超えて「非人称芸術」が存在として立ち現れるのだった。
そのような感覚で、ぼくはひたすら路上を歩き回っていたのだ。
と、以上のように、自分の宗教観とそれに基づく芸術観をあらためて書いてみたのだが、今のぼくからはどうにも根拠が薄弱な、子供じみた理論に思えてしまう。
「神」とか「芸術」とか「構造主義」についてよく知りもしないのに直感だけで理論を組み立てると、このような結果になるのも当たり前だと言える。
しかし、当時のぼくにとって自分の得た直感はなかなか強烈なもので、だからついそれを絶対視してしまったのだ。
だが会田誠さんの神秘体験も、ぼく自身の神秘体験も、それ自体は無価値ではないとしても、それを根拠に芸術観や世界観を構築する事には無理がある。
会田誠さんについて言えば、彼は「宇宙のすべてがわかった」と言いながら、結局は難解な哲学が分からず「哲学が分からない」こと自体をテーマにした作品を制作している。
哲学に限らず、会田さんは何をテーマにしてもイデオロギー的で、それは具体的に何も知らないことの現れだと、前回の記事に書いた。
そして会田誠さんと同じように、ぼくの提唱する「非人称芸術」も、非常にイデオロギー的で具体性に欠ける側面があったのだ。
結局のところ、直感を軸に理論を構築しようとすると、知らないことはイデオロギーで補うことになり、全体としてイデオロギー的にならざるを得ない。
他人を見れば分かるのだが、イデオロギー的な人ほど自分はイデオロギーとは無縁だと思っている。
もちろん他ならぬ自分自身が、多分にイデオロギー的なのである。
大衆文化とは「お前はどうせダメなんだ」とお互いに言い合うことで安心を得ようとする文化であって、その中では高い場所へ行く道が隠されてしまう。
多くの人の資質は自分が思っているほどダメではないし、その意味で自分を高めることは誰にでも可能なはずなのだが、そのための道筋が隠されているのだ。
大衆文化にあっては「高い場所」へ行くことの諦めとセットで、「高い場所」そのものに対する恨みを植え付けられる。
「高い場所」に対する恨みを持つと「高い場所」が何なのかを認識することも無くなり、(能力的に可能であっても)そこにゆく道筋が隠されてしまう。
ぼく自身は「高い場所」を示されれば(自分の能力はともかく)そこへ行きたくなる質なのだが、その道筋がかなり巧妙な仕方で隠蔽されたことに対し、恨みを持つようになった。
新たな認識は新たな恨みを生じるが、究極的にその恨みは「自分」へと向けられる。
そして、恨みの対象となったものは、認識の対象から外れるのであり、だからこそ「自分」を認識するのは難しい。
しかし難しいとは言ってもたったこれだけのことであり、「高い場所」への道は誰にでも開かれている。
以上も会田誠展の感想なのだが、あれが何なのかを考えることは、自分とは何かを考えることに繋がる。
それだけ会田誠さんとぼくは似た要素を持ち、鏡のような他人を発見すると、自分を客観的に見ることができるのであり、それも万人に開かれたアートの大きな役目の一つだと言えるかもしれない。
その会田誠展では、作品がずいぶんイデオロギー的だった点も、改めてなるほど!と思えた。
例えば会田さんの描く美少女はどれも同じ顔、同じキャラの無個性で、概念的としての女性像が描かれているように思える。
『戦争画リターンズ』のシリーズも、会田さん個人の反戦への思いではなく、概念としての反戦が描かれている。
また、サラリーマンの死体が山と積まれた大作に今ひとつ悲壮感が無いのも、それが個人的な認識による想いからではなく、世間に流通している概念によって描かれているからではないか?
同じく電柱とカラスが描かれた大作が、不気味よりどうもよそよそしく感じるのも、同じ理由からではないか?
哲学を題材にした作品も、哲学を「何だか分からないけど難しくて偉そうなものだ」というような世間的概念で捉え、それをおちょくっているように思える。
会田作品は、いわゆる権威的なものをおちょくっているのだが、そのためには対象物を世間的概念で捉える必要があるのかも知れない。
この「権威的なものを概念で捉えおちょくる」という姿勢は、それ自体がイデオロギーであるように思える。
つまりこれは岡本太郎が『今日の芸術』で批判した「ハの字芸術」であり、「ハの字芸術」を批判する姿勢そのものが「ハの字芸術」となる二重構造になっている。
会田誠作品がなぜこうもイデオロギー的なのか?を考えると、そもそも岡本太郎の『今日の芸術』そのものがイデオロギー的なのだった。
岡本太郎はイデオロギーを批判するアーティストのように思えるが、実はその批判自体がイデオロギー化し、自らが「ハの字芸術」と化している。
岡本太郎の反イデオロギーは、実はそれが反転した「反-反イデオロギー」となり、結局はイデオロギー化している。
この岡本太郎的な「反-反イデオロギー」は会田誠も受け継いでいるのであり、他ならぬ自分も受け継いでいる。
そして、この「反-反イデオロギー」は「復讐型アート」の特徴でもあったのだ
権威的なものに復讐しようとする人は、実のところ憎しみのあまり復讐の対象物が何であるかを具体的に認識せず、概念としてそれを捉える。
嫌いなものは見たくもないし知りたくもないから「嫌いなもの」という概念で捉える。
そして一般に、人間にとって具体的に認識できないものは概念で捉えるしかない。
例えば東京に住んでいて大阪に行ったことがない人は、具体的な大阪を認識できないが概念で大阪を捉えるしかない。
美術館やギャラリーに行く習慣がない人は具体的なアートを認識せず、概念でアートを捉える。哲学書を読まない人は具体的な哲学を知りようもなく、概念としての哲学を語ろうとする。
一般に、具体的な事を何も知らない人ほど概念的で、イデオロギー的だと言える。
逆に言えば、具体的な事を知らずとも、それについて考えたり語ったりできるのが、概念やイデオロギーの機能なのである。
だからつい、イデオロギーの便利な機能に引きずられ、現実認識を怠ってしまうのだ。
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