原発・地震関連

2012年3月 4日 (日)

オセロと原発

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オセロ中島が占い師に騙されてる話題が人気のようだが、世間のみなさんは自分も悪い占い師に騙されて、要りもしない原発をたくさん買わされた件について、どう思ってるんでしょうか?
いやぼくは、いちおう「世間のみなさん」の一員として、反省してるのですがw

世間のみなさんが「占い師に騙されたオセロ中島」の話題に夢中になるのは、「自分もオセロ中島と同じように占い師に騙され、危険なばかりで役立たずの原発をたくさん買わされた」という事実から、目を背けるためかも知れない。
ぼく自身も「世間のみなさん」の一員なんで、わかりますw

世間のみなさんは「オセロ中島は、なぜ占い師に騙されているのに気付かないんだろう?」と他人事のように考えることで、「自分自身が占い師に騙され、粗悪な欠陥品の発電機を大量購入させられた」という事実を認識しないように努力している。
ぼくも「世間のみなさん」の一員ですが、努力が足りないw

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2012年2月20日 (月)

フランスに向けて「昆虫と原発事故」のメッセージ

フランスの「SOLDES」というアート雑誌に、自分の作品「東京昆虫デジワイド」が掲載されたのだが、そこに寄せた文章を以下掲載する。
誌面では仏・英・日のバイリンガルで表記されている。
内容は、以前このブログに書いた記事が元になっているが、いちおう翻訳のしやすさを考えて、日本語訳っぽい文体で書いてみたw
全掲載ページはこちらのブログを参照のこと。

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昆虫と原発事故

 『東京昆虫デジワイド』の写真の多くは私が地面にしゃがみ込んで撮影したものだ。しかし現在の東京は地面から通常の約1.5~2倍、一部の多い地域では通常の約4〜5倍の放射線が検出できる(私は自分のガイガーカウンターを持っている)。その原因はもちろん、2010年3月11日に日本を襲った大地震がきっかけで起きた、福島の原発事故から放出された放射能にある。この事態は一体何を意味しているのか?昆虫観察の立場から考えてみたい。実は昆虫観察を続けていると、それが期せずして「人間とは何か」ひいては「自分とは何か」を知ることに通じるときがある。今回の福島の原発事故をきっかけに、このことが自分の中で起きたのだ。

1:「プリセットされた思考」と「創造的思考」

 昆虫を観察していると、彼らは「遺伝的プログラム」に従って的確に作業(餌取り、巣作り、求愛、産卵など)をしているのが理解できる。だから人間も、ルーティンワークをこなしている時の意識は、実は昆虫と同じではないかと思える。昆虫の姿と人間の姿はずいぶん異なっているが、進化の系統樹ではつながっている。だから人間の意識の内にも、昆虫と共通の意識が含まれている、と考えることができる。

 昆虫の行動を支配する「遺伝的プログラム」とは、言い換えれば「プリセットされた思考」である。「プリセットされた思考」に従う昆虫は、何も考えずに効率よく生きていくことができる。しかし人間も、常に自分で考え行動しているとは限らない。ルーティンワークのほか、人間の行動の多くは「常識」や「習慣」や「思い込み」に基づいている。これらもまた「プリセットされた思考」であり、「自分で考えること」を省略する作用がある。このような「プリセットされた思考」は人間の生活を円滑にし、仕事の効率を高める。「プリセットされた思考」を利用するという点で、人間は昆虫の精神のあり方を受け継いでいる。

 昆虫の「プリセットされた思考」は環境に合わせて遺伝的に固定されている。だから昆虫の生存は、環境の状態に左右される。一方、人間の「プリセットされた思考」は遺伝的に固定されていない。そのかわり人間は「言語」というツールを使用し、「創造的思考」によってそれぞれの環境に適応した内容の「プリセットされた思考」をプログラムする。人間の「プリセットされた思考」は文化であり、それぞれの環境に適応するかたちで独自の文化が形成される。いっぽう「創造的思考」は既存の「プリセットされた思考」を疑う思考でもあり、これによって人間の文化は発展してきた。また天変地異などで環境が激変した場合、人類は「創造的思考」により絶滅の危機を逃れてきた。平和な時代においても、人間は昆虫的な「プリセットされた思考」と、人間的な「創造的思考」のバランスを取りながら生きている。

2:原発事故に対する日本人の反応

 以上の観点で福島の原発事故を考えると、これは間違いなく環境の激変だと言える。この原発事故いまだ収束の目処が立たず、発生した大量の放射能は周辺の福島はもちろん日本全土を汚染し、世界中に拡散しつつある。

 このような状況に対し、事故直後の日本政府は「ただちに影響はない」と国民に呼びかけ安心させ、「パニックを恐れて」という理由で情報を隠蔽した。日本国民は環境が激変した事実を知らされず、それに対応する手段を封じられてしまった。このため事故直後に周辺住民は大量の被曝をし、現在でも高濃度汚染地帯に多くの人々が暮らしている。日本政府は、放射線の影響を大きく受ける子供たちを疎開させず、そのかわり放射線の年間許容量を従来の基準から一気に20倍引き上げた。原発事故に対し日本政府は有効な対策をほとんどしないままに、国民に対し「これまで通りの生活」を強いている。また原発を運営する東京電力も、その監督責任者である原子力安全保安員も事故を過小評価し、テレビや新聞などのマスメディアも政府や東京電力それに同調し適切な報道をほとんど行っていない。日本のエスタブリッシュメントは「プリセットされた思考」に依存するあまり、「創造的思考」を失ってしまったかのようだ。実際、彼らは「自分で考えていない」ために当事者意識や責任感もなく、事態はますます悪い方向へ傾いてゆく。日本は昆虫の精神のみで運営され、近代国家としての体を成していないように私には思える。

 これに対する日本国民の反応はどうか?私が原発事故の危機感を訴えると、たいていの友人や知人たちは「心配し過ぎだよ」と笑ったり、「危険を煽るのは良くない」などと注意したり、何も返さず話を逸らしたりする。私と問題の共有ができる数少ない友人たちも、皆一様に「自分の周囲では原発事故の話がまともにできない」と漏らしている。現在、日本のインターネットでは原発事故や放射能に関する意見や情報が活発に行き交っている。しかしそのような問題に関心を持つ日本人は少数派で、大多数は楽観的で無関心であるようだ。「国家の性格は、その国民の性格が反映されている」とプラトンは述べているが、その指摘は現在の日本にも当てはまるようだ。もちろんこれは私にとっても他人事ではない。思えば私も、原発事故が起きるまでは、それがどんなに危険か知らなかったし知ろうともしなかった。私自身もこの国の「プリセットされた思考」に依存しきっていたのである。

3:人間の中に棲む「昆虫」の未来

 人間の思考が昆虫と同じように固定され、激変する環境に対応できないのだとすれば、その先の未来はどうなるだろうか?昆虫の場合は、環境が放射能で汚染されても、案外平気ではないかと私は思う。例え放射線で昆虫たちが癌や奇形になっても、昆虫自身は気にもせずただ生きるだけだろうし、世代を重ねれば全ては正常に戻るだろう。そもそも昆虫にとって、すでに環境は都市化により大規模破壊されている。そしてわずかに残った「変わらない環境」に適応した昆虫のみが生息しているのであり、その状況はこれからも変わらない。

 人間もホモ・サピエンスという「種」で考えた場合、今回の原発事故で絶滅するとは思えない。しかし人間が癌や奇形になってしまったら、その苦悩は「個人」が負わなくてはならなず、「種」が生き残ればいいという問題ではない。特に放射線は、大人よりも細胞分裂が活発な子供たちにより大きな影響を与えると言われている。現在は特に被害がないように思えても、数年後には日本中のあちこちで深刻な事態が頻発し始めるだろうと予測されている。また被害が世界中に拡大すれば、日本人はこれまでのように世界の人々から尊敬されなくなるかも知れない。とは言え私は原発や放射線の専門家ではなく、何も確定的なことは言えない。放射線の人体への影響は、医学的にも分かってないことが多いらしい。もしかすると大多数の日本国民の方が正しくて、私が事態を深刻に捉えすぎているだけなのかも知れない。

 ともかく、私は今回の原発事故がきっかけで、人間の中に棲む「昆虫」を発見した。もちろん自分の中にも「昆虫」は棲んでいるし、日本人以外の人々の中にも棲んでいるだろう。そのような「昆虫」と私はどう向き合えばいいのか?それを知るには、街中の昆虫観察をするように、人間の中の昆虫観察を続けるしかないだろう。

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IInsects and Fukushima Disaster

For many of the photos for Tokyo Insects DigiWide, I took pictures crouching on
the ground. But today, generally 1.5-2 times, or 4-5 times in some area, as high level
of radiation as usual can be detected on the ground of Tokyo (I have my own Geiger
counter). Needless to say, that is because of the radiation emitted from Fukushima
nuclear power plants, which was damaged by the earthquake on March 11. Here, let me
consider, from the point of view of insects, what this situation means. For me, observing
insects sometimes lets me think what human beings are and what I am. The accident of
Fukushima also made me think about that.

1. “Preset thinking” and “creative thinking”

Observing insects, we find that they do their work –feeding, nesting, building nests,
act of courtship and egg laying- precisely according to their genetic program. Talking about
human, I think we do routine works with the same feeling as that of insects. Although
human and insects appears very different, we share the same root of the evolutionary tree.
So, here, I say that human and insects have something common in their mind.
The genetic program which controls insects’ behavior is, in other words, the preset
thinking. As insects follow the preset thinking, they can live efficiently without thinking on
their own. As for humans, they don’t always act in their own will. Routine works and many
other human acts are based on the common knowledge, the custom and assumptions.
Those are also kinds of the preset thinking, which let us avoid thinking on our own. This
preset thinking makes our life smooth and enhances the work efficiency. In this regard,
humans inherit insects’ way of thinking.
The preset thinking of insects are genetically fixed in accordance with the
environment to live in. So, life of insects depends on the environment. On the other hand,
the preset thinking of human isn’t genetically fixed. Instead, we program our own preset
thinking which fits to the environment, with the creative thinking and the language. That
is to say, the preset thinking of human is culture; each unique culture is made in each
environment. On the other hand, the creative thinking can criticize the existing preset
thinking, and this exercise developed human culture. In case of natural disaster, human
has avoided extinction by the creative thinking. Humans use both the preset thinking
inherited from insects and the creative thinking, in peacetime too.

2. Reaction of Japanese to Fukushima disaster

No doubt Fukushima disaster has changed, and is changing, our environment
dramatically. The disaster doesn’t seem to be calming down, and the massive radiation
given off from the site is spreading around Japan and the world, not to mention Fukushima.
In such a situation, Japanese government explained that “this won’t exert influence”
and they hid the information for fear that the disclosure of the shocking information
might cause a panic. Japanese, who weren’t informed of the fact of the great change of
our environment, couldn’t deal with the problem appropriately. That is why residents in
Fukushima were forced to be exposed to massive radition, and still, many people lives in
highly polluted areas. Our government hasn’t evacuated the children, who are vulnerable to
radioactive exposure, and they suddenly raised the exposure limit to 20 times higher. They
are forcing people to lead an ordinary life, while making no effective countermeasures.
Both the Tokyo Electric Power Company, which runs Fukushima plants, and Nuclear and

Industrial Safety Agency, which supervises TEPCO, underestimate the accident. Mass
media like newspapers and TVs go along with them and dare not report the truth. Those
in charge seem so dependent on the preset thinking that they forget to use the creative
thinking. They neither think on their own nor have a sense of responsibility, which is
causing the situation worse and worse. This country is run by insects’ mind, and this can no
longer be called as a modern nation.
How about the Japanese people’s reaction to this problem? When I talk about the
danger of the nuclear accident, many of my friends laugh at me saying “you are afraid too
much”, or warn me saying “don’t inflame the sentiment of fear”, or ignore me. Whereas,
all of the friends who can share the sense of danger with me complain that they can talk
about the nuclear problem with very few people around them. Today, the nuclear plant
accident and radiation matters are becoming the hot topic of discussion. But Japanese who
are interested in those problems are in minority, and most of Japanese are optimistic and
indifferent. As Plato pointed out, the characteristic of a state reflects that of the people; this
can be said about Japan. This concerns me too, of course, as I hadn’t known, or hadn’t
tried to know, how dangerous nuclear plants are until the accident. In that sense, I was no
less dependent on the preset thinking than this country is.

3. Future of insects in human

If the thought of humans are fixed and cannot be adapted to the changing
environment, what will be the future of us? Talking about insects, I think they can survive
the radiation-contaminated nature. Even if they get cancer or deformed, they will lead a
usual life and they will be normal after some generations. For them, the environment has
already greatly changed by urbanization. There survive only insects which adapted to small
unchanged areas, and this situation won’t be changed.
As to humans, when we think about the whole human beings, I don’t think we will be
extinct because of the Fukushima disaster. If someone get cancer or deformed, we have
to think about the individual, not only about human being as a species. Radiation is said
to have more influence on children, whose cell division is more active than grown-ups.
Although the situation seems all right today, it is predicted that many serious problems will
happen around Japan in several years. But I cannot be sure about these matters, for I am
not an expert of nuclear engineering. The influence of the radiation may not be clear for the
experts, neither. It can be true that the majority of Japanese are right, and I am taking the
situation too seriously.
I have found insects in human while thinking about the nuclear accident. Of course, I
have a kind of insects’ thinking in my mind, and so do people around the world. How should
I deal with insects in our mind? In order to know that, I will continue to observe insects in
humans, just as I observe insects in the city.

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2011年11月19日 (土)

東日本女子駅伝tweet

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Sun, Nov 13

06:29 なぜか今福島駅前ですが、自分でも何しにきたのかよくわかりませんw

06:48 福島駅前は朝っぱらからタッタカ走ってる女の子がいて微笑ましいねw

08:46 今、どういう訳か東日本女子駅伝の折り返し点あたりにいますが、空間線量平均0.7マイクロくらいで、東京の5倍程度。今日は地面も湿ってるし土埃がまったりする心配もなさそうです。(さっき桁を間違えて投稿したので訂正)

08:49 どういう訳か紅葉を意識して写真を撮ったことがないのです。今、周りが果樹園だらけの田舎に来て途方にくれてますがw“@RED7TULIP: いたたまれなくて、、?そちら紅葉は、されているのでしょうね。関西は未だなのです。今日も暖かくなりそうですね。”

11:32 自分たちが住んでいるところで、いつも通り開催されるだけなのに、危険だの中止だの外野からヒステリックに反応されてもウザイしシラケるわ。という気持ちも理解できるし、それを肌で感じる為にも現地に来た、と言えるかもしれない。

11:32 福島に来て思うのは「駅伝開催が普通」と「駅伝中止が普通」のように、世間で言われる「普通」が二重化し、客観的にどっちの「普通」が間違ってるなどと言えないのでは?と言うこと。

11:32 ぼくとしては客観的な中立の立場(という幻想)ではなく、極端な反対意見に振れながら自分なりの中庸を探って行きたい…

12:39 て言うか、目をつけてた撮影ポイントに入っちゃいけないと言われた、ピンチ!w“@QJN: 糸崎さん itozaki のツイートを読んでいると福島に行きたくなる。”

14:14 駅伝はあっという間に終わったけど、撮影はあんまり上手くいかなかったかも…選手は思った以上にビュンビュン速いし、撮影場所を選ぶのにも失敗し…アドリブとタイミングものに弱い点を克服しないと。でもまぁ楽しかったですが。みんなも楽しそうだったし。

14:15 駅伝終了後、線量測ってる女性がいたので話しかけたら、逆にいろいろインタビューされてしまったw計測値は平均約0.5マイクロで、朝測った0.7マイクロより低く変動がある。

14:15 何か壮大な計画が徒労に終わった感があるけどw、今回も普通の福島が見られて良かったかなという感じです。

14:15 そして奥羽本線を逃したので福島まで歩く…それも楽しみのうちですが。

14:49 ありがとうございます。まぁ本来、撮るより歩く方が仕事みたいなもんですからw“@junyahashimoto: 庭坂からですか?路線バスも1時間に2本位あります。福島の2駅間は結構ありますよ。”

15:18 お役に立ったようで良かったです。ぼく自身はちょっと失敗で落ち込んでたのでw“@lukaniko: 今朝からの一連のツイは本当に興味深かったです、素晴らしい投稿と試みだと思います。ありがとうございます。”

15:22 いや、写真がちょっと失敗、考えはちょっと進みましたw“@lukaniko: そうなんですか? 中庸な立場に立たれての意見にとても共感を覚えました。糸崎さんがリツイートされたツイートにも深く納得しました。”

16:25 いや、今日中に鈍行で帰らないと…いま福島製鋼すぎたあたりです。“@moscow_91: お疲れ様です。福島駅西口に銭湯がありますので汗を流してください(^^: RT そして奥羽本線を逃したので福島まで歩く…それも楽しみのうちですが。”

17:31 結局、駅伝の折り返し点から庭坂を経由して福島まで歩き、各停黒磯行きに間に合いました。駅伝コース辿りたかったですが、それだと帰れなさそうだったので…

21:38 今日の撮影失敗の原因は何だったのか?を帰りの電車内で考えてて、そもそも駅伝とマラソンの違いを理解してなかったことに思い当たった。何か釈然としない気分でいたが、駅伝はマラソンと違う、これ豆なw

23:13 やっと西国分寺に帰ってきた。ビデオ返しにイカNight.

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2011年7月12日 (火)

原発と中立

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最近の人々は原発に対して「原発推進派」や「反原発派」や「脱原発派」に分かれたり、放射能に関しても「安全派」「危険派」などに分かれたりしてるが、先日ある雑誌編集者の友人が「ウチの雑誌は中立でいる」というのを聞いてギョッとしてしまった。
まぁ、ぼくはその場では何も言わなかったのだが、「中立でいる」とはなかなか口にできない言葉である。

しかし考えてみると、ぼく自身は原発についても放射能についても、究極的には「中立でいる」と言えるかも知れない。
例えばぼくは、昆虫をはじめとする野生動物の放射能被害については、かなり楽観視している。
例え放射能の影響で奇形の虫が生まれたり、癌で死亡率が上がっても、いずれは正常に戻るはずである。
それにチェルノブイリの報告によれば、放射能汚染で人間が住めなくなった地域に、かえって豊かな自然が戻りつつあるのだ。
そもそも地球上の野生動物たちにとって、その環境は都市化によって破壊し尽くされている。
だからそれに放射能汚染が加わったとしても、そのおかげで人間がいなくなるのであれば、野生動物にとってはかえって都合が良いと言えるかもしれないのである。

それに小出裕章著『放射能汚染の現実を超えて』によると、事故を起こしたスリーマイル島原発を後になって調査したら、圧力容器内部にたまった水の中におびただしい量のバクテリア、単細胞微生物、菌類、ワカメのような藻類が増殖していたらしい。
その場所は、人間だったら恐らく1分以内に死んでしまうほどの強い放射線が出ている環境なのだそうだ。
つまり地球上の生物は、放射能で汚染されたからと言って絶滅することはないのだ。
そもそも地球上に現在のような大気が形成される以前、地球は宇宙からの強い放射線に晒されており、そのような環境で生物は発生したのである。

いや例え放射能に対し耐性を持たない生物であっても、そのほどんとは原発事故が起き蛸とが原因で絶滅することはないだろう。
野生生物にとって原発事故は大きな環境変化と言えるかもしれないが、先に書いたように「都市化」そのものが既に大きな環境変化だし、それ以前にもさまざまな環境変化を乗り越えて、生物たちは生き延びてきたのである。

これは人間も例外ではなく、種としてのホモ・サピエンスは原発事故くらいでは簡単に絶滅しないだろう。
例え放射能汚染によって環境が悪化したとしても、過去の人類は同等以上の過酷な自然環境の中を耐え抜きながら生きてきたのである。
100万年前の縄文時代の人間は、平均寿命が30歳程度で、それだけ自然環境が過酷だったと考えられる。
だから現在「放射性廃棄物が無害になるまで100万年も掛かる」と騒がれているけど、どんなに環境が悪化しても縄文時代に戻るだけだとも言えるのだ。
放射線の被害によって子供の寿命が短くなるとも言われているが、それは縄文時代も同じであって、医学のない時代に生まれた子供が長生きできる確率は、現在よりずっと少ないはずなのだ。

と言う具合に「究極的に」考えると、原発の推進に関しても放射能の危険性についても「中立」の立場を取らざるを得ない。
すなわち、原発派どんどん推進しても構わないし、放射能の被害も全く問題ないと考えても構わない。
もちろん、原発に反対し即時廃止することも、放射能を危険と考えそれに対処することも構わない。
どっち道の道を選んでも、自体は良くも悪くもならないから、まさにどっちでも構わない。

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と、ここまで書いてあらためて気づくのは、このような「中立」の立場は、結局はどういうわけか「原発推進派・放射能安全派」の味方をしても、「反原発派・放射能危険派」の味方にはならない、と言うことである。
原発推進派にとっては、「どっちでも良い」と言われればそれが「じゃあどんどん推進しましょう」と言う理由になるし、放射能安全派にとっては「じゃあ学校給食に汚染食材を出しましょう」と言う理由になる。
ところが原発反対派や放射能危険派にとっては、「どっちでも良い」と言われてもそれが「じゃあどんどん反対します」という理由にはならない。

これは非常に不思議なことのようだが、ふたつ理由を考えてみた。
ひとつは「地球環境の変化」という観点である。
「原発反対派」の人たちは原発によって地球環境が変化(悪化)することを危惧してこれに反対している。
実際311の原発事故では大量の放射能がまき散らされ、地球環境は変化した。
だからなおさら、これ以上の地球環境の変化を食い止めるため、現在稼働している原発の廃止を求めているのだ。
「放射能危険派」の人たちも、放射能汚染による「地球環境の変化」の危険性を訴え、その対応策の必要性を訴えている。
つまり「地球環境の変化」と言う世界の「動き」に対し、人間の方も「動き」で応じようとしているのが「原発反対派」や「放射能危険派」の人たちだと言うことができる。

これに対し「中立派」の人は「なにもしない」ようでいて、実は「地球環境の変化」に伴って動いてしまっている。
回転する地球上で何もしないでただ立っている人は、地球と一緒に「動いて」しまっている。
「地球環境の変化」に対し「何もしない人」は、結果的にはそれでも構わないとする立場の「運動」に荷担することになる。

つまり、「原発推進派」や「放射能安全派」の人たちは、「地球環境の変化」に対し何もしない「中立派」と立場を同じにしている。
福島で原発事故が起きても、これまでと同じように原発を推進するのが「原発推進派」で、これまでと同じように放射能に危険はないと考えるのが「放射能安全派」なのである。
「中立派」の「どっちでも構わない」という立場は、「これまでと同じで構わない」という立場と実質的には同じなのだ。

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もう一つの理由は、ヒトと言う動物種の絶滅と、人間個人の死は同列に考えることはできない、ということである。
例え人類が滅亡しなくとも、自分が死ぬのはイヤだし、自分の子供をはじめ近しいヒトが死ぬのはイヤだと思うのが人間であり、それこそが「死」の問題だ。
これに対し人間以外の動物については「個体の死」ではなく「種の絶滅」という観点で問題が捉えられる。
例えば「パンダを守ろう」というスローガンは、ランランとかフェイフェイなどのパンダ個体の死ではなくて、パンダという「種」の保全に掛かっている。
しかし「人間の命を守ろう」というスローガンは、もちろん「個人」に掛かっている。
もし「人間を守ろう」というスローガンが「種としてのヒト」に掛かっているのなら、「増えすぎた人口を削減し、少数の人間のみ選別しよう」という思想につながりかねない。
いや究極的な「中立派」としてはそれでも構わないのかも知れないが、そうすると必然的に「殺す側」を容認しそれに荷担することになる。

「中立派」という立場は「個人の死」とは両立できず、必ず対立してしまう。
殺されそうな人と、殺そうとする人がいて、これに対し「どっちでも構わない」という立場を取れば、必然的に「殺されそうな人」の味方にはならず、従って「殺そうとする人」の味方になってしまう。
実際に原発事故の放射能に冒され苦しんでいる子供にとって、目の前の「中立派」の人間は明確に「敵」なのだ。
逆に、「原子力推進のため多少の犠牲はやむを得ない」と思ってる人にとって、「どっちでも構わない」という中立派の意見は、自分にとって有利に働くことは明確だ。

というわけで、2つの理由によって「中立派」の人は「原発推進派」「放射能安全派」に荷担し、「地球環境の変化」という危険な状況を容認していることになる。
有り体に言えば「事なかれ主義」なのだが、変化してしまった環境での「事なかれ主義」は、結局は「事が起きること」に荷担してしまっている。
だから逆説的に、ことさら原発に反対したり、放射能の危険性を訴えたりする人たちの方が、文字通りの意味で「事なかれ主義」なのである。
環境が変化してしまった以上、これまで通りの安全な生活を確保するには「事を起こすしかない」のだ。

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とは言え「中立」という言葉自体にも複数の意味があり、単なる「事なかれ主義」ではない「中立派」も考えられる。
例えば雑誌などのメディアであれば、「賛成派」「反対派」の緑極端な意見を平等に載せて、その判断は読者に委ねるというかたちで「中立派」を実現することはできるだろう。
実際にネット上のメディア、「2ちゃんねる」や「twitter」はこの意味での「中立」を実現しており、だからこそ読者の「リテラシー」が重要視されている。
これらのネット上のメディアは「容器」として機能しており、その中には「賛成は」「反対派」をはじめとするさまざまな意見がまぜこぜに入れられている。
というような「容器」としての機能がもし雑誌メディアで実現されているのであれば、その編集者は「ウチの雑誌は中立でいる」と胸を張って言えるだろう。

しかし実際に彼の雑誌を見ると、どうもそのようには見えない。
言ってみれば情報系の総合誌なのだが、そう言う雑誌にしては原発や放射能についての話題が少なく、つまりはそっちの方向へ「偏向している」ように思える。
これが例えばファッション雑誌とか、カメラ雑誌であれば、分野の違う原発や放射能の問題をことさら掲載する必要もないだろう。
しかし総合的な情報誌や、政治や経済や科学などを扱う雑誌がこの問題に消極的だったり、スルーしたりするのは明らかに不自然で、やはりそっちの方に「偏向している」と見られても仕方がない。
そのようなメディアは「容器」の機能を失っており、もう既に「偏向した中身」が詰まっているのである。
だからぼくは友人から「中立」の言葉を聞いて、ギョッとするとともに「さもありなん」と納得してしまったのだ。

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2011年3月21日 (月)

原発関連お役立ちリンク

ぼくの情報収集能力は大したこと無いのですが、とりあえずリンク集を作ってみました。
新しい情報や間違いなどあったらお知らせいただければと思います。
それによって、項目の追加や削除など行います。

■計測関連

全国の放射能濃度一覧

東北関東大震災・非公式・放射性物質モニタリングポストMAP

女川原子力発電所

放射線テレメータ・インターネット表示局(茨城県各地)

ガイガーカウンタによる放射線量(東京都日野市)

長野県内の空間放射線測定結果

ドイツのシュピーゲル紙による13-17日の福島第一原発からの放射能推定飛散状況のGIFアニメ、だそうです。

■ブログ、ウェブ日記

武田邦彦 (中部大学)

リュウマの独り言

愛原亮一の「電脳自然生活」

■動画

地震発生から1週間 福島原発事故の現状と今後(大前研一ライブ579)

「大震災原発事故 想定外でいいのか1/6 」愛川欽也パックインジャーナル3/19(土)

3/17 福島原発の現状と、今後予想される危険~後藤政志さん

■資料など

福島原発の放射能を理解する物理と工学からの見地(pdfファイル)

福島原発の放射能を理解する物理と工学からの見地(htmlバージョン)

放射線量拡大チャート

 

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3月21日茨城異常値

以下、友人からのメールです。
画像のソースは、「茨城県放射線テレメーター・インターネット表示局」からですが、各地で同様の波形がみられます。
このデータをもとにした彼の推測と言うことで、ご覧いただき、各自で判断していただければと思います。

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○○です
同報で複数の方にお送りします。

添付のグラフ朝4時から5時のピーク。
状況からして3号機のドライベントを秘密で少し行ったこと危惧さ

れます。
ご周知の通り、

3号機はMOX燃料ですからプルトニウムが飛散します。

時速30キロとすると0時くらいに何かが起こっています。
東京はすでに、長野で10時くらいに到達する可能性があります。

上記は私のあくまでも推測です。
添付のグラフを見て考察してください。

外出されないことをおすすめします。

5_30


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ぼく自身は分析能力が足りずに、彼からのデータを十分生かし切れていないことを自覚しています。
長野にとどまりながら、せいぜい外出を控える程度です。

美術家の彦坂尚嘉さんはブログで「今日、午後には帰還したいと思います。」と書いてますが、さっき電話して思いとどまってもらいました。

ちなみに管総理は、天候を理由にですが、本日の現場視察を中止しています。

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2011年3月19日 (土)

陰謀論とリスクマネージメント

更新が遅れて申し訳ありません。
実は、17日木曜の夜から実家の長野に滞在しています。

その理由というのは、原発の被害を避けて・・・というのとはちょっとだけですが違います。
東京と長野では、福島原発からの距離がさほど変わらないのです。

で、本当の理由というのが、全くバカな話なんですが「陰謀論」です(笑)
ぼくは陰謀論には興味もないしよく知らなかったのですが、陰謀論好きの友人(仮にHさんとしておきます)がリチャード・コシミズのブログをソースに「東京は危ないからすぐ離れた方が良い」とメールで何度も警告してきたのです。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201103/article_64.html

ぼくはHさんを友人として非常に尊敬しているのですが、正直この種の陰謀論だけはバカバカしいと思っていて、いつも適当に受け流していました。
しかし17日はHさんから何度もメールが送られてきて、「馬鹿話ではあるけれど、真剣にぼくのことを心配してくれているのも確かなので、騙されたと思ってHさんの指示に従ってみよう」と思い、最小限の荷物を急いでまとめ、夕方国分寺を発ったのでした。

で、長野に着いた夜に「関東で地震発生」のニュースがあってギョッとしたのですが、震度はたしか3〜4程度で大したことはなく、完全な取り越し苦労というか、陰謀論に踊らされた間抜けな人になってしまいました(笑)

しかし結果として、Hさんに従って帰省した事自体は良かったと思っています。
陰謀論はともかく、現実的に原発がどうなるか分からないことだけは事実です。
そんなときに独り身の自分が、母親と妹家族に会えたのは良かったと言えるかもしれません。
それで家族と話し合った結果、高校生と中学生の甥だけは、とりあえず名古屋の親戚宅にしばらく行かせることにしました。

関東甲信越から避難する人はまだほとんどいないようですが、例えば美術家の彦坂尚嘉さんはすでに藤沢のアトリエから京都に疎開しています。
http://hikosaka4.blog.so-net.ne.jp/2011-03-16-2
(4月には自分の責任を果たすため、東京に戻るというように書いています。)
http://hikosaka4.blog.so-net.ne.jp/2011-03-18

友人のHさんもほぼ同様の理由により、(まだ疎開はしてませんが)長野県内の自宅から家族ですぐ脱出できるように、自家用車に発電機をはじめとする荷物を積み込んで、スタンバイしているそうです。
Hさんは実のところ陰謀論にはまってるだけの人ではなく、ビジネスマンとして日頃からさまざまな情報収集を行っており、陰謀論はその一部に過ぎないのです。
原発関連の情報も当然集めていて、ぼくにもいろいろと教えてくれるのです。

Hさんと彦坂尚嘉さんに共通しているのは、日頃から勉強熱心でさまざまな情報収集をしており、危機管理を怠らない点です。
そのような生活態度だからこそ、有事の際にすばやく的確に判断し、行動できるのです。
その両者の共通意見は「今回の原発事故は先の予測が不可能で、その場合は取り越し苦労をするくらいでちょうど良い」というもので、それがリスクマネージメントの基本でもあるのです。

でぼくの方はといえば、いろいろ考えているように見せかけて、実は肝心な部分がゴッソリ抜けていて、ダメダメだと今回の件であらためて思いました(笑)
ぼくはいまのところ、Mさんや彦坂さんや、その他ネットの情報にただ振り回されてオタオタしている状態です。
与えられた情報を、十分に咀嚼して、自分なりに再構築することが、今ひとつ出来ていないのです。
これをするにはそれなりの頭脳力と努力が必要で、日頃から鍛錬していない自分にとって突然やれと言われてもキツいのです。
もちろん、これから訓練して身に付けることは出来るかもしれませんが、果たして危険が迫ったときまでに間に合うかどうか・・・

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2011年3月13日 (日)

改題で自信喪失

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地震が起きると、そんなときにブログやツイッターに何を書き込むかでその人の「人間性」が分かる・・・とあらためて思うのだが、その点自分がまったくダメダメなことも自覚できるのだった。

ぼくは地震が起きたときは近所の屋外にいて、かなり揺れたけど周囲の街はさしたる被害はないようで、ビックリしたけど割とのんきな気分でいたのだった。
それで道すがら、「防災ずきん」を被って下校する小学生を撮ったりしつつ自宅に戻り、ツイッターの書き込みからNHK放送画面のUST中継(広島の中二男子による)を知り、被害状況の深刻さを知ったのだった。

それで、あらためて気づいたのが自分の「空間認識」の狭さであり、ぼくは自分の周囲に被害がなかったことに安心し、そこから「延長」された世界がどのような状況にあるのか?に全く想像力が働かなかったのである。
そのような認識の狭さは他人から「孤児的である」と批判されても仕方がないし、そのようにカテゴライズされるパターンにものの見事にはまっているように、自分でも感じる。

さらに、そのように反省したとして、ではツイッターやブログに何を書けばいいのかと言えば、それが全く思いつかない。
日頃はやれ「構造主義」だの「現代思想」だの「古典」だのとエラソーに書いているのくせに、いざというときに何も書くことが思いつかないのだ。
いや、必ずしも気張って書く必要もなく「さらっと触れるだけ」でもいいだろうし、「書かない」という選択肢もありだろう。
しかしいずれにしろ、自分の思想信条に基づき「これだ」という選択ができないでいることが問題だ。
つまり「空間認識が孤児的である」というのは、自分が直接眼にしない他人への想像力の欠如を示しており、全くその通りでしかない「自分」をそこに再発見するのだった。

それでとりあえずは他人の真似をして、ツイッターから他人に役立ちそうな書き込みを「公式リツイート」してみたのだが、そんなのはお為ごかしだろうといわれても仕方がない。
もちろん「幼児的万能感」に基づいて「何が何でも自分が何かの役に立つべきだ」と思うのははた迷惑でしかないのだろうが、しかしツイッターでもブログでも「空間認識が広い人」の対応はやはり違うなと、あらためて思ってしまった。
「空間認識が広い人」とは「国家の成員としての自覚がある人」ということであり、言ってみれば当たり前の普通の人を指している。
それに対してぼくは圧倒的に「基礎」を欠いているのであり、それを補完するため今はプラトン著『国家』を読んでいるのだが、イザというときにその成果が現れないのではしょうがない。
*改題、テキスト変更、コメント欄参照。

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